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榧洞

 智哉と神楽耶を乗せた裕也のミニクーパーは、神岡鉱山跡に向かっていた。神岡鉱山の歴史は古く、奈良時代の養老年間に採掘が始まったとされる。明治時代に三井組が経営に乗り出し、一時は東洋一の鉱山として栄えた。


 神岡鉱山は鉛、黒鉛、亜鉛を始め金、銀、銅を産出し、昭和初期には全国の亜鉛の実に九割が神岡鉱山から産出された。鉱山の発展と共に、神岡町も賑わい、鉱山の最盛期である一九五〇年代後半から一九六〇年代前半にかけ、町民二万七千人を越える隆盛を誇ったこともある。しかし、二〇〇六年の廃坑を境に人口は減り、現在は一万人程にまで減少している。


 神岡鉱山にはいくつかの廃坑がある。それら廃坑内にウルトラカミオカンデをはじめとして神岡研究所の施設が設置されている。ウルトラカミオカンデの先代に当たるスーパーカミオカンデや、重力波望遠鏡「かぐわ」は、茂住抗と呼ばれる坑道を利用して設置されている。だが、智哉達が向かっているウルトラカミオカンデは、茂住抗からさらに南に八キロメートル程下った、榧洞抗と呼ばれる廃坑の中に設けられていた。


 智哉達を乗せた車は、国道四十一号線を走り、一旦、神岡町の中心部まで南下してから、榧洞抗へと続く国道四百八十四号線に入り今度は北上する。榧洞抗がある鉱区は榧洞地区と呼ばれ、標高一二一九メートルの二十五山の山腹にあった。


 曲がりくねった山道をしばらく進む。榧洞地区の入口に差し掛かかると、裕也は砂利の混じる道の脇にミニクーパーを止めた。


「ここから先は徒歩だ。降りるぞ」


裕也が、助手席の前のグローブボックスから、小型の懐中電灯を三本出して、智哉と神楽耶に一本ずつ渡す。


「廃墟は足下が危ないからな。暗くなったら無いと困るぞ」

「そんなに? 兄さん」

「日没後三十分くらいは大丈夫だが、そこからあとはどんどん見えなくなる。今年のサマースクールで研修にきた学生が休みの日にこの廃墟を見に行って、釘を踏み抜いた。昼でもそうだ。怪我をしてもつまらんだろ」


 裕也は懐中電灯片手にドアのロックを解除して外に出た。智哉と神楽耶が降りたことを確認すると、裕也は再び車のドアをロックしてキーをポケットに仕舞う。


 鮮やかな夕日が山々を照らしていた。智哉は自分の腕時計で時間を確認する。四時五分。日没まであと一時間足らずだ。


「じゃあ、行こうか」 


 裕也が廃坑跡に足を向ける。智哉と神楽耶も後に続いた。



◇◇◇



「やっと追い付いたぜ」


 頭の上に手をかざして、神楽耶の後姿を確認した真っ赤な癖毛がやれやれといった声を出した。ミローナだ。隣にはエトリンが付き従っている。智哉と神楽耶を乗せた裕也のミニクーパーが神岡研究所を出るのを見届けたミローナ達は、タクシーを拾って、慌てて追ってきたのだ。


「随分と山奥ですわね。ミローナ姉さま」


 エトリンが、ぐるりと周りを見渡した。


「ふん。何の用もなくて、こんなとこに来る理由はねぇよ。あるとすれば宝探しくらいだ」

「姉さま、もしかして、それはあれですの……」

「鈍い奴だな。好い加減察しろよ、エトリン。お宝が近いのさ。帰る為のな」

「さすが神楽耶姉さま、流石ですわ」


 やっとミローナの謂わんとすることが理解できたエトリンが、顔の前で両手を広げ、左右の指同士をクロスさせてきゃっきゃっと喜ぶ。ミローナは呆れたように、片手を腰に当てて、大きく息を吐いた。


「全くこいつのお陰だな」


 ミローナは、もう一方の手の人差し指と中指を揃えて、首からかけたクレストを、とんとんと軽く叩いた。元はエトリンのものだ。だが、今は、神楽耶の位置を教えてくれる大事なクレストだ。


「気付かれないように後をつけるぜ。流石にここまで近づいたら、こいつでも細かい場所は分からねぇ。見失っても見つけられると思うけどよ。わざわざ離れることもねぇしな。いくぜ、エトリン」


 ミローナは、深紺色のクレストを指先で弄びながら、エトリンを見上げた。


「はい。姉さま」


 エトリンが目を輝かせ、ミローナを見下ろす。


「おやおや。ここにも宝を探しにきた鼠がいたとはね」


 ミローナの背後から声を掛ける者がいた。


「なんだぁ、お前は」


 ミローナ達に声を掛けたのは、長身痩躯の男だった。ライトグレーのスーツに茶色のフロックコートを来ている。首にはワインレッドのアスコットタイ。コートと同系色のソフト帽を目深に被っている上に、サングラスをしているので顔はよく分からない。しかし、僅かに覗かせている口元の一方の端は奇妙に歪んでいた。智哉と神楽耶、そしてミローナ達がここにくるときに乗った車両の最後尾に座っていた男だ。


