4話 サイバネティックスのおタク話
同性愛を文化と呼び、時には毒すら食し、果ては神の領域へと片足を突っ込む。
そんな大罪の権化とも取れる日本人にも禁忌があるとは驚きだ。
――ある海外掲示板に書き込まれた神父の言葉(和訳)
〇
ふとティシュ箱が視界に入る。
オレはそれを一枚、二枚と抜き取り、くるくると丸める。
――てるてる坊主をつくるなんて、一体何年ぶりだろう?
外ではようやく梅雨らしく大雨がふりそそぎ、オレの中にまだあった「外に出よう」という欲求を根こそぎ刈り取ってしまう。
だったらせめて、明日は晴れますようにと祈ってやろうではないか。
そう思い立った俺は丸めたティシュペーパーをふたたび抜き取ったティシュペーパーでおおいかくし、テルテル坊主の首の部分を捻って形を整える。
「……紐がねぇ」
こいつはうっかりしていた。紐がないか、いまからでも母ちゃんに聞いてこようかな?
「……いや、まて」
そこまで考えて、オレは頭を振る。
今日は、日曜日だ。
日曜日といえば、なんだ?
そう、最近はなぜか幼なじみ様が来る日になっていた。
性格がオヤジというさすがの幼なじみ様とは言え、まだまだ高校生。思春期も反抗期も今が真っ盛りであろう。
そんな生物的、社会的に思春期な乙女が、この丸めたティシュペーパーを見たらどう思う?
しかも今のオレはいつものごとくオヤジスタイルだ。
顔に一筋、冷や汗が流れる。
――ヤツなら、ヤツなら間違いなく誤解、いや曲解するっ!
ごくり、とのどを鳴らし、未完成のテルテル坊主をじっと見る。
どうする……? いやどうすれば……!
心臓が高鳴る、自然に息が荒くなってしまう。
どうすれば、という言葉が何十回と頭の中を駆け巡り――天啓のごとくひらめく。
そうだ、顔をつけよう!
なにも難しく考えることはなかった。ただ真っ白なティシュの塊だから誤解されるわけで、顔を付けたらそれはもうつるしていないテルテル坊主だ。
一気に肩の荷が下りた爽快な気分、オレは晴れやかな笑顔を浮かべて机からペンを取り出そうと立ち上がる。
「え、エリにぃ……、も、もうおわった、かな?」
が、そんな葛藤や苦悩など、いと高きにおわす神々は一切関知しないわけで。
さらにはドアがすこーしだけ空いていて、そしてドアの向こうには恥じらいの声を上げる幼なじみ様がいるようで。
「神は死んだっ!」
どこからどこまで見られていたかは知らないが、オレはこの世の不条理を嘆くかのように、盛大にその言葉を叫んだ。
〇
ウチのゼミ仲間にはオレよりも多く嫁たちを囲っている業の深い男がいるのだが、そいつをして曰く、
「嫁たちだけが暮らしている世界にいきたい」
その当時はこの言葉の意味がわからなかったが、今なら魂のレベルで理解できる。
「オレも嫁たちだけが暮らしている世界にいきたい……」
そして嫁たちが手招きしている今なら、嫁たちの暮らす世界にいける気がする。
「なに現実逃避してるんだよー、誤解だってわかったから機嫌直せよー」
が、そんな夢の世界へ簡単にいかせてもらえるはずもなく、現実の権化である我が幼なじみ様はまだすこしだけ顔を朱に染めながらオレをひきとめやがった。
「まったくもー。エリにぃは気にしすぎなんだよー。どうせ結婚したらその嫁の相手をするんだから今からなれとけよー」
「下世話すぎるわ! 少しは自重しろっ!」
「え? アタシとエリにぃのなかじゃん? 気にしない気にしない」
エリにぃわかりました。恵利ちゃんに必要なのは小学生レベルの理科じゃない。小学生レベルの義務教育だ!
「ところでエリにぃ、今日はブログ更新しないんだ?」
「しない」
というか、心がそれどころじゃない。
今は、なににもくじけない心がほしい。
そう、鋼のような、折れず、曲がらず、ただ愚直にまっすぐな鋼のような心が。
「じゃーさ、今日も講義お願いしまーす!」
またか……早速心が折れそうだ。
〇
「さて」
最近、毎週一回はこれを言わないといけないような気がしてきたから不思議だ。
「今日は恵利ちゃんからなんの指示も受けていないから、最近SFでよく取り上げられているサイバネティックスの話をしよう」
それに、若干自分の専門と被る部分があるから、説明が楽なのも今回取り上げた理由である。
「しっつもーん! サイバネティックスってなに?」
「生物と機械間の通信や制御、情報処理に問題などを総合的に取り扱う学問で――わかりやすくざっくり説明すると機械化された義肢……義手や義足を作るために必要な学問のことだよ」
なお、現在でも「義手や義足の方に対して差別が起こる」という理由から、人体改造のイメージがあるこの話題はたとえSFの中であっても具体的な表現は避けられている。
そのせいか、じっくり見なければ見抜くことの難しいサイバネティックス技術を使用した義手――サイバネ義手の存在があまり知られていないのはとても悲しいことである。
義手の人が受ける好奇の目は、これを装着するだけで格段に減るはずなのに、だ。
「まあ、機械の塊だけあって、これまた高いんだけどね?」
「え~? またお金の問題~?」
確かにそうだが、そういわれても非常に困る。
そもそも知られていないということはユーザーが少ないという意味であり、ユーザーが少なければ市場原理が働いて高くなるのは当然のことではないか。
「まさか需要を生み出すためだけに人類全てに片腕を切り落としてサイバネ義手にしろ! とか言えないし。これはもう、生産数が少なくても安価に製造できる技術を作り出すしかないよ」
なお、形だけを模した通常の義手でだいたい三十万円から五十万円の世界である。
無責任ではあるが、世で働く技術者の皆様にはぜひ低コスト化をがんばっていただきたい。
「さて、話が横道にそれちゃったけど、サイバネティックスという概念が生まれたのは一九四七年、ノーバート・ウィーナー氏によって提唱、同氏による定式化への活動がなされている」
ただし、当時はあまりにも感覚的過ぎて、現在のようなサイバネティックスという言葉や意味になるまでにはコンピュータの爆発的な進歩を待たなければならない。
「しかし、コンピュータがこれを空想から現実のものとするまでに進化すると、次は新しい概念が生まれる。それがサイバネティック・オーガニズム。つまり――そう、サイボーグのことだ」
サイボーグは一九六〇年にアメリカの医学者が提唱したといわれている。
また、サイボーグはさきほど発言したサイバネ義手のほか、人工心肺やペースメーカーなど、単体で機能する身体機能を再現する人工物を身体に埋め込んでいる人たちのことをさすれっきとした医学用語である。
……まあ、厳密には単なる医療技術の一つなので、サイボーグサイボーグなどと医者が言うことはないが。
「そして――あまり気分の良いことじゃないけど、サイボーグは差別用語に分類される」
これは科学技術がフィクションの域まで到達してしまったが故の悲劇である。
もし、命を助けるためにこの処置をしなければならないとして、処置された人がそれによってこうむる被害は、健常者であるオレには想像できない。
世界はバカが回しているという言葉があるが、それにしたって奇異な少数は普遍の多数によって駆逐されることが正義だとでもいうのだろうか?
