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【序章】旅立ちの前触れ

 街の空気が変わった、と感じたのは、理屈ではなかった。


 朝、宿の窓を開けた瞬間。

 市場を歩いた時。

 ギルドの扉をくぐった時。


 誰もが、ほんの一瞬だけ視線を向け、

 そして、慌てたように逸らす。


(……見られている)


 観測者――その噂が、街に根を張り始めていた。


 魂を石にする。

 姿を見せず、戦わずに終わらせる。

 関わると、面倒なことになる存在。


 どれも、誇張だ。

 だが、誇張は恐怖を育てる。


「居心地が悪くなってきたな」


 サミエムが、通りを見渡しながら言った。


 感情を見る。


 苛立ちよりも、

 先にあるのは――覚悟。


「そろそろ、出る頃合いだ」


「同意だ」


 街は、もう“安全圏”ではない。


 ギルドでの手続きは、必要最低限に留めた。


 登録情報を削り、

 過去の依頼履歴を分散させる。


 観測者という偽名が、

 個として浮き上がらないように。


 受付嬢の感情は、揺れていた。


 恐れ。

 好奇心。

 そして、ほんの少しの同情。


「……長く、滞在されないのですね」


「そのつもりはない」


 それ以上、会話は続かない。


 噂を聞いている。

 だが、聞かなかったふりをする。


 それが、この街の“処世術”だ。


 宿に戻り、荷をまとめる。


 装備は、必要最小限。

 魂縛石は、数を減らし、分散して携行。


 金は、問題ない。


 問題は――人だ。


「……なあ」


 サミエムが、剣を手入れしながら口を開いた。


「俺、近いうちに“帰る”ことになるかもしれない」


 その言葉に、感情が波打つ。


 不安。

 諦め。

 そして、微かな恐怖。


「アレクシエル家か」


「ああ」


 名門。

 騎士の家系。


 だが、彼にとっては、

 評価と失望しかない場所。


「連れ戻しが来る」


 断定だった。


「理由は?」


「……勘だ」


 だが、その勘は、

 血と立場に裏打ちされている。


「俺がここで何をしていようと関係ない」


 サミエムの声は、低い。


「“アレクシエル”の名が、勝手に価値を持つ」


 彼は、それを嫌っている。


 夜。


 街が眠りにつく頃、

 違和感が走った。


 気配。


 殺意はない。

 敵意も、ない。


 だが――

 圧がある。


(……相当だな)


 窓の外。


 路地の影に、男が立っていた。


 背筋が伸び、

 姿勢に無駄がない。


 感情を見る。


 忠誠。

 義務。

 そして、深い疲労。


 戦う者の感情ではない。

 従う者の感情だ。


「……見られてる」


 サミエムも、気づいた。


「ああ」


 男は、こちらを一度だけ見た。


 そして、何も言わずに去る。


 その背中は、

 使命を背負った者のものだった。


「……家の人間だ」


 サミエムが、歯を食いしばる。


「来るな」


 感情は、拒絶している。


 だが――

 覚悟は、もう固まっていた。


 翌朝。


 街を出る準備は、静かに整った。


 見送りは、ない。

 引き留めも、ない。


 それでいい。


 門をくぐる前、

 一度だけ振り返る。


 この街は、

 始まりの場所だった。


 魂術師として。

 騎士として。


 そして――

 帝王の盤上に足を踏み入れる、その直前。


「行こう」


 サミエムが言う。


「ああ」


 道は、もう決まっている。


 強欲帝国。

 そして、アレクシエル家。


 名を隠し、

 力を伏せ、

 噂だけを残して。


 観測者は、街を後にした。


 その背を、遠くから見つめる影が一つ。


 男は、小さく呟く。


「……零」


 その名は、

 まだ誰にも届かない。


 だが――

 血は、確実に呼び合っていた。

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