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06



「降服に来たのだろう、シャーネ。少しは神妙な顔をつくったらどうだ。いくら可愛い姪御どのとはいえ、そんなにふてぶてしい顔をされてはわたしの立場がない」


 リースの言葉に護衛兵が下卑た笑い声を上げた。斜め後ろからカルマの視線を感じるが、 シャーネは動じずに背筋を伸ばしたまま前を見据えていた。

 心配しなくとも、これくらいで怒り出したりはしないさ。 王たる者、忍耐が肝心だとわたしに散々口を酸っぱくして言ってきたのはお前だろう。

 心の中で呟き、シャーネは一段高い位置に居るリースを見上げると厳かに口を開いた。


「叔父上、ひとつお訊きしたいことがあるのですが」

「構わないよ」

「なぜ、父上を殺害されたのです。王の座欲しさですか。わたしには、とてもそうとは思えない」


 場の空気が一転して、しんと静まり返った。温度がすっと下がった気すらした。その中でただひとり、全く顔色を変えずにリースは頬杖をつく。


「知らなかったのか? ひとり娘でありながら自らの父の狂行を」

「巷に流れている、根も葉もない戯言はもう結構。わたしは叔父上の真実を知りたいのです。降服をするためにも」


 リースは頬杖をついたまま、片手で宙を払う仕草をした。それを見た護衛兵が、 後ろ髪を引かれるようにテントを後にする。カルマもそのうちの二人に両脇を固められて連れて行かれた。 心配そうな顔つきのカルマにシャーネは肩越しに振り向き、僅かに頷いて見せる。テントにはシャーネとリースだけが残った。


「で? 根拠を聞こうか」

「わたしを殺さなかった」

「なるほど?」


 リースはシャーネとよく似た目元を細め、楽しげに彼女を見下ろした。


「父上はかつてこの国一と謳われた武人。彼を殺せる腕を持つ駒を手にしていながら、わたしを殺さなかった理由はなんですか。機会はいくらでもあったはずです。こんな面倒な戦いをする必要もなかった」

「狂王はともかく、罪のない皇女までもを実の叔父が手がけたとあれば、わたしの評判も地に落ちるだろうよ。女子どもを殺すのは気もすすまない」

「戯言はもうたくさんと申し上げたはずだ」


  柳眉をすっと顰め、シャーネは低い声でリースをにらみつけた。王の貫禄が漂うその様に、 しかしリースは含み笑いを漏らしただけだった。


「君は軍師として戦場を駆け回った世にも珍しい姫君だ。騎士団とも繋がりが深い。 復讐の念に駆られた輩を相手にするのはなかなか骨が折れるものだと、君も経験上知っているだろう?  王に忠誠を誓った騎士団はいずれにせよ始末する必要があった。誰が兵をひくにしろ、 戦いはするつもりだったということだよ。まあ、騎馬隊までそちらについたのは少々計算外だったがね」

「納得できませんね。いくら騎士団が優秀だといっても、今あなたの持っている兵力の前では微々たるもの。 民の風評にしても、あなたのお得意のその口でどうにでもできたはず。わたしの悪評を死んだのちに言いふらせばいい。 ……父上に、そうしたように」

