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第四の季節…水   (前編)

 人間の男に恋をしたウンディーネは、人間となるために一つの条件を呑まされる。


 ――もしも男がお前を裏切ったのならば、お前はその男を殺し、水に戻らなければならない。


 ウンディーネの想いは永遠だが、人間の想いは刹那の戯れ。


 多くの場合、ウンディーネの恋は儚く終わり、水に戻った彼女たちは恋しい男のすべてを忘れた。









 ▲▽










 沈黙すると、しんしんと雪の積もる音が聞こえる。


 ふと、アルメリアはサヴリナ越しに窓の外に視線を投じた。

 銀世界。

 大地はもちろん、屋根も。

 サウィン寮の中庭中央を陣取る噴水さえも白で覆われている。


 自分の大好きな場所でさえこうなのだ。

 彼の愛する場所も同様に埋もれていることだろう。

 ルグナザド寮の中庭に佇む大樹。

 その根元に腰を降ろし、瞼を閉ざしている彼。


 ――ロクマリア。



 空気の動きを察して、アルメリアはサヴリナに視線を戻した。

 静かな黒い瞳がアルメリアを見つめている。


「すでに決まったことだ」


 言い切られた言葉に、アルメリアは激高する。


「ですが、サウィン祭の劇には土のプリフェクト(監督生)が出演するという決まりがあります。ずっと守られてきた決まりです!」


「ロクマリアは劇には出ない。これもトムナフーリ学長が決められた‘決まり’だ」


 ぐっと咽が鳴る。

 悔しくて。


 サヴリナの静か過ぎる口調がアルメリアの心を凍らせる。


(だけど、諦めきれない)


「ブロアとルークと私、そしてロクマリアが、今年のプリフェクトです。他の誰かであってはならないのです!」


「お前の気持ちは分かる。だが、アルメリア。お前は王位に着く立場にある者に、劇に出ろと言うのか? それも、サウィン祭の劇。ノームの青年の役だ」


「ロクマリアはロクマリアです。少なくとも彼が学園を卒業する時までは、私たちにとって……」


「お前はそう言うが、誰もがお前のように思っているとは限らない。彼は我らの王だ」


「……っ!」


 それでも、と言いかけて、言葉を呑んだ。



 おそらくサヴリナの言うとおりなのだろう。

 王となる立場にあるロクマリアを、サウィン祭の劇に出させるわけにはいかない。

 しかも、ノームの青年の役で。



 サウィン祭の劇の主役は、ウンディーネの王女だ。

 ノームの王子に恋をして、地上で生きることを望む。


 ウンディーネの王は王女が海を去ることを許すが、一つだけ条件を出した。


 ――もしも、かの王子がお前の想いを裏切った時は、お前は王子を殺し、海に戻って来なければならない。


 かくして、ウンディーネの王女は陸に上がり、ノームの王子の元へと向かった。



 王子は王女に愛を語ったが、彼が王女に欲したのは彼女の想いではなく、ウンディーネの国の知識だった。


 彼は問う。

 お前の国はどのような国なのか、と。


 やがて王女は王子の意図に気が付いた。

 彼が自分を側に置くのは、自分を愛しているからではない。

 彼女の祖国を侵略しようとしているからだ。


 そうと知ってもまだ彼女は王子を信じていた。

 いつかきっと本当に愛してくれる日がくる、と。



 ところが、王子は彼女ではなく、ノームの娘を結婚相手に選んでしまった。


 怒りと悲しみに心を染めた王女は、王子を王子の国ごと海に沈めた。


 ――悲恋の物語だ。


 どうして一年の締めくくりの祭りなのに、このような悲劇をやらねばならないのか、理解に苦しむ。


 しかも、よりによってサウィン祭の翌日が卒業式なので、劇の後味の悪さを引きずったまま卒業することになる。


 だけど、何となく、今のアルメリアには分かる。

 四つの祭りの四つの劇はそれぞれ戒めなのだ。



 負の心がその者の姿をオークに変える。

 その事実を隠しながら、四つの戒めを学生たちに与える。


 そうして、最後の戒めがサウィン祭の劇。

 ――ウンディーネの悲恋。


 劇を見た多くの学生たちはノームの王子の非道さを罵り、ウンディーネの王女の哀れさに涙を流すが、はたして本当にそうなのだろうか?


