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希望

 テーブルのランプが、また一段、その光を強くした。鮮やかな夕焼けが今日の仕事を終えようとしている。


 すっかり冷めた薄茶色に垂らされた、やや粘り気のある白色の液体が、台風の模様を描くのを神楽耶はじっと見つめていた。神楽耶は裕也の説明に呆然としていた。

 裕也の仮説はこうだ。


 神楽耶は元の世界から『宙の王(そらのおう)』回収を命じられて派遣された。しかしそれは名目で、こちらの宇宙に送ることだけが目的だった。何らかの理由で次元調整機構は神楽耶を元の世界に帰ってくることを望んでいない。そのために、黒服を送って神楽耶を始末しようとしているのだ、と。 


 神楽耶は俯いたまま、身動ぎもしない。


「私はずっとこのまま、刺客に狙われつづけ、元の世界にも帰れないというの……」


 神楽耶は小さく呟いた。その声は震えていた。

 智哉は、目を伏せて珈琲カップを見つめる神楽耶の横顔を見ながら、自分に対して歯痒さを感じていた。


 ――助けてあげたい。


 だけど、今の僕に何ができるだろう。そんな気持ちだった。


「兄さん、立花さんを何とか帰してあげる方法はないの。これじゃあ、いくらなんでも……」

 智哉は兄に迫った。裕也は智哉に少し驚いた顔を見せると、片方の眉を少し上げ、小首を傾げて見せた。


「うん。ひとつ引っかかることがある。転送器が故障したのなら、わざわざ黒服をこちらに送ってくる必然性はないんだ。神楽耶君を元の世界に帰ってこさせたくないだけなら、そのままこちらの世界に置き去りにすればいいわけだからね」

「そうか。そうだね、兄さん」


 裕也は智哉の同意に答えずに神楽耶に問うた。


「神楽耶君、君の世界の転送基が壊れたのは何時の話なのかな?」

「私が聞いたのは、三日前の夜です」

「黒服に襲われる前だね。神楽耶君、黒服が次元調整機構側の人間だとしたら、君を見つけるのは簡単なのかい?」

「ええ。『クレスト』はGPSでもあるの。情報思念体……いえ、魂の波長パターンを登録していれば、私に近づくと共振して色が変わるわ。こちらの世界でのGPS程の精度はないけれど、その気になれば、探し出すのは難しいものではないわ」

「とすると、黒服は比較的最近にこちらに来た可能性が高くなるね。問題は黒服がいつこちらに来たかになるんだが」


 智哉の指がトントンとテーブルを叩いた。


「もしも転送器が壊れてから――この場合は、帰りだけできなくなったという前提だけれど、それでも黒服がこちらに来たのだとすると、文字通りの片道切符だ。何時帰れるか分からないのに送り込む必要はないね。送り込むにしても転送器の故障が直ってからで十分だ。一方、もし黒服がこちらの世界に来てから、転送器が壊れたとすると、神楽耶君と同じく黒服も元の世界に帰れないことになる。この場合も、黒服が神楽耶君を襲う意味は低い。自分達も帰れないんだからね。襲うにしても、帰れる見込みが出来てからにするのが普通だよ」


 神楽耶が顔を上げた。そのブルーの瞳に生まれた微かな希望を、テーブルのランプが鮮やかに映し出す。裕也は神楽耶の瞳から目を逸らさずに続けた。


「黒服が使い捨てでなければ、黒服は帰る方法を知らされている筈だ。地球には、宇宙を越えて別の宇宙にいく装置なんてのはない。だからコントロールしている主体はあくまでも神楽耶君の世界にあるんだ」


 そういって裕也は、これは憶測だけどと断ってからおもむろに口を開いた。


「多分、転送基は壊れてない。ただ、帰りの時間か場所か、あるいはその両方が、元々の予定から変わっただけだと思う。それが意図的なのかどうかは分からないけどね。あの転送基はちょっとやそっとで壊れるような、そんなヤワなもんじゃない」


