死因は大好きなお兄ちゃんだったから
始まりは、電子の弾ける音だった。
それは、プライベートな時間を邪魔されたくなくて、運転席から遠い助手席のサイドボードに放り込んでおいた携帯端末が鳴らす無闇に軽快な着信音で、額から頬にかけて古い刀傷を妙齢の美貌に負った彼女の眉間に皺を寄せさせる邪音だ。
それでも一縷の希望を見つけようと、亜麻色の髪の女はシャープなデザインのメガネ越しに車載時計に赤茶の瞳を向ける。
時刻は2320年、6月13日、午後10時20分。
非情にも現実は彼女に街が眠るにはそれはまだ早い時間であることを告げ、仕方なく黒塗りの愛車のハンドルを握った妙齢の美女、熊切美鈴はハザードを出して路肩に駐車。炎点都市ヨロズ第3層、片側3射線を自家用車や単車が行き交う茨通りの隅で、背後から行き過ぎるトラックのライトに疲労気味の相貌を照らされながら、深い溜息を吐いて天を仰ぐ。
そして、
「・・・多分、ごめんね~」
力無く、熊切は助手席に座って大人しくしていた、恐らくはすでに事態を察している小さな影にそう告げる。
しかし、
「ん~ん、いいの。ママのお仕事だもん」
「でもごめん~んむ」
母の落胆を、彼女の生き方を知っている小さな影、熊切飛鳥は、頬にかかる短い赤髪を揺らし、紅色の瞳を弓に細めて屈託なく笑った。さらに幼女はその小さな手足を包む白地に花柄のワンピースの裾を揺らし、8歳児にはまだ大きすぎるシートベルトを前へと引っ張って、白い花弁のようにも見える指先でサイドボードから取り出した携帯端末を両手で母へと差し出す。
だから、
「うぶうううううううう!死ねばいいのにいいい!犯罪者なんてみんな死ねばああああ!」
自分に似て出来る美人の愛娘の気遣いに、思わず熊切は顔をグニャグニャにする。尖らせた唇で悔しさを、潤んだ瞳で喜びを、歪ませた眉で怒りをそれぞれ表す母親の神的顔芸に、思わずプスリと飛鳥も吹き出す。
熊切はそんな愛娘の様子を見て、
『本当、ダメね・・・』
しかし安堵することは出来なかった。
どれだけの我慢を強いていることか。
自分の子供にこのような演技をさせてしまうことが、熊切美鈴からすれば母親失格の烙印そのものであり、久しぶりに2人っきりで遅めの夕食をとるすら出来ない、そんな自分の正義にはどれほどの価値があるのかと苦悩させる。
それでも、
「ハイ、ママ」
「・・・」
「悪い人、捕まえないとっ!」
「・・・」
娘の、白い肌と長い睫の中で燃えるルビーのような瞳、まっすぐな視線のその奥にある一抹の寂しさや憂いを知っていてもなお、
「・・・そうね」
ヨロズ警察において〔冷鉄女王〕と仇名される女傑は、可憐な白い手指が作る無垢な一輪花からおそらくほぼ絶対に事件の急報を告げる携帯端末を受け取る。
ともあれ、邪魔者、つまり着信相手にはまず文句を言ってやろうと思い、端末のディスプレイに目を向け、
「あら?」
「どうしたの?」
飛鳥が怪訝に見上げ、
「シーくん?」
2か月前、大事件に絡んだ探偵の名を熊切がそう呟いた瞬間、
「シーくん!?」
迅雷の速度で母の持つ携帯端末に手を伸ばしひったくり、飛鳥がピコンと通話ボタンを押した。
そして熊切は、
「やっと出たかよ!熊切さん、今・・・!」
「シーくん!こんばんは!飛鳥だよ~!」
「アス・・・!?な!?え!?おい、どう・・・あ」
ズドオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!
ツー、ツー、ツー。
熊切は、飛鳥が大好きなお兄ちゃんである通話相手、天出雲時雨が今ので動揺し、何らかの爆発的なそれに巻き込まれて通話が切れてしまったことを漏れ出た音声から悟って、気まずさに頬を引きつらせた。