【暴食の章】歪みは、知識の形をしている
数日後、クロノスからある研究所へ案内される。
そこへ向かう道は、食都の中心からわずかに外れていた。
幹と外樹を繋ぐ主要路から一本外れただけで、空気が変わる。
人通りは減り、屋台の声も遠のき、代わりに石畳を踏む足音だけが響いた。
「ここだ」
クロノスが足を止める。
そこにあったのは、奇妙な建物だった。
外見だけなら、古い魔導研究棟に見える。
だが――
「……歪んでるな」
サミエムが率直に言う。
壁の角度が微妙に狂っている。
窓の配置も不揃いで、まるで“後から無理やり付け足した”ようだった。
「建築年代が違う部分が混在している」
クロノスが淡々と説明する。
「増築に増築を重ねた結果だ。彼は、研究のためなら景観も導線も気にしなかった」
「彼、ね」
主人公は建物を見上げながら呟く。
「クラウソラス」
その名を口にした瞬間、
感情の色が、建物の内側からわずかに揺れた。
黒に近い灰色。
だが、完全な闇ではない。
「まだ残ってるな」
主人公の言葉に、クロノスは視線を向けた。
「見えるのか」
「……残り香みたいなもんだ」
魂が、ここに“居た”痕跡。
「入るぞ」
クロノスが扉に手をかける。
鍵は、かかっていなかった。
扉が軋む音を立てて開く。
中は、予想以上に静かだった。
埃の匂い。
薬品の残香。
そして、どこか生臭い空気。
「……整理されてない」
サミエムが言う。
「整理する気がなかった」
クロノスは即答した。
「彼にとって、研究は“生き物”だった。完成させるものではなく、増殖させるものだ」
廊下の両脇には、無数の棚。
古文書、魔導書、記録用の水晶。
そのほとんどが、魂術に関するものだった。
「魂を扱う研究は、帝国でも忌避されがちだ」
クロノスが歩きながら語る。
「だが、クラウソラスは違った。彼は――」
一瞬、言葉を選ぶ。
「恐れなかった」
「尊敬してた?」
サミエムが聞く。
クロノスは否定も肯定もしなかった。
「才能はあった。執念もあった。だが……」
足を止める。
「境界線を引けなかった」
主人公は棚の一つに目を留めた。
水晶に刻まれた記録。
「……被験体、って書いてある」
「見なくていい」
クロノスが言う。
「だが、見ておけ。お前は、同じ道に立っている」
水晶に触れた瞬間、
断片的な映像が流れ込んでくる。
――魂を縛られる感覚。
――悲鳴。
――喜びと、成功の高揚。
そして。
記録者の感情が、異様に薄い。
「……感情が、ない?」
主人公が呟く。
「抑えていた」
クロノスが答える。
「罪悪感も、恐怖も。研究のノイズになるからな」
「それで、何を得た?」
サミエムの声は低い。
「歪みだ」
クロノスは即答した。
「力ではない。完成でもない。ただの、歪み」
研究室の最奥。
そこには、円形の魔法陣が刻まれていた。
魂縛用の陣。
だが、主人公が知っているものとは違う。
「……これ」
主人公は息を呑む。
「魂を、固定する陣じゃない」
「そうだ」
クロノスは静かに言う。
「これは、魂を解体するための陣だ」
サミエムが一歩下がる。
「正気かよ……」
「正気だったからこそ、ここまで来た」
クロノスは陣を見下ろす。
「彼は、魂を部品として扱おうとした」
「帝王殺しのため?」
「最初は違う」
クロノスは首を振る。
「世界を理解するためだ」
主人公は陣の中心を見る。
そこには、わずかに残った魂の欠片が漂っていた。
壊れきれず、消えきれず。
「……失敗作?」
「成功例だ」
クロノスの言葉に、二人は顔を上げた。
「魂を壊さず、完全にも縛らず、分解したまま留める」
「それって……」
「人としては、最悪の状態だ」
沈黙。
「だから、研究は止まった」
クロノスは言う。
「いや、止めた」
その言葉の重さに、主人公は気付く。
「クロノスが?」
「ああ」
「クラウソラスを?」
「……討伐した」
主人公は、感情の色を見る。
後悔。
嫌悪。
そして、わずかな安堵。
「お前の魂術は、違う」
クロノスは主人公を見る。
「縛る前に、理解しようとする」
「同じだろ」
「違う」
きっぱりと。
「お前は、相手の感情を見ている」
主人公は言葉を失った。
「だから、見せた」
クロノスは研究所を見回す。
「ここは、行き止まりだ。だが……」
一拍置く。
「同じ場所に立つ者には、必要な景色でもある」
研究所を出る時、
主人公はもう一度だけ、振り返った。
歪みは、知識の形をしている。
だが――
「……越えられる」
そう、確信できた。




