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委託

 夜の帳が下りてしばらくした頃、一台のミニクーパーが外川駅の駅前広場に止まった。後部ドアが開き、黒のローファーがゆっくりと地面を擦った。神楽耶がゆっくりと車を下りる。神楽耶はポーチを肩にかけ直すと振り向いて、運転席の裕也に礼をいった。


「今日は本当にありがとうございました」


 両手を前に揃えて頭を下げる。後部座席のウィンドウを開けた智哉が顔を出して神楽耶に声を掛けた。


「本当にいいの? 家まで送っていくよ」

「ありがとう。桐生君。ここで大丈夫よ。少し歩いて考えたいの」

「そ、そう。じゃあ気をつけてね」

「うん。今日はありがとう」

「また明日」

「明日ね」


 ミニクーパーのエンジンが回転数を上げ、滑るように動き出す。駅前広場から大通りに出る前に、智哉は振り返って、さっきまでいた場所に目をやった。神楽耶の姿が見える。リアウィンドウが駅前広場の姿を映さなくなるまで、神楽耶はそのまま智哉を見送っていた。



◇◇◇



「ふぅ」


 智哉を見送った神楽耶は大きく一息をついた。会うまでは、智哉の兄はどんな人なのだろうと思っていたが、気さくで人当たりのよい好感の持てる人だった。


 裕也は自分の説明を一度聞いただけで、その矛盾を指摘して、仮説まで立てて見せた。その仮説は神楽耶にとって必ずしも好ましいものではなかったが、そこには元の世界に帰れるかもしれないという希望が含まれていた。


「何でも一人で抱え込まなくてもいいのかもね……」


 神楽耶は呟いた。次元調整機構では、何でも自分一人でこなしていた。ミッションを達成出来ない役立たずは不要。結果が全て。そう思っていた。


(桐生君は、私を庇ってくれた。お兄さんにも相談してくれた。元の世界に帰る方法を探そうといってくれた……)


 神楽耶は夜空を見上げた。星空が優しく神楽耶を包んでいた。この宙の彼方の故郷に還る。きっと大丈夫。不思議とそんな気持ちになっていた。神楽耶は微かに口元を綻ばせた。


「大丈夫だったか。神楽耶」


 突然背後から神楽耶を呼ぶ声があった。振り向くと、黄色のマフラーに黒ジャンパー姿の小さな人影が立っていた。ピンクのフードをかぶっていたが、深紅の髪は隠せなかった。


「ミローナ!」

「ちょっと付き合ってくんねぇかな」


 ミローナの表情は俯き加減でよく見えない。彼女の声から張りが失われていた。神楽耶はそんなミローナに違和感を覚えたが、素直に申し出を受け入れた。


「いいわ。私も貴方と話したかったの」


 神楽耶はミローナの後について、駅向かいのモスバーガーに向かった。ミローナは迷いなく店内の奥に入っていく。一番奥のテーブルにはエトリンが座っていた。


「ミローナ姉さま、神楽耶姉さま」


 エトリンは、ミローナと神楽耶を見つけると立ち上がった。神楽耶は軽く微笑みかけて挨拶する。ミローナがエトリンに目配せすると、エトリンはパタパタと注文しにレジに向かった。


 ミローナと神楽耶が席に着いてしばらくして、エトリンが注文の番号タグを持って戻ってきた。


「昼間はありがとう。ミローナ、エトリン」


 エトリンが座ってから、神楽耶は礼をいった。


「いいって事よ」


 ミローナは何でもなかった風に手を振った。ミローナの言葉に合わせて、エトリンがうんうんと頷いている。


「エトリン、あれだ」


 エトリンを横目にミローナが促す。


「はい。姉さま」


 エトリンは、熊のプーさんのステッチのついた自分の鞄をゴソゴソやって、何かを取りだし神楽耶に見せる。


「これは、神楽耶姉さまのではありませんの?」


 エトリンが差し出したのは、深紺色の薄い宝石の欠片だった。


「あっ」


 神楽耶が胸元の『クレスト』を指でなぞった。神楽耶の指が伝える感触はいつものものとは違っていた。


 (私のクレスト……?)


