表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/80

【暴食の章】食都は笑い、影は増える

食都の一番街は、常に音で満ちている。


 鉄鍋を叩く音。

 魔導具の稼働音。

 呼び込みの声と、値切りの怒鳴り声。

 それらが幾層にも重なり、街全体が一つの巨大な生き物のように脈打っていた。


 主人公一派が通りに足を踏み入れた瞬間、視界は一気に色づく。

 赤、橙、金――祭りを前にした布飾りが建物から建物へと張り巡らされ、風に揺れている。


「……派手だな」


 サミエムが率直に言った。


「派手でなければ食都じゃない、ってやつか」


 ヴァルドは肩をすくめる。

 彼らの少し前を歩きながら、通りの左右を警戒するように視線を走らせていた。


 騎士団長としての彼は、街の喧騒の中でも異質だ。

 鎧を着ているにもかかわらず、通行人は彼を避けすぎない。

 畏怖でも尊敬でもなく――慣れ。


 それ自体が、この街の長い歴史を物語っていた。


「三賢者の面接を終えた直後に、ここを歩くとはな」


 ヴァルドがぼそりと言う。


「気が休まらんだろう」


「正直に言えば、はい」


 主人公は視線を巡らせながら答えた。


 通りを行き交う人々の感情の色は明るい。

 期待、興奮、焦燥、熱狂。

 だが、それらがどこか過剰だった。


(押し上げている、か)


 内側から湧き上がるというより、無理に盛り上げているような――そんな違和感。


「祭り前は、皆こうなる」


 ヴァルドは前を見たまま言う。


「明日が来る保証なんて、誰にもない。だから今日を騒ぐ」


 言葉は軽いが、声は重かった。


 一番街を進むにつれ、屋台の密度はさらに増していく。

 肉を焼く脂の匂いが濃くなり、甘味の香りがそれを覆い隠す。


 だが――不意に、それが途切れた。


 ほんの数歩分。

 屋台が避けるように配置され、通行人の流れも、そこだけ僅かに歪んでいる。


 石畳に残る、黒ずんだ染み。


 既に洗われている。

 だが完全ではない。


 血の名残。


「……ここもか」


 ヴァルドの声が低くなる。


「最近、多いんですか」


 主人公が尋ねると、ヴァルドは一瞬だけ口を閉ざした。


「“公式”には、増えていない」


 その言い回しが、答えだった。


 サミエムは血痕をじっと見つめている。

 彼女の感情の色が、わずかに揺れた。


「誰も、気にしていない」


「気づいていないんじゃない」


 ヴァルドが訂正する。


「気づかないふりをしている」


 通りの人々は、確かに血痕を避けて歩いている。

 だが視線は合わせない。

 祭りの装飾や屋台に視線を固定し、そこに何もなかったかのように振る舞っている。


「大祭前だ」


 ヴァルドは続ける。


「騒ぎを起こせば、騎士団が来る。騎士団が来れば、商売が止まる。商売が止まれば、祭りに出せる金が減る」


「……だから、黙る」


「ああ」


 ヴァルドの感情の色は、澄んだ青。

 だが、その底に疲労と諦念が沈殿している。


「皆、今日を越えたいんだ。

 祭りさえ終われば、帝王の行幸がある。

 帝王が来れば、祝われる。

 祝われれば……何かが許された気になる」


 主人公は、その言葉に引っかかりを覚えた。


「“許される”?」


 ヴァルドは、ほんの一瞬だけ主人公を見た。


「食都ではな。

 腹が満ちれば、罪は薄れる」


 その言葉は、冗談のようでいて、冗談ではなかった。


 一番街を抜け、少し脇道に入る。

 途端に、音が変わった。


 喧騒が一段落ち、代わりに聞こえるのは低い声と、短い怒号。

 建物も装飾が減り、布は色あせ、魔導照明の数も少ない。


「ここから先は?」


「裏、というほどじゃない」


 ヴァルドは言う。


「だが表が表であるために、切り捨てられている場所だ」


 道の端に、座り込む男がいる。

 痩せてはいない。

 むしろ体格は良い。


 だが、目が虚ろだった。


 主人公の視界に、感情の色が映る。

 薄い灰色。

 ほとんど、何もない。


「……あれは」


「患者だ」


 ヴァルドの声は淡々としている。


「最近、増えている」


「病気、ですか」


「そういうことになっている」


 曖昧な言い方。

 だが、ヴァルドはそれ以上踏み込まない。


 通りを行く人々は、その男を避ける。

 誰も声をかけない。


「治療は?」


「追いついていない」


 ヴァルドは拳を握り、すぐに開いた。


「騎士団は医療組織じゃない。

 治安が崩れれば対処するが……崩れる“前”には、できることが少ない」


 主人公は、胸の奥に引っかかるものを覚えた。


(これが……滲みか)


 表の華やかさが強ければ強いほど、

 その裏で吸い取られる何かが増えていく。


「三賢者は、この状況を?」


「知っている」


 即答だった。


「だが、判断は彼らの領分だ。

 俺は剣を振るうだけの男だ」


 自嘲でも卑下でもない。

 ただの事実としての言葉。


 通りの奥で、怒鳴り声が上がった。

 一瞬、空気が張り詰める。


 だが、すぐに笑い声にかき消される。

 周囲の人々は、何事もなかったかのように動き続ける。


「……本当に、何も起きないと思いますか」


 主人公の問いに、ヴァルドは足を止めた。


 少し考え、静かに言う。


「思わない」


 短い答えだった。


「だが、止める方法も分からん」


 それは、騎士団長としての敗北宣言にも聞こえた。


「君たちは、もうこちら側に足を踏み入れている」


 ヴァルドは振り返る。


「三賢者に認められ、帝王に謁見した。

 嫌でも、街の歪みに関わることになる」


 主人公は、外樹の夜を思い出す。

 餓えた視線。

 黙殺される存在。


「……覚悟は、しています」


 そう答えると、ヴァルドはわずかに笑った。


「ならいい」


 だが、その笑みは安堵ではなかった。


「覚悟がある者ほど、折れる時は派手だ。

 気をつけろ」


 夕刻、魔導照明が一斉に灯る。

 一番街の方向から、歓声が上がる。


 祭りの準備は、順調だ。

 誰もがそう思っている。


 その足元で、

 灰色の感情が、静かに増え続けていることに気づかないまま。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