【暴食の章】勅命
クラウソラスを討った翌日。
街は、奇妙なほど静かだった。
歓声もなければ、悲嘆もない。
暴食帝国の中枢に名を連ねる三賢者の一人が死んだという事実は、まだ誰にも知られていない。
いや――正確には、「知らされていない」。
死体は回収され、戦闘の痕跡は消され、関係者は口を閉ざした。
あまりにも手際が良すぎる隠蔽だった。
(……世界は、思っていたより静かに人が死ぬ)
宿の窓から外を眺めながら、僕はそんな感想を抱いていた。
感情の色を見る力を使っても、街に大きな波は立っていない。
あるのは、いつも通りの食欲と、些細な不満と、無関心。
帝国は、帝王を中心に回っている。
その歯車の一つが欠けたところで、すぐには軋まない。
――そのはずだった。
朝も早く、扉が叩かれた。
「零、起きてるか」
低く、落ち着いた声。
ヘリオだ。
「来ている。使者だ」
「……誰から?」
「決まっているだろう」
一瞬、胸の奥が冷えた。
扉を開けると、廊下の先に二人の男が立っていた。
揃いの外套、控えめな装飾。だが隠しきれない威圧感。
感情を見る。
――恐怖はない。
だが、絶対的な“確信”がある。
命令を伝えるためだけに存在する人間の色だった。
「灰崎零殿」
一人が名を呼ぶ。
「強欲帝マモン陛下より召喚が下った。
本日、正午。王都中枢にて謁見を」
拒否権がない言い方だった。
「……分かりました」
短く答えると、使者は一礼し、そのまま踵を返した。
必要な言葉は、もうすべて伝えたというように。
廊下に残されたのは、僕とヘリオだけだった。
「予想通りだな」
ヘリオが言う。
「早すぎる気もします」
「クラウソラスを失った以上、
“次”を決めなきゃならない」
ヘリオの視線が、僕を捉える。
「そして、お前は――
もう、選択肢の外にはいない」
その言葉の意味を噛み締める間もなく、
正午はすぐにやって来た。
王都中枢。
強欲帝の謁見室は、思っていたよりも簡素だった。
豪奢ではあるが、見せびらかすような装飾はない。
代わりにあるのは、圧迫感だ。
空間そのものが、価値を測っている。
そんな錯覚を覚える。
玉座に座る男――強欲帝マモンは、
まだこちらを見ていなかった。
書類に目を落としたまま、指先で机を叩いている。
その感情の色を見た瞬間、僕は息を呑んだ。
(……濁ってる)
欲望の色は、鮮やかであるはずだ。
だが、マモンのそれは違う。
重く、粘つき、沈殿している。
何かを溜め込みすぎた色だ。
「顔を上げろ」
声だけで、空気が震えた。
マモンがこちらを見る。
笑っていた。
だが、親しみではない。
獲物を値踏みする目だ。
「クラウソラスを殺したそうだな」
唐突だった。
事実を、事実として投げつけてくる。
「はい」
「良い判断だ」
あっさりと言い切る。
「才能はあったが、扱いきれていなかった。
ああいう人間は、いずれ破綻する」
命の重さを、まるで貨幣のように語る口調。
「さて――本題だ」
マモンは、身を乗り出した。
「暴食帝国にはな、
長い間、誰も踏破できていない山が三つある」
その言葉に、嫌な予感が走る。
「アルシャルノ山」
名前を聞いた瞬間、
脳裏に、村で聞いた噂がよぎった。
金色の熊。
幾度もの全滅。
「明日から向かえ」
淡々とした命令。
「踏破し、報告を上げろ。
成功すれば――」
マモンは、口角を上げた。
「暴食帝三賢者の一席を与える」
部屋の空気が、一段重くなる。
三賢者。
それは、帝王の意思を直接実行する立場。
つまり――
帝国の“汚れ仕事”を一任される存在だ。
「断る選択肢は?」
自分でも驚くほど、声は冷静だった。
マモンは、楽しそうに笑った。
「ない」
即答。
「お前はもう、
この帝国の“内側”に足を踏み入れている」
視線が、僕を貫く。
「そして――
内側に入った者は、価値を示さねばならん」
その瞬間、理解した。
これは褒美ではない。
試験でもない。
選別だ。
生き残れるかどうかを測るための。
「期待しているぞ、魂術師」
マモンは、そう言って手を振った。
謁見は、それで終わりだった。
王都を出る途中、
僕は一度だけ、振り返った。
あの玉座の上に座る男は、
まだ何も失っていない。
だが――
確実に、何かを壊そうとしている。
その渦中に、
僕たちは立たされていた。
アルシャルノ山。
そこから始まるのは、
帝王殺しではない。
帝王に近づくための、最初の一歩だ。




