正体
――土曜日。午後一時になる少し前。
神楽耶は、時待台駅の傍にある「ゴスト」にいた。智哉と待ち合わせする為だ。約束の時間は、午後一時だったのだが、神楽耶は三十分前に来ていた。
今日の神楽耶はVネックのふんわりとしたブラウンのニットソーにジーンズ。胸元には深紺のクレストが光っていた。
神楽耶の席に、ウエイトレスがやってきた。「お水をお入れしましょうか」と尋ねてきたが丁寧に断る。
神楽耶は、手にした文庫を広げて目を落としていたが、文字の羅列が網膜を刺激するだけで、少しも頭に入ってこない。
気が急いていた。
疎遠になったと思っていた智哉の方から会いたいと言ってきたのだ。どういう内容なのか不安もあったが、今の神楽耶は藁にも縋る気持ちだった。勿論、今度こそ智哉に自分の正体も、ミッションも明かす積もりでいた。嫌われようが、バカにされようが構わない。これまで隠していたことを素直に詫びよう。そう決めていた。
左手首を返して時計を見る。――約束の五分前だ。
――ぴろん。ぴろん。
店内に来客を告げるベルがなった。智哉が入ってきた。神楽耶は自分の居場所を告げるように軽く手を上げた。店内をきょろきょろ見た智哉は直ぐに神楽耶を見つけて、やってくる。
「突然呼び出したりして、ごめんね。待った?」
「ううん。私も少し前に来たとこだから」
神楽耶は智哉に気を使わせまいと、そういった。
智哉はさっとテーブルを見ると、神楽耶の答えにほっとした様子で席に着いた。
「注文は?」
「まだしてないわ」
ウエイトレスが注文を取りにくる。智哉も神楽耶もドリンクバーを注文した。ウエイトレスが注文を端末に入力すると「あちらから、ご自由にお持ちください」と告げて去っていく。
飲み物をとろうと腰を浮かした智哉を神楽耶が制した。
「いいわ。私がとってくるから。何がいい?」
「じゃあ、珈琲をお願い」
暫くして、珈琲を二杯持ってきた神楽耶は、砂糖とミルクを添えて、智哉の前と自分の前においた。
「久しぶりね。こうしてお話するの」
神楽耶は、さりげない感じで智哉に眼を向ける。
「うん。あの……立花さん、その胸元のペンダント、『クレスト』っていうんだよね?」
智哉は昨日の夜、瞑想でコンタクトした『宙の王』に教えて貰ったことを訊いた。
「……えぇ、そうよ」
神楽耶が少し戸惑いの表情を浮かべながら答える。
それを聞いた智哉は、小さくふうと息を吐いた。
「あの、ええと、立花さんの言っていた、『宙の王』のことなんだけど――」
智哉は神楽耶のブルーの瞳を正面から見つめた。
「立花さんは前にも言ったことがあったよね。僕の中に『宙の王』が居るって……」
神楽耶は驚きを隠さなかった。それは正に神楽耶が聞きたいことだった。まさか智哉からその話を切り出してくるとは……。
神楽耶は頷いて、続きを促した。
◇◇◇
(やっぱりそうだったんだ……)
『宙の王』の言っていたとおりだ。昨日の夜の出来事は妄想ではなかった。智哉は、ここに来るまで神楽耶が異世界人なんて嘘じゃないかという微かな希望を抱いていた。だが、神楽耶が胸につけている紺色の宝石が『クレスト』であるという彼女自身からの答えが、それを否定した。
「……こんな話、自分でも妄想の類じゃないかと思ってた。自分の心に仕舞っておこうって思ってた。だけど、さっきの立花さんの答えを聞いて、やっぱり話しておこうと思うんだ。いきなりこんな話をして信じて貰えるかどうか分からないけど……」
「ううん。話して、聞きたいの」
神楽耶は智哉を真っ直ぐに見つめていた。その目は真剣だった。
「昨日の夜、座禅を組んでいたら……あ、最近、合気道を習い始めて、そこの先生に心を練れって言われたんだ。それで始めたんだけど、座禅してたら心の中から『宙の王』と名乗る声が聞こえてきたんだ。最初は空耳か何かだと思った。だけど、何か違うんだ。自分じゃ絶対考えそうもないことを言ってたから……。これは絶対自分の考えじゃないって……」
智哉はそこまで話してから、思い出したように珈琲を口に含んだ。砂糖もミルクも入れるのを忘れていた。苦かった。
「その『宙の王』が色々教えてくれたんだ。自分はもう一つの宇宙から転送基でやってきたんだって。そして、立花さんや赤髪の娘ともう一人の娘もその宇宙からやってきたと言っていた。そうなの? 立花さん」
問われた神楽耶は座り直して居住まいを正した。
「……その通りよ。私はもう一つの世界からやってきた使者。こちらの世界の住人じゃないわ。ミローナとエトリンもそう。ええ、その『宙の王』の言う通りよ」
そういうと神楽耶は智哉に頭を下げた。
「桐生君……今まで隠していて御免なさい。いつか話さなくちゃと思っていたんだけれど、こんな話、絶対信じて貰える訳がないと思って言えなかったの……。本当に……御免なさい」
「いや。僕の方こそ……、立花さんの事を何も知らないのに、酷いことを言ってしまって御免ね」
智哉も謝った。あの日からずっと抱えていた胸のつかえが取れた気がした。
「いいの。黙っていた私が悪かったの。……でも、ありがとう……、桐生君。私の話を聞いてくれて……」
神楽耶は突然、御免なさいといって顔を背けた。ポーチからシルクのハンカチを取り出してそっと目元にやった。
「こんなことなら、最初から話しておけばよかったね」
智哉に向き直った神楽耶はそう言って微笑んだ。少し鼻にかかった擦れ声だった。
(彼女も苦しかったんだ……)
神楽耶の潤んだブルーの瞳を見つめながら、智哉はもっと早く気づいてあげられれば良かったのにと臍を噛んだ。だが、昨日『宙の王』が語り掛けてこなかったら、こうはならなかった筈だ。智哉は心の中で『宙の王』に感謝した。
「……桐生君、わたしから、いい?」
神楽耶が小鼻にあてていたハンカチをポーチにしまってから、ゆっくりと口を開いた。うん、と頷いた智哉は、この後、神楽耶の本当の苦しみを知った。




