【序章】誓い
夜は、思ったよりも静かだった。
強欲帝領に入って最初の野営。
火は小さく、風下に。周囲に人影はない。
それでも、誰も深く眠ろうとはしなかった。
眠れば、考えなくて済む。
だが同時に、思い出してしまう。
だから、目を閉じることすら躊躇われた。
焚き火の前で、アレクシエルが剣を磨いている。
音は立てない。ただ、同じ動作を繰り返しているだけだ。
その手は、微かに震えていた。
「……なあ」
しばらくして、彼が口を開いた。
「俺は、正しかったのか」
問いは、宙に投げ出される。
縁談。
拒否。
そして、あの夜。
父と兄の死。
「分からない」
正直に答えた。
「正しかったかどうかなんて……今は」
アレクシエルは、苦く笑った。
「だよな」
それきり、また剣を磨き始める。
感情を見る。
怒り。
悲しみ。
後悔。
それらが、複雑に絡み合っている。
だが、その奥に――折れていない芯が見えた。
(……強いな)
そう思った瞬間、胸の奥が少し痛んだ。
自分はどうだ。
目を伏せる。
感情を見る。
そこには、まだ混乱がある。
恐怖も、迷いも、確かに残っている。
だが、それだけじゃない。
レイサムが背を向けた光景。
追撃の音。
夜明けの光。
それらが、一本の線として繋がっている。
「零」
ヘリオが、低い声で呼んだ。
「少し、話せるか」
頷き、焚き火から少し離れる。
彼は、何も言わずに星空を見上げていた。
「この国ではな」
やがて、静かに語り出す。
「誓いを立てる者は多い。
復讐、野望、生存――理由は様々だ」
僕は黙って聞いていた。
「だが、大半は途中で折れる」
「……なぜですか」
「誓いを立てるのが、感情だからだ」
ヘリオは、こちらを見る。
「怒りや悲しみは、燃え上がる。
だが、長くは続かない」
胸に、刺さる言葉だった。
「では、どうすれば」
「感情の先に、選択を置け」
選択。
「復讐したいからやる、では足りない。
復讐してでも、守りたいものを決めろ」
守りたいもの。
頭に浮かぶ顔は、いくつもある。
アレクシエル。
レイサム。
もう、戻らない人たち。
そして――まだ、失いたくない未来。
「……俺は」
言葉が、自然と零れた。
「俺は、この力を……魂術を、奪われるために持ったわけじゃない」
ヘリオは、何も言わない。
「誰かを縛るためでも、支配するためでもない」
拳を、強く握る。
「逃げるために使うのも、もう終わりにしたい」
それは、宣言だった。
復讐ではない。
怒りだけでもない。
選択だ。
「クラウソラスが、俺を狙うなら」
感情を見る。
自分の色が、はっきりと定まり始めている。
「俺は、逃げない」
その瞬間、不思議と心が静まった。
ヘリオが、短く頷く。
「いい」
それだけだ。
焚き火に戻る。
アレクシエルが、顔を上げた。
「……決めた顔だな」
「ああ」
簡単に答える。
言葉にしなくても、伝わる気がした。
これは、衝動じゃない。
自分で選んだ道だ。
夜は、まだ深い。
だが、恐ろしくはなかった。
この闇の先に、何が待っていようと。
もう、背を向けないと決めたからだ。
焚き火の火が、ぱちりと弾ける。
その音を合図に、胸の奥で誓いが形を成す。
――次に奪われる時は、奪わせない。
――次に命を差し出すなら、それは自分の意思で。
それが、あの夜に背を向けてくれた弟への。
そして、失われたすべてへの、答えだった。




