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03


 父である前王が逝ったのは半年前のことだった。


 母である王妃は既にシャーネが五歳の時にこの世を去っており、それまで専ら軍師として戦場にばかり身を置いていた一人娘のシャーネは、自動的に葬儀の次の朝には王として王座に座ることとなったのだ。

 十八になったばかりだった。至上最年少の女王の誕生である。

 しかしそれは同時に、波乱の幕開けでもあった。


 革命。


 それは前王が自然死ではなく、暗殺されたことを皮切りに始まった。実行犯は未だ不明だが、首謀者は革命軍のリーダーである人物。シャーネにとって叔父にあたるリースという男であり、今回の戦いの相手でもある。

 前王は厳格な分け隔てのない人格者だったがただひとり、腹違いの弟であるリースは別だった。兄弟というには年が十以上離れていたからかもしれない。腹心として常に側に控えさせ、意見を仰いでいた。




  ひとつ、幼心に焼きついた記憶がある。母である王妃が死んだときのことだ。シャーネは五歳、リースは二十二歳だった。

 二十八歳という若さで亡くなった王妃の葬儀は盛大に行われた。隣国グルトの第三王女だった彼女は、その美貌と誰をも和ませる天真爛漫な気質で自国では勿論、この国でも国民の人気と尊敬の念を集めていた。それ故に、嘆きも深かった。


 しかし、夫である王の嘆きに比べれば如何ほどのものだというのだろう。

 ふたりの間には八歳の年の差があったが、王の寵愛ぶりは他国でも噂されるほどだったのだ。数えきれぬほどの吟遊詩人がその仲睦まじさを歌に乗せて語った。

 同盟交渉のためグルトを訪問した王から一心不乱に口説き落とされたという話は、王妃がよく好んでしていた笑い話である。そのために当初は三日の滞在が一ヶ月に延びたのだと彼女が茶目っ気たっぷりに話すのを耳にしては、さすがの王も普段の厳格な様相を崩して苦笑したものだ。



 葬儀の当日、その日は例年よりも冷え込んだ冬の日だった。昼近いというのに太陽は雲の陰から出ようとせず、霧雨が降っていた。

 うっすらと靄の立ちこめる墓場で、ジノと手をつなぎながら参列者と歩むシャーネは涙を抑えきれずにいた。泣き叫ばずに済んだのは、冷えた空気の中でジノの手のぬくもりを感じていたからだ。

 最高位の神官が王妃のために厳かな祈りを捧げる。最後に、黙祷を、と告げられ、シャーネは周りの大人たちを真似て胸元で手を組んだ。思いつく限りの祈りの言葉を胸のうちに唱え、母の冥福を祈りながら。


 なのになぜだろうか、途中で目を開けてしまったのは。

 そしてシャーネは見た。すぐ横に佇ずんていた叔父の顔を。


 リースは笑っていた。

 人形のように整った顔を歪め、いつもの愛想のいいそれと完全に種を異にする笑みをゆるく口元に刻んでいた。王妃の墓を見つめながら。

 嘲りのような、怒りのような。

 幼心にも不気味な恐怖を覚えた。叔父が異形のように思えたのだ。


 黙祷が終わり、人々が顔を上げたときには既にリースは、薄幸だった義姉の死を悼む、ただの美しい青年へと戻っていた。





 ――信頼していた弟の裏切りを、父上は死ぬ前に知っただろうか。


 夜空に惜しげもなく散らばる綺羅星を眺めながら、シャーネは考える。

 もちろん今となっては確かめようもないが、おそらく知った――いや、知らされたのではないだろうかと思う。絶望に浸った父の顔を見るために。


 リースは前王を殺害したときには既に、主な貴族と手を組み密かに革命軍を立ち上げていた。そればかりでなく、死んだ前王は賢者の皮を被った狂王だったと何の根拠もない、しかしいかにも信憑性のある戯言を流し、民の心までもを揺らした。

 前王が死ぬ直前に行っていた、貴族層と比較的裕福な民に対する税の格上げも少なからず影響していたのだろう。

 しかし、それが決してリースのいう己の私利私欲のためではなく、収賄問題が相次ぎ腐敗しつつあった貴族を戒めるための苦渋の選択であり、そうして得た税は国の貧富の差を埋めるため、そして近年不作に苦しむ近隣諸国から流れてくる難民救済のためだったのだと、どんなにシャーネが声を張り上げても無駄だった。

 この国の人々は一体父のなにを見ていたのかとシャーネは絶望した。


 唯一、味方となってくれたのは貧しい身分の者と難民たち、そして誇りを捨てずにいた一握りの貴族だった。

 それでも、ジノのいる王室騎士団と数多の戦歴を誇る騎馬隊を手に入れられたのは幸運だったのだろう。おそらくジノは、たとえ騎士団を敵に回そうとも自分についてくれたかもしれないが。

 騎馬隊は幼い頃からよくジノと馬を見に出入りしていたところであったし、隊長格の男は昔なじみで兄も同然の人物だ。ふたつ返事で協力を約束してくれた。感謝してもしきれない。

 しかしその彼も背中に深い傷跡を負い、今はテントで休んでいる。本人は出ると言ってきかないが、明日の戦闘は無理だろう。


  ――わたしがもっと、上手い戦略を考えられれば………!


 きつく閉じたまぶたの裏には、縦横無尽に引かれた線が滅茶苦茶にうねっている。 幼い頃から不安になったり恐ろしくなったときはいつも、この不可解な線を見た。皮膚を掻き毟りたくなるほど気持ち悪く、しかも増え続ける線に怯え泣くシャーネを王妃である母はよくこんな風にあやした。


『いい? イメージが大切よ。まずはね、フェルト生地の布を思い浮かべるの。色は何がいいかしら』

『……青?』

『どんな青?』

『今日の空みたいな、明るい青』

『今日はとっても天気がよかったものね。じゃあ、次はその青いフェルトの布でね、ぎゅっとその線を消すの。力いっぱい、ぎゅうっとね! どう?』

『……なんか薄くなった』

『じゃあ、もっとぎゅうっとしましょう』


 そう悪戯っぽく笑ってシャーネをぎゅうぎゅうに抱きしめてくる母は、いつもほんのりとローズマリーの香りを身に纏っていた。

 乳母であるジノの母親も勿論好きだったが、偶にしか会えない母親は別段だった。いつも朗らかで、少女のような無邪気な人だったと記憶している。


 ――母上、わたしはどうすればよいでしょうか。


 心のうちで問いかけても、記憶の中の母親は優しく微笑むだけだ。

 ふいに涙が目尻に滲んだ。自分の弱さと無能さが、吐き気がするほどに厭わしかった。





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