第三の季節…土 (後編)
ルグナザド祭の劇は、サラマンダーの王がノームの国に攻め入ったところから始まる。
舞台照明は赤く。
役者は皆、悲痛な声を上げる。
この劇においてサラマンダーの王はロクマリアに、サラマンダーの王というよりも、オークを思い起こさせた。
あれは7年前。
この劇を初めて見た時、ロクマリアもアルメリアと同じことに気が付いた。
まるでオークのようなサラマンダーの王。
この劇は、サラマンダーの王がオークと化してしまったことを意味しているのではないだろうか?
インボルグ祭の劇もそうだ。
あの劇ではまさにウンディーネの女王が海の怪物に変身をした。
変身と言葉を濁しているが、つまり、オークになったのだ。
ウンディーネの女王をオークにしてしまったのは、シルフの王女の美しさへの嫉妬だ。
サラマンダーの王も己の欲を満たすために、オークと化してノームの国に攻め入った。
負の想いが彼らをオークにしている。
この隠されたメッセージに果たしてどれほどの者が気付いたのだろう。
アルメリアのように、自分のように。
ロクマリアは白地に銀糸の刺繍の入った衣装を身に着け、舞台に歩み出た。
禍々しく赤いガウンを身に着けたルーグがゆっくりと、ロクマリアに振り返った。
▽▲
プリフェクトとアラウダは、祭式時は正装が決まりとなっている。
ただし、正装と言っても、衣装のようなもので、偉大なる過去の誰某が実際に着る者の気持ちなどこれっぽっちも考慮せずに好き勝手にデザインしてくれたものだ。
アラウダ(歌姫)はまだ良い。
何種類かあるそれらはどれも清楚な感じのドレスだからだ。
対してプリフェクトの衣装は、これでもかと言うくらいに豪華な装飾が施されたガウンに、同じくこれでもかと言うくらいの宝石が散りばめられた帽子。
先端に大きな宝石を取り付けられた杖を左手にすることを義務づけられている。
ロクマリアが劇の衣装から祭事用の正装に着替え、パーティー会場に戻ってくると、すでにルーグは祭事用のものに着替え、仲間たちの輪の中にいた。
正装のアルメリアも水の学生たちと会話に花を咲かせている。
ブロアの姿を捜して視線を漂わせると、苦もなく空色の髪を見つけることができた。
小さなリールを旁らに、己のアラウダのドレスを指差して笑っている。
ブロアのアラウダはハルという名の少年で、風の民の怠慢さがそのハルにドレスを着させ続けている。
過去にアラウダに選ばれた少年がいなかったわけではないのだから、少年用のアラウダの衣装は、捜すべき場所をちゃんと捜せばあるはずなのだ。
そこを捜さないのが風の民である。
哀れなハルは今回も似合いすぎる女装姿を余儀なくされていた。
ロクマリアは純白のドレスに身を包んだメンヒルの手を取って、土の民の元へと歩み寄った。
彼らは皆、それまでの動作を止め、二人を振り返った。
アラウダの歌が終わり、プリフェクト主演の劇が終わると、個人の楽しみを追う時間となる。
つまり、プリフェクトが主催となって催しを取り仕切るのは劇までだ。
パーティー自体はダラダラと、夜明けが訪れるまで続けることを許されているが、実際に暁を見る者は少ない。
多くの者が劇を見、しばらく仲間内で会話を楽しみながら食事をすると、部屋に引き上げて行く。
ロクマリアもメンヒルと一曲踊ってから早々に自室に戻ろうと考えていた。
毎年そうだ。
とりあえず楽しんでいる姿を皆に見せておけば、誰かを悲しませることはないだろう。
曲が始まった。
はっと息を呑む音が聞こえ顔を上げると、火のプリフェクトが己のアラウダの手を引いて、中央に歩み出ていた。
彼らが優雅に踊り始めたので、誰もが視線を奪われた。
(先を越されたか)
すらりと背の高いルーグと小柄だが凜としたブリジット。
ロクマリアとて、彼らの隣でダンスする気にはなれない。
今夜は誰からも注目されていない内に姿を消してしまおうか。
ロクマリアはごく自然な仕草でメンヒルの手を離すと、そっとパーティー会場から抜け出した。
▽▲