 神楽耶の『クレスト』はその下半分が薄くスライスされたように欠けていた。クレストの形状そのものは維持していたため、今まで気付かなかったのだ。


「あそこに落ちてたぜ」


 ミローナが補足する。あそことは、黒服の襲撃を受けた清涼公園の路地だ。


 (じゃあ、あの時……)


 神楽耶の脳裏に黒服が智哉に銃を向けた光景が浮かんだ。神楽耶は智哉の盾となって庇ったのだが、何ともなかった謎が解けた。銃弾はクレストに弾かれたのだ。


「拾ってくれたのね」


 事情を理解した神楽耶は、エトリンから『クレスト』の欠片を受け取ると、両手でそっと握りしめた。神楽耶はしばらくそうしてから、ミローナに訊ねた。


「ミローナ、貴方がこちらの世界に来たのは……」

「決まってる。宙の王だ」


 神楽耶の言葉が終わらないうちにミローナが答える。


「……そうよね。あの時、桐生君を連れて行ったのも、ミローナね……」

「キリュウ? あのトモヤって少年のことか」


 神楽耶が首を縦に振る。


「そうさ。だがな、エミットはしなかった。俺の知っている宙の王とはちょっと違っていたんだ。お前なら何か知っているんじゃないかと思ってな。どうなんだ、神楽耶」


 ミローナは率直に訊いた。


 神楽耶は一瞬返答に迷った。元は仲間だったとはいえ、今は敵対する組織の人間だ。宙の王の居所を安易に漏らしていいものではない。しかし、神楽耶の心は揺らいでいた。ミローナは既に智哉と接触している。また、裕也の仮説が正しければ、神楽耶は次元調整機構から捨てられたことになる。それに加えて、転送基の故障で元の世界に何時帰れるかも分からない。そんな現実を前に敵対組織だからと隠していても意味がないのではないかと神楽耶は思った。


「……貴方の思った通りよ。桐生く……智哉の中に宙の王はいるわ」


 神楽耶はミローナに合わせて、智哉と言い直した。


「やはりそうか」


 ミローナは腕組みをして背もたれに身を預けた。しかし直ぐに神楽耶に向き直って納得できないとばかり口を開いた。


「なら、俺の違和感はどうなるんだ。あれは嘘だったのか」

「ううん。多分嘘じゃないわ」


 神楽耶がその説明をしようとしたとき、店員がウーロン茶三つと山盛りのポテトを持ってきた。話を中断された神楽耶は肩を竦めて、店員が番号タグを持ち去るのを見送った。


「で、嘘じゃないって」


 ミローナが急かす。


「ええそうよ。智哉は、宙の王とコンタクトしたと言っていたわ。彼が言うには、宙の王は智哉を助けようと、自身の一部を智哉と融合させたって」

「何だって。じゃあ、あの感覚は……」


 ミローナは目を剥いた。智哉の言うとおりならと前置きしてから、神楽耶は自分の推測をミローナに伝えた。


「ミローナ。貴方の違和感は、たぶん宙の王と智哉の情報思念パターンが融合したものを感じ取ったからじゃないかしら」


 ミローナは神楽耶の言葉に何度か頷いたあと、険しい表情で神楽耶に迫った。


「なら、お前は、もう宙の王をエミットしたのか。何時だ」


 ミローナはテーブルに手をつき身を乗り出した。


「ミローナ、状況は貴方が思っているよりずっと深刻なのよ」


 ミローナの問いかけに神楽耶は頭を振った。



◇◇◇



「なんてこった。そんなことになってたとはな……」


 ミローナはがっくりと肩を落とした。


 神楽耶は転送基が壊れたと次元調整機構から告げられた事、智哉の中の宙の王が智哉から離れられなくなっている事をミローナに伝えた。そこに裕也の仮説も付け加えることを忘れなかった。


「だから、宙の王は今も智哉の中にいるわ。だけど、誰にもエミットできないのよ。仮にエミットできたとしても元の世界に帰れないと意味がないわ」


 神楽耶の現状認識は問題の核心を突いていた。


「……俺はお前の『クレスト』の欠片を見たとき、宙の王がエミットされた後だったらどうしようかと思っていた。エミットしたクレストが割れたら、肉体の再構成が難しくなることはお前も知っているだろう。宙の王と二度と会えなくなるかもしれないとな……」


