【序章】感情を揺らすという選択
剣戟の音が、洞窟内に重く反響する。
金属と金属がぶつかるたび、火花が散り、湿った空気を切り裂いた。
「……っ!」
アレクシエルが一歩退いた。
呼吸が乱れている。
腕も、わずかに震えていた。
相手は人間だ。
魔物ではない。
だが――強い。
動きに無駄がなく、剣の軌道が最短距離だけを描いている。
感情を削ぎ落とした結果、生まれた“最適解”の塊。
(このままじゃ……)
感情を見る。
賞金首の男は、相変わらず空っぽだ。
恐怖も、怒りも、焦りもない。
魂術師にとって、最悪の相手。
「はぁ……はぁ……」
アレクシエルの感情が、わずかに乱れる。
焦り。
だが、それ以上に――悔しさ。
(……だめだ)
彼の感情を媒介にするわけにはいかない。
それは、相棒を危険に晒す行為だ。
「どうした、騎士」
男が淡々と口を開く。
「その程度か」
声には感情がない。
だが言葉は、確実に刺さる。
アレクシエルの感情が揺れた。
怒りが、わずかに混じる。
(……待て)
それでも、足りない。
魂縛に必要なのは、
一瞬でいい、感情の爆発だ。
ヘリオが、後方で戦況を見ている。
感情は読めないが、視線が鋭い。
(……見てるな)
試されている気がした。
この状況を、どう打破するのか。
男が、踏み込んでくる。
次の一撃は、深い。
アレクシエルが受け止めきれず、地面に膝をついた。
「ッ……!」
血が、石床に落ちる。
その瞬間、胸の奥が冷たくなる。
(――ここだ)
だが同時に、理解してしまった。
このまま魂縛を狙えば、
成功しても――自分が倒れる。
疲労。
魂の摩耗。
一日に数回が限界。
それを、ここで使う価値があるのか。
答えは、すぐに出た。
(ある)
相棒が、命を張っている。
なら――
「……アレクシエル」
声をかける。
「何だ……!」
「次の一撃、わざと外して」
「――は?」
困惑の感情。
「その代わり、
全力で“怒って”」
一瞬、沈黙。
だが彼は、理解した。
感情が、跳ねる。
「……ふざけるな」
怒り。
だが、それは演技じゃない。
「だが……信じる」
次の瞬間、アレクシエルは剣を振る。
わざと、外す。
賞金首の男が、一歩踏み込む。
「隙だ」
その言葉に、わずかな感情。
驕り。
アレクシエルの感情が、爆発した。
怒り。
悔しさ。
そして、負けたくないという執念。
(――今だ)
詠唱に入る。
頭が割れるように痛む。
視界が、暗転しかける。
「――魂縛」
世界が、軋んだ。
男の動きが止まり、
表情が初めて歪む。
「……っ、何だ、これは……!」
恐怖。
ほんの一瞬だが、確かな恐怖。
それで、十分だった。
男の身体が、石へと変わる。
完全な魂縛石。
音が、消えた。
次の瞬間、僕は地面に倒れ込んだ。
「零!」
アレクシエルの声。
意識が遠のく中、
ヘリオの声が聞こえた。
「……なるほど」
感心したような、低い声。
「感情を“作った”か」
その言葉が、
なぜか強く胸に残った。
意識が、闇に沈む。
この戦いは、勝った。
だが同時に、
魂術師という職業の危険性を、
改めて刻みつける結果となった。