「君達のようなドブネズミに名乗る名などありませんよ。やはり君達にあの宝は過ぎた代物だ。今は我々が管理してますがね」


 男はコートのポケットに左手を入れたまま、歪んだ口元を更に歪めた。


「視たところ、宙の王はいないようですね」


 男はサングラスを指で直しながら、ミローナとエトリンと交互に見やった。


「面白いことをいうじゃねぇか。宙の王の名を出すてぇことは、お前、こっちの世界の住人じゃねぇな。じゃあ、俺達が誰だかも知ってんだろうな」


 ミローナが片眉を吊り上げて男を睨む。


「さぁ。『風の姉妹』とかいう劣等が、その昔我が組織にいたことは知っていますがね」


 男は平然と嘯いた。


「エトリン。気をつけろ。俺達の正体を知っていて、あの余裕だ。ちょっと突っかけてみるが、危なくなったら援護してくれ」


 ミローナが目線だけエトリンに向けて囁いた。エトリンは緊張の表情を浮かべながら、アイコンタクトで承諾を示す。


「劣等かどうか試してみるか?」


 男の挑発に、ミローナが応じた。


「御自由に。試せるのなら……」


 男の言葉が終わらぬうちに、ミローナがテレポートで男の目の前に出現した。わざと大きなモーションを取って右足で蹴りを見舞う。男の左の脇腹に一撃が加えられると思いきや、ミローナの鍛えられた脚は空を切った。


 男はミローナから十メートル後ろに、一瞬で移動した。


「お前、テレポーターか」


 ミローナがちっと舌打ちする。


「成程、こんなにタイムラグがあるようでは、実戦には向かない訳ですね」


 男はミローナの質問に答えず、確かめるように呟くと首元のアスコットタイに右手の人差し指を差し込み、少し緩めた。次いでその手を、コートのポケットに忍ばせる。


 男の動きに危険を感じたミローナは、テレポートでエトリンの隣に戻り距離を取る。


 男はポケットから小型の拳銃を取り出した。左手をコートのポケットにいれたまま、右肘を折って銃口を空に向ける。


「劣等とはいえ、二人ですからね。今度はこれでお相手しましょう」

「ふん。上等だぜ」


 ミローナは男を睨みつけたまま、エトリンに何事か囁いた。エトリンがコクリと頷くのを合図に、ミローナの姿が揺らめいて消えた。


 と、次の刹那、ミローナが男の左横に現れた。男は右腕を左に回して拳銃をミローナに向けるが、引き金を引く前にミローナは再びテレポートで姿を消した。


 ミローナを見失った男に一瞬の隙が生まれる。 


 その隙を突いて、エトリンが物凄い勢いで男に突進する。男との間の二十歩の距離があっという間に埋まった。エトリンはその怪力をセーブしない殺人パンチを放ったが、男は躰を逸らして間一髪で躱した。


 エトリンは男の脇をすり抜け、背中を見せる。男は躰を捻って銃口を向けるが、その動きを遮るようにミローナがテレポートで現れた。ミローナは低い体勢から男の下顎をめがけて掌底を突き上げる。男は後ろに跳んでミローナの攻撃を回避した。


 ミローナとエトリンは、拳銃を手にした男に、テレポートと通常攻撃とのコンビネーション攻撃で対抗したのだ。ミローナが角を折られるほどの苦戦した黒服との対決で学んだ戦法だ。


 だが、ミローナとエトリンのコンビネーションは黒服のものとは根本的な違いがあった。


 黒服のコンビネーション攻撃は、もともとテレポート攻撃するときに発生するタイムラグをカバーするために考えられた戦法だ。通常攻撃する側は主に敵の注意を引きつけ、テレポートで死角を突く。いわば通常攻撃を囮にしたテレポート攻撃だ。


 しかし、ミローナとエトリンのコンビネーション攻撃は、ミローナのテレポートを囮に使って、エトリンの通常攻撃で止めを刺すものだ。実戦に使える超高速テレポート能力を持ったミローナだからこそ可能なコンビネーション攻撃だった。


 ミローナとエトリンのコンビネーション攻撃は、打ち合わせも練習も無しのぶっつけ本番であったが、二人は互いの目線だけで相手の意図を理解して絶妙のタイミングで攻撃を繰り出していた。姉妹ならではの阿吽の呼吸だった。


 ミローナはエトリンを撃たせないよう拳銃の射線を大きく外した位置に至近距離でテレポートしては攪乱し、エトリンはミローナが作ってくれた隙を狙って攻撃した。


 男は『風の姉妹』の攻撃に圧されて、どんどん後退する。いや逃げ回った。


 だが、とうとう男は、ミローナとエトリンに挟まれた。男の背後にエトリンが立ちはだかる。半歩の距離だ。

 男は肩で息をしている。テレポートで逃げようにも、呼吸が整うまで精神集中は出来そうにない。かといって、拳銃を撃つことも不可能だ。もし、ぴくりとでも動こうものなら、忽ちエトリンに腕を取られ、握り潰されてしまうだろう。


「鬼ごっこの時間は終わりだぜ」


ミローナは余裕の表情を見せた。ゲームセットだ。ミローナの藍の瞳はそう語っていた。


だが男は不敵に笑っていた。


「流石ですね。劣等の割には……」


男がコートのポケットに突っ込んだままの左手に力を籠めると、男の躰が白銀の光に包まれた。

 

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