ルグナザド祭の劇は、戦争の非情さを知ったルーグにとって、皮肉な役回りとなった。
戦争を好むサラマンダーの王。
争いごとを忌むブリジットは、そんな役を演じているルーグをどんなに心を痛めて見つめていただろう。
劇の練習時からルーグに対して申し訳ない気持ちで一杯だった。
なので、今夜の主役を奪われようと構わないという思いがある。
ロクマリアは寮の中庭へと足を運んだ。
月光。
あれほど実っていた林檎が、いつの間にか、一つも見あたらない。
気が付くと一つ消え、また一つ消え。
誰かが大樹の前を過ぎる度にその数は減っていった。
自室に戻るには時間が早い。
月明かりを大樹と共に眺めようかと、歩み寄った時だった。
低い唸り声。
ドキリとして、ロクマリアはそちらの方に目を投じた。
ガサリ、と植え込みが鳴る。
黒い影が姿を現せ、やがて影は子牛くらいの大きさの犬となった。
大きさもさることながら、赤く輝く瞳を見れば犬ではないことは分かる。
オークだ。
ロクマリアは杖を地面に放ると、ローブの下から短銃を取り出した。
ガサリ。
草が上げた悲鳴に思わず、正面のオークから視線を外してしまった。
(他にもいたのか)
ロクマリアの銃は威力こそ絶大だが、単発銃だ。
複数の敵を相手にすることはできない。
正面に一頭。
いや、更にその後ろにもう一頭。
左側面に二頭。
そして、右側面にもう一頭。
計、五頭のオークが相手だ。
冷や汗が流れた。
おそらくこのオークたちもデュースがロクマリアに差し向けてきたものだ。
初めの頃、デュースのオークは知能もない小物ばかりだったが、年齢と共にデュースの力が増したのか、近頃では確実にロクマリアの命を狙ってくる厄介なオークを送り込んでくるようになった。
それも今回のように複数いることが多くなった。
(オークを操るだなんて)
もちろん禁忌だ。
オークの主となった者が闇に心を奪われずにいられるわけがない。
(そうまでしてデュースは王位が欲しいのだろうか)
それほどまで欲しているのならばいっそくれてやりたい。
ロクマリアさえいなければデュースは自然の成り行きのように玉座に座れたはずだ。
(自分さえいなければ、デュークをこれほどまでも追い込むことはなかった)
自分の命を狙うオークを目の前にして、いつもそのようなことをロクマリアは思ってしまう。
オークの姿が醜ければ醜いほど、デュースの心が闇に囚われているようで、哀れを感じてしまうのだ。
影が飛んだ。
右側面の一匹が飛び掛かって来、ロクマリアの右肩を狙った。
ロクマリアは短銃でそれを叩き落とすと、次に飛び掛かってきた正面の二頭に発砲した。
弾丸は二頭を貫いた。
立て続けに倒れたオークたちを確認する間はない。
左から飛び掛かってきた一頭を避け、瞬時に地面から杖を拾い上げると、その背に突き立てた。
そうして振り返った時、最後の一頭が目前にいた。
ダン。
血がわずかに散って、オークの悲鳴が上がる。
見やると、地面にオークが一本の矢によって動きを封じられていた。
「ロクマリア!」
銀色の矢を見てすぐに気が付いた。
メンヒルだ。
容姿とは裏腹に活発な彼女が射た矢は見事にオークの横腹を貫き、尚かつ、地面に突き刺さっている。
「メンヒル、なぜここに?」
「あなたが一人で会場を抜け出すのを見つけたから、追ってきたのよ。またオークに襲われたの? どうしてオークはあなたばかりを襲うの?」
「それは――」
予感がして振り返ると、最初にロクマリアが拳銃で叩き落としたオークが躰を起こしており、今にも二人に飛び掛かろうとしていた。
瞬時に大地に両手を着き、己のノームに願う。
願いを聞き入れたノームはロクマリアとオークの間に堅固な壁を造った。
土壁に弾かれたオークが悲鳴を上げる。
その隙にロクマリアは短銃に弾丸を詰めた。
ガァン、と響く。
一度だけ。
オークの血で穢れた大地を見下ろし、ロクマリアは苦々しく顔を顰めた。
「あとでルーグに頼んで、死体を燃やして貰おう」
「そうね。それからフリディス先生に報告しないと」
