記憶
「分かった。」
省吾は私を抱きかかえ、バスルームに向かった。
脱衣所に入ると、省吾はゆっくり私を下ろした。
「あれ?美紀、シャワー使った?」
省吾はいぶかしげに私を見た。
「え?何で?」
「浴室に熱気がこもってるんだ。さっきまで誰かが使ってたみたいに」
私はハッとした。
さっきのシャワーの音、聞き間違いじゃなかったのかもしれない。
でも、誰が?
「き、気のせいじゃない?」
「そうかなぁ…まぁいいや。そんなことより、美紀。服脱がせてあげる」
省吾は着ていたセーラー服のリボンに手をかけた。
衣擦れの音が脱衣所に響く。
やがて私は、一糸纏わぬ姿になって省吾の前に立った。
「綺麗だ…美紀」
省吾も裸で、私の体を抱きしめた。
どちらの鼓動か分からないほど、心臓はけたたましく脈打っている。
私を椅子に座らせると、省吾はボディソープをスポンジに染み込ませ、丹念に泡立て始めた。
背中に柔らかな泡が滑る。
「今日は最後までしてくれる?」
私は省吾を振り返って言った。
「何か、その言い方エロいな」
苦笑して省吾は言った。
「何で?私はお兄ちゃんの物になりたいよ」
そう言って、私は省吾の方に向き直ってキスした。
稚拙なリズムで、舌を絡ませる。
ほのかに香る煙草の匂い。
指が太股の内側を這う。
いやに冷たかった。
ふと、下腹部のあたりに目をやると、白く細い手が見えた。
「え…?」
明らかに、不自然な場所にあるその手は、私の太股を撫でるようにうごめいていた。
悲鳴をあげようとしたが、声が出ない。
背後で声がした。
「おいてかないで…美紀ちゃん」
まだ少年のあどけなさが残る声だった。
私は動けずに、涙目で省吾を見ていた。
「美紀?」
異変に気付いたのか、省吾は目の前に手をかざして、何度も私の名前を呼んでいた。
「利明君………」無意識にそう呟いた途端、私は気を失ってしまった。
利明君は、私の小学生の頃の友達だった。体が弱く、いつも私の後をついて歩いていた。
そして私達はある約束をした。
果たされることのない約束を。
気付くと、あの夢の中にいた。
でも、いつもと状況が違っていた。
まわりは暗闇ではなく、旧校舎の中だった。それなのに私はあの悪夢の中だと確信していた。
新校舎との境目の出入口が見える廊下の真ん中で、ぽつんと立っていると、どこからか足音がした。
せわしなく走り回る二つの足音と、女の子と男の子の喋り声。
「美紀ちゃーん、待ってよー」
聞き覚えのある声に、背筋が凍った。
「とし君遅いよお。授業遅れちゃう」
私の目の前を十歳の私と、あの少年が走り抜ける。
私が立っているのが見えないのか、何の反応も見せなかった。
私は慌てて二人を追った。
「だって、僕走っちゃダメってお医者さんに言われてるから…あっ」
「また転んだ!もお、ほらぁ、起きて!」
幼い頃の私とあの少年が、なぜ一緒にいるのだろう。
私はただその光景ぼんやりと見つめていた。
そして十歳の私は、少年の手を取り、走り始めた。
その瞬間、自分の手に少年の感触を感じた。
まるで、十歳の私と、今の私の感触がシンクロしたかのような感じだった。
そして何より驚いたのが、少年の手が温かかった事だ。
いつもの夢の中なら、彼の手は氷の様に冷たいのに、今シンクロして伝わってきているのは、人の温もりだった。
彼との約束。
「利明君!」
それは…
いつか結婚して、二人の子供を作ろうって…そんな大人びた約束を、利明君は無垢な笑顔で語っていた。
「利明君っっ!!」
私は声の限り叫んだ。きっと彼は、約束を守れなかった私を恨んでいるのだ。
だから今、彼に会って謝らなくちゃ…。
そう思った途端、足元がひび割れ、崩れ落ちた。暗闇へと、まっさかさまに落ちていく。私は短い叫び声をあげ、気を失った。