 アルメリアは思う。


 サウィン祭の劇では、ウンディーネの王女が想いを裏切られた腹いせにノームの王子を彼の国ごと海に沈めてしまった点に、気が付かなければならないのではないだろうか。



 どんなに苦しくても、悲しくても、命を奪っても良いはずがない。

 それなのに、彼女は、王子は疎か、彼の国の民すべての命を奪ったのだ。


 サヴリナのため息が呆れを含んで響いた。


「国を失うノームの王子。そんな役をロクマリアに演じさせるのは無理だ。分かるだろう? それはあまりにも不都合が過ぎる」


 アルメリアは無言で頭を下げ、サヴリナの部屋を去った。  







 ▽▲







 廊下に出たアルメリアを穏やかな微笑みが迎えてくれた。


 やや紫を帯びた黒髪を長く伸ばした水のアラウダ(歌姫)。

 ――マグエヴァだ。


「待っていてくれたの?」


「ええ。手を繋いであげましょうか?」


 差し出された白い手に少し苦笑して、アルメリアは彼女の手を握った。


 不思議なもので、幼い頃から彼女の体温を感じると、ホッとするのだ。


「サヴリナ先生は何て?」


「駄目って」



「どうしても?」


「ええ。どうしても」


「彼が出たいと言っても?」


「彼は出たいと言うかしら?」


 マグエヴァのオニキスの瞳が大きく開かれる。


「彼の気持ちを確かめていないの?」


「だって、当然出てくれるものだと思っていたんですもの。まさか先生方から出演不可が出るなんて思ってもいなかったわ」


「それこそ当然だと思うわよ。だって、彼、王位に着くのでしょう?」


 顰めた声。

 言ってからマグエヴァは辺りの様子を窺った。



 アルメリアは軽く鼻を鳴らす。


「関係ないわ」


 手を繋いだまま廊下を行く。

 どうやら教室の方に足が向かっているようだ。


 八年生のこの時期にもなると、ほとんど授業はない。

 用のないはずの場所になのに、習慣のように足が向いてしまうのが可笑しかった。


「アルメリアは卒業したら、王宮に上がるの?」


「ええ。マグエヴァは朝露をつくる職に就くのでしょう?」


「そうよ。希望が通って嬉しいわ」


「ウークベアは?」


「彼も一緒よ。私のアミですもの」




 当然だとマグエヴァは言って、笑った。


 ――原則的に、アミ(恋人)は同じ職に就くことになっている。


「結局、あなたたちみんな王宮に上がるのね?」


「結局そうなったわ。ルーグもブロアも」


「ホッとしているでしょう?」


「私が?」


 思わずマグエヴァの顔を振り返る。

 彼女は目を細めて微笑んだ。


「ええ、そうよ。あなたホッとしているわ。これから先もずっと彼らと離れることがないから」


 握っているマグエヴァの手を意識して、力を強める。


「卒業したら、あなたとはお別れだわ」


「仕方ないわ。そういうものですもの」


「私が王宮に上がったら、偶然かの地で会うってこともないのね」


「そうね。でも、私は、きっとあなたは王宮で頑張っているのだと思って、安心できるわ。――例え顔が見えなくとも、相手の居場所が分かっていられるって、素敵ね」


「私はあなたの居場所が分からないわ」


「朝露が落ちている場所が私の居場所よ」


「きっと私は、あなたの居場所を知れば会いたくなるわ。会えないって分かっていてもね。――それに、こうして手を繋ぐこともできないわ」




「寂しい?」


「ええ、寂しいわ」


 ふっ、とマグエヴァは笑う。


「仕方ないわ。それが大人になるってことですもの」


 下級生たちの授業が響く廊下。

 教室の並びを抜けて、広場に出た。

 そこは学生たちのちょっとした憩いの場となっている。


 マグエヴァのオニキスの瞳がきらりと輝いた。


「ウークベアだわ!」


 見やると、少年がこちらに向かって手を振っている。


 サラサラと流れる黒髪。

 顔立ちは整っており、動作は軽やか。


 そんな彼の唯一の欠点は、年齢の割に背が低いということだ。


 少女であるブロアよりも頭一つ分低い。

 マグエヴァと並ぶと、双子のようになった。


「それじゃあ、アルメリア。またね」


 パッと、マグエヴァの手がアルメリアの手から離れた。

 ウークベアの元へと駆けていく己のアラウダの背を見送りながら、アルメリアは思わず胸を押さえた。


 失った暖かさに、胸が詰まる。

 見知らぬ土地に一人で放り出されたような気分。


 寂しい。

 けれど、これは自分で選んだ寂しさだ。



 半年前、マグエヴァはアルメリアの手を取って言ったのだ。


 ――私のアミになってくれない?