「フリディス先生には……」
ハッとしてロクマリアは空を仰いだ。
月が影に覆われ、一瞬、その輝きを失った。
「あれは何?」
黒い大きな鳥。
いや、オークだ。
下半身は確かに鳥のようだが、上半身は気味の悪い女の姿をしている。
「誰かいるわ。オークの背に誰か乗っている」
「メンヒル」
逃げろ、とロクマリアは声を上げた。
嫌な予感がする。
ロクマリアのノームもメンヒルのノームも落ち尽きなく空と二人を見比べている。
今にも逃げ出しそうな様子だ。
右の手の甲が痛んだ。
ディアントスが危険を知らせている。
「メンヒル、行け!」
影が急降下した。
ざわり、と風が吹き下ろして来て、メンヒルは地面に尻を着いた。
彼女に覆い被さったロクマリアの背が鋭利な傷を負う。
笑い声。
低く、咽に絡むような声だ。
「久しぶりだな、ロクマリア」
仰ぎ見ると、錆色の髪とシグナルレッドの瞳が闇に禍々しい光を放っていた。
「デュース!」
「お前は本当にしぶとい奴だったが、それも今夜で最期だ。この俺が直々に殺しにやって来たのだからな!」
ロクマリアは背筋を凍らせた。
数年ぶりに見るデュースの姿だったが、彼はその時とまるで変わらない姿をしている。
七年前、デュースは火のプリフェクトに選ばれることを望んでいたが、選ばれたのは彼ではなくオグマだった。
彼は怒り、オグマと彼をプリフェクトに選んだ者たちに対して呪いの言葉を吐いて、学園を去っていった。
あの時の姿のまま。
何一つ変化のないその姿は、成長もなく、老いも見えない。
ディアントスが熱を持つ。
デュースという歪んだ存在を忌んでいるのだ。
デュースが片手をロクマリアの方と広げた。
「業火よ、焼き尽くせ」
パチンと鳴った指の音と共にロクマリアの足下から炎が吹き上がる。
炎の柱に包まれた躰は、ノームの防御がなければおそらく一秒とて保たなかっただろう。
ロクマリアを愛するノームが逃げ出したい気持ちを抑えて、必死にロクマリアを守ろうとしているのだ。
だが、デュースの炎は禍々しく強い。
ノームの悲鳴を耳にして、ロクマリアは覚悟した。
「ロクマリア!」
滝?
いや、違う。大量の雨だ。
ずぶ濡れになった躰を感じて、ロクマリアはアルメリアが駆け付けてきてくれたことを知った。
「お前はまさかデュースか!」
息を呑む音。
ルーグが夜空を仰いで、声を荒げている。
「学園を去ったお前がなぜここにいる! ――オークを操っているのか?」
「なんて恐ろしいことを……」
アルメリアの驚愕した声の響きに、オークの背に乗った青年は嗤う。
「ロクマリア。お前は実にしぶとい。――次に会う時こそ、お前の最期だ」
がなり声。
耳に痛いそれがオークの啼き声なのだと気が付くのに時間を要した。
一同が両手で耳を覆っている間に、大きな影は月光に溶け、やがて見えなくなっていった。
肩に手を置かれ、ロクマリアは大丈夫だとその手の甲に己の手を重ねた。
「心配を掛けたな、ブロア。ルーグも。――助かったよ、アルメリア」
「そんなことよりもそろそろ教えて欲しいわ」
「そうだ、教えろ。なぜデュースがお前を殺そうとするんだ?」
怒ったようなルーグの声音にアルメリアは眉を顰める。
彼を制して、静かに言葉を紡いだ。
「私たちはずっとあなたに聞かずにきたわよね? どんなに聞きたかったか、あなた、分かる? 私たちはあなたのことが大好きだから、心配なのよ。――いつかあなたから話してくれるものだと信じていたわ。どうしてオークはあなたを狙うのか……」
「ロクマリア、もっと私たちを信じてくれてもいいんじゃないのか?」
「――信じているよ」
ロクマリアは重ねたブロアの手を軽く叩いて、顔を俯かせ、微笑んだ。
ブロアは首を傾げる。
「だったら、話してくれるのか?」
「ああ。――けど、巻き込むことになる。巻き込まれたくなかったら、今の内に俺から去ってくれ」
「馬鹿野郎! 今更何言っているんだよ。もうずっと前から巻き込まれっぱなしだ。それに約束しただろ? ずっと一緒にいてやるって」