「まあ、それに関しての答えなんて、オレは持ち合わせていないから、これで終了しよう」
「うん……」
さっきまで若干不真面目だった幼なじみ様が、見るからに意気消沈。
ちょっと重すぎたか。
話題を変えよう。
「ところで、サイバネティックスには身体に埋め込む方式……インプラントのほかに、装着する方式が存在する」
これが俗に言うパワードスーツである。
脳波を使って操作する最新式の脳波操作式と、生体電位信号を読み取って駆動する昔ながらの生体電位式の二種類があり、現在どちらが主流になるべきかと企業間で大いに争っている最中である。
「……あれ? 脳波って、法令で禁止とかなんとか言ってなかったっけ?」
「それは機械と脳がデータをやり取りする場合。この脳波操作式っていうのは脳が一方的にデータを出力するだけだから、法令的にはセーフらしい」
ちなみに生体電位信号を読むことができないサイバネ義手はすべからくこの方式を取っていたりする。
まあ、指が開閉するだけで、細かな指の操作をするにはそれ相応の訓練がいるらしいが。
「さて、これらパワードスーツ、実は最近介護の現場で使用されている最先端の技術で、そうでなくても筋肉が衰えた老人がこのパワードスーツをきて元気に外を走り回る、なんてこともよく聞くね」
ちなみに、そのせいで認知症の老人が夜パワードスーツを着て出歩き、警察に補導されるという事件が多発している。
それゆえ、パワードスーツにGPSを内蔵することを法令で義務付けようとする運動があるとかなんとか。
「そうそう、このパワードスーツにかぎって言えば現在リース業者が増えているから、各種保険保障込み込みで月額一万円と、大変リーズナブルにレンタルできるようになっております」
〇
「さて、世界はバカが回している。この言葉の通り、フィクションの中ではこの世界を回しているであろうバカが数多く登場する」
たとえば、その作品の世界ではサイバネ技術は当たり前のように使われていたり、サイバネ技術がまるでファッション感覚で使われているような風潮があったり、本当にさまざまだ。
「現実ではサイバネ技術が浸透していないからこそ、差別的になっているけど、逆に、サイバネ技術が普及している世界観ではどうか?」
彼らはなんと、戦いのためにサイバネ技術をその身に宿すそうだ。
アホかと。
「どうして? 機械の腕なんだからすっごい力が強いとか、そういうのじゃないの?」
「……残念なことに、現在の科学力では、同重量での生身の腕とサイバネ義手とを比べた場合、エネルギー効率における出力量は圧倒的に生身の腕のほうが強い」
そもそもの比重が違うのだから当然である。
というか、むしろオモチャのモーターを取り付けただけの極細鉄パイプと腕相撲して負ける人間を見てみたい。
「えっ? えー……」
故に、世界を回すバカどもには安易に科学技術に頼らず真面目に身体を鍛えろといいたい。
「でもアタシたちの科学力よりも発達してたら――」
「その義手を構成している機械で武器を作ったほうがはるかに強いね」
たぶん、その世界では義手よりロマン武器なドリルのほうが強くなるだろう。
後チェーンソーとか。
「で、でも鋼鉄の腕だよ!? 身体が武器になるんだよ!?」
「だったら鋼鉄の棍棒持ったほうがお得だわ。サイバネ義手と違って精密機械じゃないから、ものすごく安いし、軽い。第一まず壊れない」
というか、武器にも使える鋼鉄製の腕とか、それだけで何十キロになると思ってる。
肩がもげるわ!
「きっと、サイバネティックスが普及し、戦争のためにそれを行う世界の、もっとも儲かる仕事はマッサージ師か、マッサージ器販売員だろうね。あとその世界の成人病には確実に肩こりや腰痛が追加されていることだろう」
「ゆ、夢がない!? っていうかそうなったら普通気付かない!?」
「それは無理だろう。だって――世界を回す、バカ、だもの」
事実や史実の話があちこちに散らばっており、全部あげることが難しいため、今回の念のためはございません。
以上で「彼と彼女のおタク話」は終了ですが、おもしろいネタがあったら続編を書くかもしれません。
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