退屈したり、疲れたり。
疲れた。どうしてこんなにも疲れているのかわからないくらいに、疲れた。私って、こんなにも弱っちかったかな。
自分の頭を自分の手で撫でてやりながら、頭を撫でられるのって気持ちいいな。なんてことを思いながら、季節の音に耳を澄ませて、少しずつ、ゆっくりと心に隙間をこじ開けて、それで空いた隙間にまた何かを捩じ込んで、まるで散らかった部屋が片付いていくような感覚で。
繰り返し、何度でも片付けて、散らかって、とっ散らかって、叫びそうになって、文句を言いながら片付けて、ふと振り返ってみると、あっという間に季節は移り変わっていて。
これが大人かぁ。なんて思う。
噛みちぎれないホルモンとかスジ肉みたいに、意外とこの心は頑丈で、だけどボロボロになってしまうものではあって、だけどそれは、思いもよらないことで回復したり、反対に切り裂かれたり、決して一方通行に腐敗していくものではなくて。
退屈だな。と考えてしまうのは、思いのほか心が健康な状態であって、なんだか運動会の徒競走で順番待ちしている子供みたいな元気さを感じる。それで、色々とやってみようかなと思うには、思う。目的も決めずに電車やバスで遠くに行ってみたりとか、岩盤浴とかサウナとか、良いなと思う。思いながら、布団でもソファーでもなくカーペットに寝そべって、テレビ台に溜まっている埃と睨めっこしている。後でやっつけてやるからな。なんて、手足を生やして意思を宿した自堕落の蓄積と闘う妄想に耽っている。
背中に乗っかる退屈があまりに重たくて、動けなくて。
とはいえ、私も大人なものですから、お腹が空くと起き上がる。
お米を炊いて、お味噌汁を作って、魚を焼いて。
食べているうちに退屈も軽くなって、埃を拭き取ったり、霞んだ鏡を拭いたり、そんなこんなしていると夜になって休日が終わる。
部屋が散らかる。どうしてすぐに散らかるのだろうか。掃除しても片付けても、どうせまた散らかるのだ。どうせ散らかるのだから、もういっそこと散らかしておけばよいのでは?
疲れた。散らかった部屋の真ん中で、呆然と立ち尽くしている。
あーもー、わかったよ。わかりました、片付けますから。ええ、そうですよ。散らかしたのは私ですから、それでもって、散らかった部屋を見て疲れるのも私なわけです。片付けるのも私なのです。誰かに言われたわけではなく、片付けることを選んだのも私というわけです。
何してんだか。ほんと、何してんだか。
潰れたペットボトルを拾いながら、くしゃくしゃのティッシュをかき集めながら、ペタペタと足音をさせて部屋の中をうろちょろしている。
退屈したり、疲れたり、私は今日も忙しい。




