【暴食の章】踏破の報告、そして席への呼び声
アルシャルノ山を下りた時、足は棒のようになっていた。
疲労だけではない。
山で置いてきたものが、あまりにも多かった。
村へ戻ると、最初に出迎えたのは沈黙だった。
歓声も、驚嘆もない。
ただ、人々がこちらを見つめている。
それは、期待ではなく――畏れに近い視線だった。
未踏破の山から、生きて帰った。
それだけで、十分すぎる理由になる。
宿の一室で、最低限の治療を受ける。
包帯を巻かれながら、俺は思う。
(これで、終わりじゃない)
アルシャルノ山は踏破された。
だが、それは始まりに過ぎない。
翌朝。
村の外れに、使者が現れた。
暴食帝国の紋章を掲げた、正式な騎士。
「魂術師・灰崎零」
名を呼ばれ、空気が張り詰める。
「アルシャルノ山踏破の件、
並びに金色熊討伐の報告を受理した」
騎士は、続ける。
「ベルフェゴール陛下より、
直々の招集が下っている」
その言葉に、アレクシエルが息を呑んだ。
暴食帝ベルフェゴール。
帝王の中でも、最強格とされる存在。
その名を聞くだけで、重圧がかかる。
「三賢者の席についての話だ」
騎士は、淡々と告げた。
俺は、ゆっくりと頷く。
「承知しました」
――こうして、引き返せない場所へ進む。
食都。
暴食帝国の中心。
その光景は、初めて訪れた時よりも、
どこか違って見えた。
街は相変わらず巨大で、
幹のように中心へ向かって広がる構造をしている。
一番街は、相変わらず眩しい。
だが、今回は気づく。
その外側に広がる影の存在に。
――飽食の裏側。
城へ通される。
謁見の間は、想像以上に広かった。
そして。
玉座に座る存在を見た瞬間、
言葉を失う。
――巨体。
ただ大きいのではない。
圧倒的だった。
ベルフェゴール・エドム。
暴食帝。
その肉体は、肥満とは違う。
異常なまでに詰め込まれたエネルギーの塊。
視線を向けられただけで、
体の内側を見透かされる感覚に襲われる。
「……来たか」
低く、腹に響く声。
それだけで、場の空気が支配される。
「アルシャルノ山」
ベルフェゴールは、指を一本立てた。
「数百年、誰も踏破できなかった地だ」
一拍置く。
「よく、生きて帰った」
称賛。
だが、そこに感情は薄い。
評価。
価値の測定。
それだけだ。
「金色熊を討ったそうだな」
俺は、否定しなかった。
「完全な討伐ではありません。
相打ちに近い形です」
「十分だ」
即答だった。
「結果が全てだ」
ベルフェゴールは、身体を僅かに前に傾ける。
「アルシャルノ山踏破のレポートを提出せよ」
「……はい」
「それをもって、条件は満たされた」
条件。
その言葉の意味を、誰もが理解する。
「――三賢者の一席」
場が、ざわめく。
「魂術師・灰崎零」
ベルフェゴールは、はっきりと言った。
「貴様を、暴食帝三賢者の一人として迎える」
逃げ場はない。
栄誉でもある。
だが、それ以上に――責任だ。
「拒否権はない」
言葉は、静かだった。
だが、絶対だった。
「この国の“主柱”になれ」
俺は、一歩前に出る。
「……承りました」
その瞬間。
自分の立場が、明確に変わったのを感じる。
冒険者ではない。
傭兵でもない。
帝国を動かす側。
犠牲を、選ぶ側。
ベルフェゴールは、満足そうに頷いた。
「近く、祭りがある」
祭り。
その一言に、嫌な予感が走る。
「その場で、正式な披露とする」
帝王は、言葉を切る。
「――覚悟しておけ」
その言葉は、脅しではない。
忠告だった。
謁見の間を出た後。
サミエムが、静かに言う。
「……もう、戻れないな」
俺は、答える。
「ああ」
アルシャルノ山を越えた。
英雄の名を刻んだ。
そして今。
俺たちは、
帝王殺しへ至る道の、正式な入口に立っている。
まだ誰も、それを口にはしない。
だが――。
この国の“均衡”は、
確実に、揺れ始めていた。