 アルメリアはまず言葉を失い、次に表情を無くした。

 凍り付いた二人の空間。


 やがて、マグエヴァが笑い声を上げた。

 まるで泣いているかのような笑い声。


 ――私、ウークベアとアミの契約を結ぶわ。


 幼い頃からいつだって一番近くにいてくれた親友。

 これから先もずっと当然のように側にいてくれると思っていた。


 そんなわけがないのに……。


 その時から、マグエヴァの一番はアルメリアではなくなった。




 後悔しているのではない。

 その証拠に今だって、アルメリアは仲良く並ぶ彼らに微笑んで、片手を振ることができる。


 手を振って、背を向け、二人から立ち去る。


 後悔なんてできる立場にないのだ。

 アルメリアがマグエヴァを選べなかったのだから。


 アミはどうしてもブロアだと思っていた。

 ブロア以外いない、と。


 ――水の民のあなたが、風の民のブロアを想い続けることは辛いことなのよ?





 風の民は一つの場所に居続けることができない。

 学園からだって、しょっちゅう誰かしらが脱走している。


 それを連れ帰るのが風のプリフェクトの役目でもある。


 ――風の民だって、想い続けられることは重荷なのよ。彼らはアミとしては最悪かつ最低な相手よ。


 幾度もマグエヴァはアルメリアに、ブロアのことを諦めるように忠告した。


 それでもアルメリアは諦められなかった。


 ――そんなにブロアがいいの? ブロアが好き?


「好き。すごく好き」


 呟くと、すぐさまアルメリアの言葉は廊下の静けさに溶けた。

 そうして、彼女は誰も聞いていない呟きを更に放った。


「だけど、違うのよね」  


 歩みを止めぬまま、どこに向かおうかと頭を巡らせる。


 ふと目を向けた窓の外に燃えるような赤髪を見つけて、アルメリアは足を止めた。


 銀世界の中、元気いっぱいに駆け回っている火の民の少年たち。

 どうやら、雪の玉を投げ合っているようだ。




 体育の授業が雪合戦になったのかと思ったが、少年たちの学年はバラバラだと気付く。


 ルーグの姿を見つけて、アルメリアは小首を傾げた。


「ただ遊んでいるだけなのかしら?」


 そうだとしたら、自分がそこに行っても邪魔にはならないだろう。

 行く先を見つけてアルメリアは再び歩み出した。


 ルーグがブリジットをアミに選んだ時、アルメリアは裏切られた思いがした。


 不思議な思い。

 裏切られたなんて、そんなこと思う必要なんてないのに……。



 ルーグは入学した当初からずっとブロアにアミの契約を迫っていた。

 だから、彼も自分と同じくらいにブロアのことが好きなのだと、アルメリアは信じていた。


 同士のような気さえしていた。

 それなのに……。


 ――寂しい。


 ルーグの隣にブリジットの姿を見つけると、胸が締め付けられる。

 ルーグの一番はもうブリジットなのだと思い知る。


 そう言えば、ロクマリアがメンヒルとアミの契約を結んだときも胸が切なく泣いた。


 彼とアミになりたいだなんて思ったことないのに。

 どうして……?



