だけど、俺は兄貴なんだ
柚子の可愛らしい衣装はズタボロになっており、体のあちこちに痛々しい打撲傷や切り傷がある。
頭や口元からも血を流している。
「柚子! おい、柚子! 大丈夫か!?」
俺は柚子に駆け寄って、瓦礫を押しのけて、柚子の体を抱いて引っ張り出す。
「お……お兄ちゃん……だめ、ここは危ないから……逃げて……」
俺の腕に抱き上げられた柚子は、息も絶え絶えにそんなことを言ってくる。
「お前、そんなこと言ってる場合か! そんなことより早く病院に行かないと……!」
「だめだよ……アイツを倒さなきゃ……」
柚子は俺を押しのけて、どうにかという様子で立ち上がる。
弱弱しく見える柚子の腕だが、そんな状態でも、俺を引きはがすには十分すぎる力があった。
「すぅ──こんのぉおおおお!」
満身創痍の柚子が再び、巨大蟹に向かって駆けてゆく。
再び、魔法少女と巨大蟹との戦いが始まった。
だが負傷した魔法少女は動きに精彩を欠き、徐々に追い詰められてゆく。
俺は──それをただ見ていることしかできない。
「くそっ……!」
俺は悔しさに、拳を握る。
あんな人並み外れた戦闘に、生身の人間である俺が参戦しても、何の役にも立たないことは明白だ。
あっという間にスプラッタになっておしまいである。
だけど……何か、何か俺にできることはないのか……。
だがそんな俺の想いとは関係なく、物事は進んでゆく。
再び、蟹のハサミが柚子の体を捉えた。
魔法少女の華奢な体が宙高く浮き上がり、放物線を描いて、俺のいる近くへと落ちてくる。
「なっ──柚子!」
俺は柚子の落下地点へとがむしゃらに走り、その落ちてくる魔法少女の体を、自分の体で受け止めた。
柚子をキャッチした俺の体は、落下の勢いで倒れ込み、俺はコンクリートの地面に背中と頭をしたたかに打ち付けてしまう。
痛てぇし、頭は多分血も出てるな……けど、んなこと言ってる場合じゃない。
「お……にい、ちゃん……」
俺に受け止められた柚子は、今度こそボロボロに弱っていた。
それでも、俺を押しのけて立ち上がろうとする。
俺はそんな柚子の体を、ぎゅっと抱きしめる。
「えへへ……お兄ちゃんの匂いだぁ……」
「バカ! お前、こんな時までそんなこと……!」
「最後に……お兄ちゃんの匂い嗅げて……嬉しい……」
「最後とか言うなバカ!」
そんな俺たちのもとに、巨大蟹が地響きを鳴らす横歩きで近付いてくる。
──くそっ!
何か、何かないのか──!?
がむしゃらに思考を巡らす俺の脳裏に、先刻の会話が浮かび上がる。
そう言えば、さっき。
あの妖精、俺の魔力がどうとか言ってなかったか……?
「妖精! 何か俺にできることはあるのか!?」
妖精がふよふよと、俺たちのもとに近付いてくる。
「あるには、あるっす。でも──」
「何でもいいから、あるなら言ってくれ!」
何でもいいんだ。
妹のこの窮地を救える可能性が少しでもあるなら、どんな方法であれ教えてほしい──そんな思いで妖精に詰め寄る。
「……分かったっす。言うっす」
妖精は少し躊躇ったあと、こう言った。
「お兄さんが、ユズにキスをするっす」
…………。
一瞬、思考が停止した。
何の冗談かと思った。
だけど、形振り構っちゃいられない。
だいたい、こういうのは相場が決まっている。
俺が柚子にキスをする。
柚子がスーパーパワーアップする。
パワーアップした柚子が強敵をあっという間に粉砕する。
あとはアレだ。
俺がどんだけ葛藤するかって話だろ。
んなもん知るか。
俺だって男なんだよ!
「据え膳だって、こんだけ整えられりゃ、食ってやらぁ!」
俺は、俺の腕の中で息も絶え絶えの柚子の唇に、自分の唇を重ねた。
血の味がする。これがファーストキスの味……ってか。
視界がまばゆい光に包まれる。
光が晴れたとき──俺は、魔法少女に変身していた。
「──って、俺かよ!?」
俺が発したはずのツッコミは、少女の甲高い声になって聞こえてきた。
性転換して、小柄になった俺の体。
柚子が着ていたのと似たアイドル調のフリヒラの衣装は、ミニスカートなせいで膝下がスースーする。
エナメル質のグローブを付けた手でペタペタと自分の体を触ってみる。
胸はほんのり。
ぷよぷよした体は、幼女な感じだった。
絶対、柚子より小っちゃいぞ、この体……。
──けどまぁ。
「好都合だ。傍で見てるのは、性に合わなかったんだ」
俺は、柚子の体をゆっくりと地面に下ろしてから、立ち上がる。
幼女の姿をした俺が、ニヤリと笑って右の拳と左の掌をパンと合わせる。
体に力が溢れている──これなら、あのバケモノとだって戦える。
「うちの妹を散々いじめてくれた礼は、たっぷりとさせてもらうぜ!」
俺は巨大蟹に向かって駆けよるべく、力いっぱい地面を蹴った。
べ、別に俺ツイに影響されたわけじゃないんだからね!