【序章】二度目の国境
二度目の国境は、初めてよりも重かった。
強欲帝領――マモンの国。
かつて、依頼をこなし、金を稼ぎ、生き延びてきた場所だ。
見慣れた城門。見慣れた街道。見慣れたはずの光景。
それなのに、空気がまるで違う。
「……検問、増えてるな」
アレクシエルが低く呟いた。
門前には三重の列。
兵士の数も、装備の質も、以前とは比べものにならない。
通行人一人一人を止め、書類を確認し、時には荷を開けさせている。
しかも、動きが早い。
慣れているというより、慣れさせられた動きだ。
「クラウソラスの件だ」
ヘリオが短く言った。
名前は出さない。
だが、理由は全員が分かっている。
魂術師。
縁談。
アレクシエル家の一件。
あれ以降、この国の“裏”がざわついている。
「二度目なのが、余計に厄介だな」
アレクシエルが続ける。
「足取りが、残ってる」
その通りだった。
初めての国では、無名でいられる。
だが、二度目は違う。
過去の活動。
受けた依頼。
関わった人物。
この国では、それらはすべて“記録”だ。
順番が回ってくる。
兵士が書類を手に、こちらを見上げた。
「……この名前、見覚えがあるな」
胸の奥が、ひりつく。
「以前、依頼をこなしている」
事実だ。
誤魔化せない。
「魂術師――ではないな?」
一瞬、空気が凍る。
感情を見る。
疑念。
探るような色。
「違う」
ヘリオが即座に答える。
「彼は前衛だ。
記録にもそうある」
兵士は、こちらをじっと見た。
数秒。
だが、やけに長く感じる。
やがて、鼻を鳴らす。
「今は状況が状況だ。
余計なことはするな」
「承知している」
門が開く。
一歩、国の内側へ踏み出す。
――入れた。
だが、それは歓迎ではない。
監視の始まりだ。
街に入ると、さらに実感する。
人の流れはある。
商いも続いている。
だが、どこか張り詰めている。
視線が多い。
それも、露骨ではない、計算された視線だ。
「……動きにくいな」
アレクシエルが、吐き捨てるように言う。
「以前より、明らかに」
感情を見る。
街の人々の色は、平常に近い。
だが、その奥に、微かな警戒が混じっている。
何かが起きると、分かっている色だ。
「宿は、前に使った所は避ける」
ヘリオが言う。
「繋がりがある場所ほど、危ない」
裏を返せば、それだけ“繋がり”が把握されているということだ。
簡素な宿に落ち着き、扉を閉める。
ようやく、息を吐けた。
「……で?」
アレクシエルが腕を組む。
「ここから、どうする」
答えが出ない。
情報を集める?
依頼を受ける?
目立たないように動く?
どれも、以前なら有効だった。
だが今は違う。
「何をしても、後手になる」
思わず、そう口にしていた。
「動けば、見られる。
動かなくても、囲われる」
感情を見る。
自分自身の色に、焦りが混じっている。
「クラウソラスは、表に出ない」
ヘリオが淡々と補足する。
「使者も、今は動かない。
こちらが何をするか、待っている」
「……待たれてる、か」
それは、最悪の状況だ。
相手が主導権を握っている。
こちらは、選択肢を削られていくだけ。
沈黙が落ちる。
誰もが、同じ結論に辿り着いていた。
――詰んでいる。
逃げても、追われる。
隠れても、見つかる。
攻めようにも、相手は姿を見せない。
(……また、誰かが背を向けるしかないのか)
レイサムの背中が、脳裏をよぎる。
その考えを、必死に振り払う。
そんな選択は、もうしないと決めたはずだ。
「……何か」
声が、自然と低くなる。
「何か、先手を打つ方法はないのか」
ヘリオは、すぐには答えなかった。
しばらく考え、ゆっくりと首を振る。
「この国で、個人が先手を取るのは難しい」
現実的な答えだった。
「だが――」
そこで、言葉が切れる。
「だが?」
ヘリオは、視線を上げた。
その先には、天井しかない。
それなのに、その目は、もっと高い場所を見ているようだった。
「……帝王の盤に、乗るしかないな」
帝王。
強欲帝マモン。
その名を、誰も口にしない。
だが、確かにそこにある存在。
僕は、ゆっくりと息を吸った。
この国に戻ってきた理由が、
ようやく形を取り始めた気がした。
まだ、道は見えない。
だが少なくとも――
このまま後手で終わるつもりはない。
二度目の国境は、
“戻ってきた場所”ではなかった。
選択を迫られる場所だった。