 荒涼とした大地に自分一人。

 見上げる限りの広い空。


 前に進もうと足を動かすが、ぴくりとも動かない。


 見下ろすと、両足の自由を水の鎖が奪っている。


 ――どこにも行けない。私一人。


 風が吹く。

 ブロアの風。

 置き去りにされた。


 空の果てが赤く燃えている。ルーグの炎。

 届かない。


 大地には草も花も生えていない。

 ロクマリアが見捨てた大地。

 私まで見捨てられた気分になる。


 廊下をひたすら行きながら、アルメリアはぐっと胸を押さえつけた。

 孤独という名の負の感情が今にも堰を切って溢れそうだった。










 ▽▲






 校庭に出ようとして、アルメリアはふっと歩みを止めた。

 足が動かなくなったのだ。


 火の民の少年たちが急に言い争いを始めて、すぐにそれは取っ組み合いになった。


 気付いてルーグが仲介に入る。

 まだ幼い少年たちをそれぞれ片手で摘み上げると、ゴツンと彼らの頭をぶつけ合わせた。


 ルーグは笑う。

 喧嘩がしたいのなら自分が相手になると言って。


 不意に悲鳴が聞こえて、アルメリアは頭上を仰ぎ見た。

 ギョッとする。

 少女が空から真っ逆さまに落っこちて来ている。


「リール!」



 悲鳴に近い声に、その少女がリールだと気付かされる。声の主はブロア。


 もうダメだ、地面に激突する、とアルメリアが瞼を閉ざした時、風が素早く動いた。


 瞼を開くと、ブロアが空中でリールの身体を受け止め、両腕に抱いていた。

 アルメリアは胸をなで下ろした。


「ブロア、リール、大丈夫なの?」


「アルメリア? そこにいたのか。 ――まずいところを見られたな。風の民が風から落っこちるなんて」


 苦々しそうにブロアが言う。

 アルメリアだけではなく、少し離れた場所には火の民の少年たちもいる。

 おそらく彼らにも見られてしまったことだろう。



「怪我はないのね?」


「ああ。大丈夫だ」


「リールはまだ自由に空を飛べないの?」


「ううん。でも、シルフの機嫌が悪い時はうまくいかないの」


「今日はシルフの機嫌が悪いのかしら? まだ喧嘩をしたりするの?」 


「時々ね。……実は今朝も」


「喧嘩しちゃったの?」


「うん。でも、前よりはずっと仲良くなったんだよ」


「そう。よかったわね」



 鮮やかに青いリールの髪。

 ウンディーネにも愛されたその色を、アルメリアたち水の民も好ましく思っている。


 半ば無意識にリールの頭を撫でると、ブロアに向き直った。

 ブロアは首を傾げている。


「何かあったのか?」


「何かって?」


「何かだよ。嫌なこととか……」


「私、どこかへん?」


「泣きそうな感じ」


「ブロアって、鈍いくせに鋭いのね」


「どっちだよ」


 膨れたブロアに、アルメリアはそっと笑った。




 ふと、ブロアはリールに視線を落とし、幼い彼女の背を軽く叩いた。

 意を察したリールは火の民の少年たちの方へと駆けていく。


 彼らは風の民であるリールを歓迎して、競って自分の方の陣営にと勧誘しだした。

 ますます雪合戦は白熱しそうである。


 しばらく小さな姿を見守ってから、アルメリアは静かに言葉を紡いだ。


「ブロアはもう誰かとアミの契約を結んだの?」


「いや、まだだよ。――と言うか、アミを持つつもりはないんだ。アファン先生から聞いたんだけど、王宮に上がるのならアミを持つ必要はないだってさ」


「正確には、かの地に行かないのなら、よ」


 アミと職を見つけることが、学園の意義だとされている。


 職とはかの地での役割であり、かの地へ向かう目的でもある。


 どうしたわけか、自分たちはかの地に憧れを抱いてしまう。


 だが、その昔かの地から追われた自分たちは、かの地において正常な姿を保ち続けることを困難とする。


 オークとなってしまうその時を少しでも遅らせようと考えられたのが、目的意識を持つこと。


 ――職。そして、アミ。


 アミは恋人や伴侶を意味しているが、仕事上の相棒という意味もある。

 そのため、アミが異性である必要はない。



 ずっと一緒にいたいたった一人。

 以前のアルメリアは、アミをそのように解釈していた。


 ところが、アミの本当の意味は、互いを見張り合うための相手だ。

 恋人だの、伴侶だの、そんな甘いものではない。


 負の感情に支配されそうになった時、思い止まることの出来るか否かを左右する存在なのだ。


「どうして気が付かなかったのかしら?」


 今となっては不思議で仕方がない。

 アルメリアはくすりと笑った。



「サヴリナ先生も、アファン先生も、学園の先生方は皆、アミを持っていないわ。かの地に赴かないからよ」


「そう言えばそうだな」


 学園の教師は皆、プリフェクト経験者だ。

 ならば、かの地では負の感情がその者をオークに変えてしまうことを知っていても何ら不思議ではない。


 そして、だからこそ学園の教師となり、この地に残っているのかもしれない。


「ロクマリアはメンヒルを王宮に迎えるそうよ」


「へえ」




