【暴食の章】黄金を喰らうもの
夜明けは、唐突に訪れた。
アルシャルノ山の朝は静かだ。
鳥の声も、風のざわめきもない。
ただ――重い。
空気そのものが、金属の塊になったかのように肺へ沈み込む。
「……ここから先は、特に注意しろ」
セレンが低く言った。
彼は先頭に立ち、山肌を睨むように見据えている。
かつて、調査団を率いてこの山へ挑み、生き残った唯一の男。
その背中は、年老いてなお、異様な緊張を纏っていた。
「磁場が強くなる」
アレクシエルが短く補足する。
腰の方位磁石は、既に役に立たない。
針は狂ったように震え、定まることを拒んでいる。
魔術師にとっても、この山は最悪だ。
詠唱の感覚が、微妙にずれる。
魔力の流れが、普段とは違う。
まるで世界の法則そのものが、歪められているかのようだった。
「金鉱脈と磁場の干渉だ」
セレンが続ける。
「魔術の制御が乱される。
集中を欠けば、暴発するぞ」
サミエムが喉を鳴らした。
「……嫌な場所だな」
「未踏の理由は、それだけじゃない」
セレンは足を止める。
その瞬間、俺は感じた。
――重圧。
視界の奥で、色が歪む。
(来る)
合図を出す前に、それは現れた。
地鳴り。
岩が、砕ける音。
山肌が、盛り上がる。
次の瞬間――。
黄金。
いや、金そのものが、動いた。
巨体が姿を現す。
熊の形をしている。
だが、生物としての曲線がない。
装甲。
塊。
歯車の集合体のような異質さ。
全身を覆う金属質の体表が、朝の光を反射し、目を焼く。
「……金色熊」
セレンの声が、掠れた。
感情を見る。
恐怖。
憎悪。
後悔。
それらが、濁った色となって渦を巻いている。
だが――。
(金色熊の感情が、ほとんど無い)
俺の予想は、確信に変わる。
これは、生物ではない。
少なくとも、普通の意味では。
金色熊が、一歩踏み出す。
その足元で、岩盤が砕けた。
「来るぞ!」
アレクシエルが叫ぶ。
次の瞬間、金色熊の腕が振り下ろされた。
――速い。
巨体に似合わない速度。
地面が抉れ、衝撃波が走る。
俺たちは散開した。
サミエムが前へ出る。
「はああっ!」
剣が閃く。
エンチャント。
刃に、複数の属性が重ねられている。
雷、風、貫通。
だが――。
金色熊の体表に、ほとんど傷は付かない。
「硬すぎる……!」
「金を喰ってる!」
セレンが叫ぶ。
「純度の高い金を摂取しているほど、防御力が上がる!」
金色熊が、地面に転がる金鉱石を掴み、口へ放り込む。
ギシギシと、不快な音。
その瞬間、体表の輝きが増した。
「魔法が効きにくくなるぞ!」
アレクシエルが歯噛みする。
俺は、冷静に観察する。
――金の質。
純度が変わると、反応が変わる。
つまり。
「……粗悪な金を与えれば」
呟く。
セレンが、俺を見る。
「弱体化する」
「そうだ」
彼は、苦笑した。
「それを思いつけた奴は、過去にもいた」
声が、重くなる。
「だが、成功しなかった」
金色熊が、再び動く。
今度は突進。
山肌が崩れ、視界が揺れる。
その中で、俺は確かに見た。
金色熊の体内。
金属の流れ。
魔力の循環。
――不安定。
腐食剤が効いている。
だが、足りない。
(あと一歩……)
その時だった。
セレンが、一歩前へ出た。
「零」
振り返る。
彼の表情は、静かだった。
「俺が、隙を作る」
「セレン――」
「いい」
遮られる。
「これは、俺の過去だ」
彼は、袋を取り出す。
中身は、鈍い色の金属塊。
「粗悪な金だ。
不純物だらけのな」
俺は、嫌な予感を覚える。
「まさか……」
「相打ちだ」
淡々と、言う。
だが、以前と違う。
「だが今回は、違う」
彼は、金属塊を投げた。
金色熊が反応する。
それを、喰った。
次の瞬間。
――異音。
金色熊の動きが、止まる。
体表が、鈍く濁る。
「今だ!」
俺は、詠唱を始めた。
魂術。
だが、まだ完全じゃない。
不安定。
それでも――。
感情を見る。
金色熊の内部に、微かな揺らぎ。
拒絶。
異常。
不快。
(これだ)
その瞬間。
視界の端に、あの黒が映る。
アリフィカ。
彼女は、何も言わない。
だが、見ている。
選択を。
俺は、呪文を放った。
――魂縛。
金色熊が、咆哮を上げる。
初めて聞く、生物の声。
成功か、失敗か。
それは、まだ分からない。
だが確実に言える。
アルシャルノ山は、
もう“同じ悲劇”を繰り返す場所ではなくなった。
その境界線に、俺たちは立っている。