 裕也は見てきたかように言った。


「じゃあ、黒服の動きさえ掴めば、帰る時間と場所が分かるってこと?」


 智哉が確認する。


「うん。それもあるが、ちょっと危険だな。お前達は、さっきまで襲われていたんだろう」

「あ、うん……」


 智哉は自分の浅慮を恥じた。裕也は智哉をみて慰めるかのように小さくゆっくりと息を吐いた。


「だけど、それしか方法がないわけじゃない。智哉、お前は『宙の王』とコンタクトして、彼が帰りの兆候がでるのを待っていると言ってたな。なら、何時帰れるのか彼に聞いてみるという手もある。智哉、彼とはいつでも話せるのか」


 神楽耶はその言葉に目を開いた。宙の王に帰還方法を訊く――。それは神楽耶が最初に考えたことでもあったし、昨日智哉に依頼したこともであったからだ。


「――分からないよ。それは立花さんからも頼まれてたんだ。だけど彼と話したのは一回だけ。最後に話した時から何にもないし、昨日の夜、僕から呼びかけてみたけど、何の反応もなかった」

「ふむ」


 裕也はまた自分の頬に指をやった。


「神楽耶君、君が初めてこっちの世界に来た日と場所をなるべく正確に知りたいんだが、教えてくれないか」

「あ、はい」


 神楽耶は少し戸惑いながら、記憶を辿り、極力正確に答えた。裕也は手帳を取り出して、それを書き込んだ。


「智哉、ミローナに襲われた日と時間は?」

「え、えと、九月の十日、時間は……五時半くらい、かな」


 いきなり問われて、智哉は慌てた。


「で、今日、二時くらいに黒服に襲われた、と」


 裕也は一通りメモをとると、智哉の頭をコツンとやった。


「あと、もう一つ大事な問題がある。智哉の中の『宙の王』さんだ。彼をお前から分離する方法も考えなくちゃいけない。彼の言ったことが本当ならな」

「あ……」


 智哉ははっとした。裕也に言われるまで忘れていたが、『宙の王』は智哉を助けるために、自らの一部を実体化させた。そのせいで智哉から離れられなくなったと言っていた。


「でも、どうやって」


 智哉は目の前の珈琲に視線を落とした。そんなこと出来っこないという思いが頭を掠めた。


「そこでだ」


 裕也は神楽耶に向き直った。


「もう一つ、神楽耶君に頼みがある。『宙の王』を検知できるという眼鏡、ちょっと見せて欲しいんだが、……今掛けている眼鏡がそうなのかい?」


 神楽耶は智哉と顔を見合わせてから首を横に振った。そしてポーチから、眼鏡ケースを取り出して裕也に差し出す。


「これです」

「ちょっといいかな」


 そう言って、裕也はケースから眼鏡を取り出した。赤いアンダーリムのフレームをしげしげと眺める。


「これで『宙の王』が分かるのかい?」

「『宙の王』が視界に入ると、赤いマーカーが付きます」 

「ふむ」


 裕也はレンズを覗き込んだまま智哉をみた。智哉の胸の辺りにうっすらと赤い丸が点滅している。


「なるほど見えるな。赤丸が点滅してる」


 神楽耶は驚いた。


「お兄様には見えるのですか。私以外は見えないと説明されたのに」


 兄弟だからかな、と言って裕也は、神楽耶の眼鏡をケースに戻した。


「神楽耶君、頼みというのはね。俺にこの眼鏡を少し預からせてくれないか。ちょっと試してみたいことがある」


 裕也が眼鏡ケースに手をやったまま言った。

 神楽耶は訊ねるように智哉をみた。智哉は小さく頷いた。


「ええ、お預けしますわ。お兄様。よろしくお願いします」


 神楽耶は、ぺこりと頭を下げた。


「ありがとう。これからちょっと忙しくなるな。智哉、彼女を護ってやれよ」

「兄さん、友達だってさっき……」


 智哉は顔を赤くした。神楽耶は小さく笑っていた。彼女のブルーの瞳は少し潤んでいた。

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