「ルーグも。王宮に勤めている者のアミも王宮で働くことを許されているから、ブリジットも学園を卒業したら王宮に上がると思うわ」


「アルメリアは?」


「私は……」


 ――マグエヴァはウークベアとかの地に行く。


 アルメリアは黒曜石の瞳をブロアに真っ直ぐと向けた。


「私もアミは持たないわ。必要ないもの」


 言って、どこかで何かが吹っ切れた気がした。

 清々しい。



「ごめんなさい、ブロア。私、あなたのことをずっと苦しめていた」


 私のアミになって、とは一度も口にしなかった。

 けれど、届いていたはずだ。


「もっと早くに気が付けば良かったのに。私ってば意外と莫迦なのよね」


 ブロアは何も言わず、ただ苦笑した。

 アルメリアはホッと息を漏らす。



「ロクマリアがメンヒルを選んだとき、捨てられた気分になったの。ルーグがブリジットを選んだとき、ブリジットがとても憎く思えたの。――可笑しいでしょう? 私、ロクマリアやルーグのアミになりたかったわけじゃないのよ。そんなこと少しも思ったことないし、彼らのどちらかのアミになった自分を想像すると、鳥肌が立っちゃうくらいなの。つまりね、私は、二人が私から離れてしまうのが嫌だっただけなの。子どもっぽい独占欲よ。――嫌だわ。私って、ガキよね」



 大樹に背を預けているロクマリア。

 その足下に自分が腰を降ろし、半ば口喧嘩になっているブロアとルーグのやり取りを見守っている。


 幼い頃の懐かしい時間にはもう戻れない。

 前に進むしかない。

 自分一人で。


「私、ブロアが好きだわ。ルーグやロクマリアと同じくらい。それから、ルーグやロクマリアのことも好きなの。ブロアと同じくらいに。二人もあなたのことが好きで、だから私、ブロアが私のアミになってくれたら、もれなく二人もくっついてくるんじゃないかって思ったの。ずっとみんなで一緒にいられるんじゃないかって」


 ガキよね、とアルメリアは再び呟いた。



「ロクマリアは玉座に。あなたもルーグも私も王宮に。一番近くってわけにはいかなくとも、離れ離れではないんだって思ったら、ふっと心が軽くなって、どうしてもあなたのアミにならなきゃって気持ちが薄れちゃったみたいなの」


「それでいいんだよ」


「私の想い、重かったでしょ? サウィン祭の劇のウンディーネの王女みたいに、あなたを海に沈めたいとも思ったのよ?」


「嫌だな。それは」


「あなたを海に閉じ込めれば、ルーグやロクマリアも海に来てくれるかしら?」


「来ないよ。助ける見込みがあれば別だけど、アルメリア相手ならまず適わないからな」


「ルーグは特に?」


「そう、ルーグは特に」



 ニカッと笑うブロア。アルメリアもつられて笑った。


「王宮に上がったら、改めてゆっくり本当に好きな相手を捜すわ。いい? ブロアも捜すのよ!」


「えー。私も?」


「当たり前じゃないの。いい男っていうのはね、努力して捜さないと見つからないものなのよ。私、次こそはちゃんと恋愛をするわ。もれなく誰かがついてくるような相手じゃなくてね」


「あははは」


 不適切な笑い声に、アルメリアは片眉をつり上げた。

 ブロアは笑い顔を凍らせる。


「いいわよ、そうやって笑ってなさいよ。必ずブロアよりも素敵な人を見つけてみせるんだから」


「――その言い方は二重の意味に捉えられるぞ、アルメリア」



 突然降って湧いた低い声にアルメリアは驚いて、後ろを振り返った。

 すると、いつの間にかルーグがそこに立っていた。


「ブロアが見つけた相手よりもアルメリアが見つけた相手の方が素敵なのか、アルメリアが見つけた相手がブロアよりも素敵なのか、どっちだ?」


「うっ」


 後者の意味で言ったのだが、少女であるブロアをこれから見つけ出そうとしている男性と比べるのは些か可笑しい。


 かといって、今更、前者だと言い張る気持ちにもなれない。

 答えに詰まってアルメリアは咽を唸らせた。


「それから、アルメリア」


 ルーグの腕がすっとアルメリアに向かって伸びてきて、パチン、と彼女の額で彼の指が鳴る。


 弾かれた額がじわりと熱を放った。


「痛っ」


 何をするのよ、と怒鳴りかけた口はすぐに閉ざされた。

 ルーグの瞳がいつになく真剣だったからだ。


「確かに俺の一番はお前じゃない。ロクマリアやブロアの一番もな。――けど、俺たちはこれから先もずっとダチだ。それは変わらない。お前は、一人じゃない」


「ルーグ……」


「おいこら、なんて顔してんだ? これからロクマリアのところに行こうっていうのに、そんな顔じゃ、あいつにまで心配されるぞ」


「ロクマリアのところ? なぜ?」



「サウィン祭の劇のこと、聞いた。オルウェン先生もどうしようもないことだって言ってた。――けど、諦められないだろ?」


「……うん」


「確かに、王になるような奴にあんな役やらせられないっていうのは分かる。けど、ノームの王子の役はその年の土のプリフェクトが演じるのが決まりだ。決まり、決まりって、うるさく言いたいわけじゃない。ただ、ロクマリア以外の奴に、土のプリフェクトがすべきことを任せるのが嫌なんだ。――あいつしかいないんだ。俺たちのとっての土のプリフェクトは」