「なるほど、なるほど。ただのじゃじゃ馬ではなかったようだ」

「今更ですか。 わたしはあなたの邪悪さに幼い時分から気づいていた」

「邪悪さとは、酷い言われようだ。まったく、シャグナさまと似ているのは顔だけか」

「母上の名を口にだすなと言っている!」


 厭わしさに思わず声を荒げ、すぐにしまったとシャーネはリースから目をそらした。

 自制心なくしてこの男とは渡り合えない。落ち着け、と言い聞かせながら、握った手の中で密かにツメを掌に押し当てる。痛みは微かだが、気を静めるには充分だった。


「どうやら生半可な答えでは納得してもらえそうもないようだな」

「ええ」

「全く。姪御でなければ、降服の相手にこんな破格の待遇はしないんだが。まあ、いいだろう。――聞いているかい? 彼女は真実をご所望だ。入っておいで」


 口元に笑みを乗せたまま、リースは後ろを軽く振り返り誰かを呼び寄せた。身構えたシャーネはしかし、 タペストリーの後ろから現れた人物に目を見張る。

 自分の顔よりも見慣れた顔。赤茶の髪と目。



「ジノ」



 常になく沈んだ目をした幼馴染の名をシャーネは呆然と呟いた。

「おまえ、どうしてここに」

「後をつけてきた。おまえがテントを出てからすぐに」

「違う。なぜおまえがこんなところに居るんだ……?」

「だから、君の後をついてきたと言っているじゃないか」


 楽しくて仕方ないといった口調でジノの肩に手を乗せたリースを見て――それを拒絶しないジノを見て――シャーネは唇を戦慄かせて目を見開いた。

 状況の理解ができない。思考を停止させては駄目だと本能は訴えているのに、何も考えることができない。現実としての認識を脳が拒否しているかのようだ。

 リースはシャーネの元に寄ると、強張った彼女の身体をほぐすように頬を撫で、状況に不似合いな柔らかな声で囁いた。


「彼は実によく働いてくれたよ。君の戦略は奇抜すぎるからね、彼の手助けなしではこちらが負けていたかもしれない」

「うそだ、」

「なぜ? 敵側の彼がわたしのテントにこうやって無事に来れるわけがないだろう」

「うそだ、ジノがわたしを裏切るはずがない……」

「頑固だな。まあ確かに彼の場合、裏切りとは少しちがう」

「……何をした!」


 シャーネは叫んだ。怒りに顔を歪ませて。


「おまえがジノに何かを吹き込んだに決まっている、何をしたんだ!」


 答えろ! と必死の形相で掴みかかろうとするシャーネを止める腕があった。ほんの数時間前、柔らかく頭を撫でた手だ。

 ドレスの衣擦れと甲冑の硬質な音がもみ合う中、リースはやれやれといった顔つきで肩をすくめると再び元の椅子に腰掛けた。この残酷な状況を観賞するかのようにゆったりと椅子に身を沈め、足を組む。

 シャーネは抑えつけようとするジノの腕の中で必死に身を捩りながら、怒りに燃えた目でリースを睨みつけた。


「シャーネ、落ち着け」

「落ち着け? ふざけるなッ! お前、こいつに何をされた!」

「なにも」

「まさか誰かを人質に取られているのか? それとも」

「ちがう、おれの意思だ。誰に強制されたわけじゃない。おれが自分で決めた」


 まっすぐと自分を見るジノをシャーネはありえないものを見るように見つめ返し、ちいさく首を振った。床に崩れ落ちたシャーネを寸でのところでジノが抱きとめる。

 冷えた甲冑の胸元に頬を押し付けながら、シャーネはこみ上げる感情を抑えることができなかった。

 出立以前に考えていた、死への恐怖だとか、父の暗殺の謎を問い詰めることだとか、残った兵の皆を守る取引をどうすればいいだとか、そんなものは全て頭から飛んでいた。

 ただ目の前の出来事にかつてないほどの深い絶望を感じていて、それが全てだった。


「なんで。なん、でお前が」


 しゃくり上げながら拳で胸を叩いてくるシャーネをきつく抱きしめ、その耳元でジノは掠れた声で囁いた。悲痛に満ちた声だった。


「おまえを誰にも渡したくなかった」


 その言葉にシャーネは緩慢な動作で顔を上げた。いつもは強い意志の力を宿す瞳がぼんやりとジノを見つめる。


「誰にも渡したくなかったんだ。小さい頃からずっと。少しでもおまえに相応しい男になりたくて騎士になったけど 、国一番の称号をもらってもおまえとは吊り合えなかった。所詮、中流の出だもんな。何度も、何度も何度も諦めようと努力したんだ。 けど、それなのに……」


 涙はいつの間にか止まっていた。それなのに、その跡を繰り返し指で拭う幼馴染からシャーネは目を離せない。 感覚が鈍く、羽虫のような耳鳴りがしている。神経のどこかがぷっつりと切れているかのように。


「なのに、シャーネは王女っぽいことなんて全然しなくて、おれと一緒に戦場にまで来て。 いずれ誰かのものに、おれじゃない誰かちゃんとした貴族の男のものになるのに。何の拷問だって話だよな? そうだろ」

「ジノ、」

「……どんなにおれが苦しかったかなんて、おまえにはきっと理解できない。 どんなにおまえを憎く思ったか、どんなに触れたかったかなんて」


 おまえには、絶対にわからない。







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