二話 名前のない男
「名前が無い?それって冗談?それとも、自分の名前がそんなに嫌いだったの?」
「いや、単純にわからないだけだ」
「……わからない?」
ティノンはイマイチ男の言っていることがわからなかった。精霊としては名前とは自身という存在を確定し、証明するものであり、名前が無いとは存在しないと同等のことであるのだ。故に精霊は自身の名前を大切にしているため、わからないなどもってのほかだ。
頭を悩ませているとふと、ティノンはある可能性が浮かび上がった。
「ねぇねぇ。それじゃあキミのことを話してよ」
「……俺のこと?」
「うん。過去に何をやったとか、何を見てきたとかさ、とにかく思いついたものをなんでも」
「なんでも……か。」
そう言われて考えては見るも、結論はさっきと同じ、わからないとしか答えようがなかった。
男は何も、何一つと思い出せなかったのだ。
「……悪いが、わからないとしか答えられないな。どうも、何も覚えてはいないらしい」
「そう。ということは、キミは記憶喪失というわけだね」
「まぁ、そういうことになるな」
「ん?言葉の意味は理解出来るんだね」
「そりゃあな。じゃなきゃ会話なんてそもそもできないだろ?」
「確かにね。となると、キミの名前はボクが決めてあげよう」
ティノンは数秒ほど考えて男の名前を決めた。
「そうだね。クロイってのはどうかな?」
「なんでお前が……、はぁ。勝手にしろ」
「うん。それじゃあこれからよろしくね、クロイ」
「……これから?」
ティノンの言葉に、なにか引っかかって聞き返すクロイ。ティノンは当然の如くのようにその問いを返す。
「もちろん、キミについていくに決まってるじゃないか。なんたってその方が楽しそうだしね」
「はぁ……。勝手にしろ」
「うん。そうさせてもらうよ」
とりあえず、ティノンの同行は認めておくことにした。その方が何かと便利であろうという直感が働いたからだ。
たかが直感と思うかもしれないが、案外馬鹿にはできない。今までだって何度も直感のおかげで命を救われてきたのだ。あの時だって……
「……ん?」
「ん?どうかした?」
「……いや、気にするな」
一瞬、何かを思い出しかけた気がしたクロイであったが、ティノンに声をかけられたことで気になっていたことすら忘れてしまったようだ。
「とりあえず、近くの町か村を目指すか。ティノン、どこか心当たりはないか?」
「それなら、東に二日ほど歩いていけば小さな村があるよ」
「なら、そこで決定だな。今の時間帯は?」
「少し昼を過ぎたあたりかな」
「そうか」
そうと決まれば行動開始。クロイは自分の影を確認し、東に向かって歩を進めるのであった。