 アルメリアは長身のルーグを仰ぎ見て、瞳を大きくする。

 自分が言いたいことは口にしなくとも、すでにルーグには伝わっていた。


 彼の隣を見やると、ブロアも頷いている。

 アルメリアは淡く微笑んだ。  









 ▽▲









 冬以外の季節ならば、ロクマリアの居場所は容易に見当が付いた。

 大樹の根元である。


 ところが、今は冬。

 雪が降り積もり、大樹も雪に覆われている。

 そこに彼がいるはずがなかった。


「これだから冬は嫌いだ」


「あら、楽しそうに雪で遊んでいたじゃない」


「俺はガキどもの面倒を見ていただけだ」


「そうだったかしら?」


「あ。いた」


 今にも火事か洪水かが起こりそうだった二人の間で、ブロアの人差し指が空を差す。


 ルーグとアルメリアは次に吐くはずだった罵声を呑み込んで、ブロアの指先に視線を投じた。


 上級生専用の休息室。

 ――別名、昼寝部屋。


 部屋の中を覗き込むと、長椅子に横たわり、静かに瞼を閉ざしているロクマリアの姿があった。


 長椅子に歩み寄り、ロクマリアを見下ろすと、ルーグは悪態をついた。


「呑気に寝てやがる。俺たちがどれだけ捜したと思っているんだ」


「――何か用か?」


「なんだ、起きていたのか」


 怠慢な動作でロクマリアは上体を起こした。

 三人の顔を順に見やる。

 そして、彼は尋ねる相手を見極めた。


「どうかしたのか、アルメリア?」




「サウィン祭の劇のことで……」


「劇? 練習の日程のことか?」


「違うわ。――あなた何も聞いていないの?」


「何を?」


 訝しげなロクマリアの顔に、アルメリアは眉を顰めた。


「聞いていないのね。――あなたはサウィン祭の劇に出ることを禁じられたのよ」


「なんだと?」


「あなたが王だから、あなたにノームの王子の役はやらせられないって」


「いったい誰がそんなこと」


「先生方よ。トムナフーリ学長も」


「学長まで?」


 信じられないとロクマリアの鉛色の瞳がアルメリアの顔を伺う。




 やがて、彼の鉛色は細められた。

 俯き、考え込むように右手を顎の下へと運ぶ。


「あなた、どう思う?」


「そうだな。先生方の考えも理解できなくもない。学生の中にだって、同じように感じている者もいるだろうし」


 ――直に王となるロクマリアに劇なんてさせられない。


 当然の思いだ。


 アルメリアは胸元を握り締め、黒曜石の瞳をロクマリアに向けた。


「あなたは? 劇に出たい?」


 パッと彼が顔を上げる。

 鋭い眼の輝きに、アルメリアはドキリと胸を突かれた。



「俺は今の今まで出るつもりでいた。出ないことなんて考えられない」


「じゃあ」


「ルグナザド祭ではルーグに嫌な役を演じさせてしまった。サウィン祭では俺の番だ。格別劇に出たいというわけではないが、出ないわけにはいかないだろ?」


 パチン、とルーグの指が鳴った。


「そうきたら、次は直談判だ!」


「直談判?」


 首を傾げたのはブロアだ。

 ルーグは大仰に頷いた。



「プリフェクト四人で学長室に乗り込むのさ。俺がいて、ブロアがいて、アルメリアがいて、おまけにロクマリアまでいれば、何だってどうにかなるさ」


 ルーグがきっぱり言い切ると、本当にそうである気がしてくる。


 だからなのか、ブロアはいつも言う。


「ルーグがそう言うなら、きっとそうなんだ。どうにかなるさ。――行こう、学長室に」


 ブロアが行くのならアルメリアも行く。

 三人が行くのなら、ロクマリアだって。


 彼は苦笑して長椅子から立ち上がった。


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