 ミローナは俯いた。


「お前の話を聞いて、宙の王が無事だと分かった。それはいい……だが」


 そういって顔を上げたミローナは、神楽耶のブルーの瞳を問い詰めた。

「本当にエミットする事はできないのか?」

「――分からないわ。ただ智哉のお兄さんが何か考えがあるような事を言っていたわ」


 神楽耶は少し間を置いて答えた。


「じゃあ、望みが全くのゼロという訳じゃあないんだな……」


 ミローナは上を向いて天井を見つめ、暫く考えに耽っていた。そして、首に掛けていた深紫色をした『クレスト』をおもむろに外すと、神楽耶に差し出す。


 えっとした神楽耶にミローナが告白した。


「壊れたのは、お前の『クレスト』だけじゃねぇよ」


 ミローナがパーカーのフードを外す。彼女の深紅の見事な髪が露わになった。しかし、その赤髪の異常に神楽耶は直ぐに気が付いた。二本あったミローナの黄色い角が一本無くなっていたのだ。


「ミローナ、その頭は……」

黒服(あいつら)とやりあったときだ。しくっちまったぜ」


 ミローナは顔を歪めた。

「神楽耶、お前も知っているかも知んねぇが、俺の角はエミッター因子移植手術で付けたもんだ。……頭に角つけて、ようやくエミッターになったというのにな……、肝心な時にこのザマだ」


 絞り出すような声だった。


「神楽耶、すまねぇ。今の俺はもうエミット出来ねぇんだ。『クレスト』に宙の王を乗せたくても無理なんだ。だからこれをお前に預ける……お願いだ、お前の力で宙の王をエミットして連れて帰ってくれ」


「ミローナ……」


 神楽耶は真剣な眼差しでミローナをしばらくの間見つめた。そして、ミローナの藍の瞳に宿った決意を受け取ると、エトリンに向き直った。


「エトリン、貴方は自分の『クレスト』を持っているの?」

「はい。神楽耶お姉さま。ここに」


 エトリンはポーチから深紺色の『クレスト』を取り出すと神楽耶に手渡した。


 神楽耶は、自分の『クレスト』を手に取り、エトリンの『クレスト』に軽く接触させた。次いでエトリンの『クレスト』を左手に握って意識を集中させる。


 一瞬、神楽耶の瞳がグリーンになったが、すぐに元のブルーに戻った。


 エトリンの『クレスト』をテーブルにおいた神楽耶は静かに口を開いた。


「エトリン、貴方の『クレスト』に私の情報思念パターンをコピーしたわ。これで、いつでも私の場所が分かる筈よ」

「神楽耶、お前……」


 ミローナがいいのかとでも言いたげな表情を神楽耶に向ける。


 「ミローナ。貴方の『クレスト』確かに預かったわ。元の世界に還るときは一緒よ。宙の王もね」


 神楽耶はミローナの手を取って優しく微笑んだ。



 木枠で囲まれた自動扉が、長身の少女の後ろ姿を包み込む。一足先に立ち去る神楽耶を、エトリンが立ち上がって軽く頭を下げて見送っていた。


「ミローナ姉さま。マガン様のエミットを神楽耶姉さまにお任せしてしまって、よかったのですの?」


 エトリンが疑問を口にしたが、ミローナは席に座ったまま身動ぎもしなかった。


「いいんだ……エトリン。どのみち宙の王を連れて帰れなきゃ始まらねぇんだ。何処の誰だか分からねぇ奴にエミットされるより、神楽耶にエミットされたほうがまだマシだ」


 彼女の両膝に固く握られた両の拳は震えていた。ミローナの口から小さな呟きが漏れた。


「俺はこの時の為にエミッターになったんだ。なのに……肝心要の時に役に立たねぇなんて……情けねぇ……ちくしょう!」


 ミローナの拳に涙がこぼれた。神楽耶の前でこそ気丈に振る舞っていたが、エトリンと二人になって、溢れる感情を抑えきれなくなったのだ。


「姉さま……」


 エトリンはミローナに寄り添って座り直すと、その肩をそっと抱いた。


「エトリン……すまねぇな。しばらくこのままにしといてくんねぇか」


 ミローナは目を閉じてエトリンに身を預けた。お好きなように、とエトリンの唇が耳元で振動する。


「こっちに来たのがお前と一緒で良かったぜ……」


 ミローナが微かに息を漏らした。

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