不機嫌そうにルーグは腰に両手を置いた。
「大丈夫だ。俺たちはそんなにヤワじゃない」
頷くブロアとアルメリア。
少し離れた場所にメンヒルが立っている。
ロクマリアは決意して、白い手袋を外した。
現れたディアントス。
神々しい光を放ち、一同を圧倒させた。
言葉を失った彼らの中で、真っ先に我に返ったのはアルメリアだった。
「ディアントス。――王家の紋章だわ」
「まさか」
「ううん、間違いないわ。王家の紋章よ」
「それじゃあ、ロクマリアが……」
ルーグは数ヶ月前にオルウェンから聞かされた話を思い出した。
「……王?」
月明かりよりも更に眩しいディアントス。
それが物語ることは一つしかない。
ロクマリアが王となるべく者なのだ。
「デュースは俺の従兄だ。血筋だけを見れば、彼と俺は同じ。同じだけ玉座に近い。――それなのに、ディアントスが選んだのは俺だった」
「だから、デュースはあなたの命を狙うの? デュースがオークを?」
頷くロクマリアに、アルメリアは絶句する。
「オークを操るなんて!」
「俺がそこまでデュースを追い詰めたんだ」
「あなたのせいではないわ」
「けれど、俺がいなければ」
「違う!」
荒げた声は驚いたことにメンヒルのものだった。
彼女は己の肩にかかったシルバーブロンドを払いのけ、ロクマリアに真っ直ぐな瞳を向ける。
「あなたがいなくともディアントスはデュースを選ばなかったわ。デュースが闇に落ちることを、ディアントスは知っていたからよ」
「そうだな。ディアントスはデュースを選べなかった。デュースがデュースだからだ。――選ばれなかったことを理由にあそこまで堕ちる者を王に据えることはできない。当然だ」
メンヒルの言葉にルーグも頷く。
だが、彼女の言葉を更に続いた。
「ロクマリア。あなたはあなただからディアントスに選ばれたのよ。きっとあなたは、もしもディアントスに選ばれなかったとしてもデュースのようにはならなかったでしょうから」
「……俺は玉座には興味がないから」
「そうよ。だからよ」
「いや、違う。玉座はより強く望む者が手に入れるべきものなんだ」
望まぬ者が玉座に着くよりも望んだ者が玉座に着いた方が、その責務を正しく遂行するのではないだろうか。
嫌々行ってどうにかなるような生やさしいものではないのだ、王というものは。
しかし、アルメリアが首を横に振った。
「確かにそうしてうまくいくこともあるわ。けれど、ダメよ。だって知っているでしょう? 強すぎる想いはその者をオークにしてしまうのよ。――デュースの想いは、もはや欲。その欲に幼い頃から立ち向かってきたあなただからこそ王に相応しいのよ。ディアントスがあなたを選んだ理由がそれよ!」
ロクマリアは目を見開いてアルメリアの顔を見つめた。
「君は俺に王になれと?」
「あなたが私に王宮に上がれと言ったのよ? そうして自分は静かに墓守をしているつもり?」
切りかえされて、ロクマリアは吹き出した。
心外そうに眉を寄せるアルメリア。
「あなたを一人にするつもりはないわ。これからもずっとね。――そうでしょう、ルーグ?」
「そうだな。王宮勤めっていうのも悪くないかもしれないな。オルウェン先生にも勧められているし」
「ルーグって未だにあのデカ乳に頭が上がらないんだな」
「怒ると怖いんだよ。手に負えないんだぜ? ――そういうブロアはどうするんだよ? アファン先生から教師として学園に残るよう言われているんだろ?」
「言われているけど、言われているだけだ」
「なんだよ、それ?」
「まだ決めてないんだよ。アファン先生もいい加減な人だから言っているだけで、当てにならないし」
ブロアは両腕を組んで顔を顰めた。
けど、と言ってロクマリアに振り返る。
右手を開いて、差し出す。
「もしもロクマリアが王になるのなら、王宮に上がってもいい。ロクマリアが私を必要とするのなら、ずっと側にいてもいい」
風の民は縛り付けられることを好まない。
自由を好む気質は、生まれ落ちた時から死の迎えがくるまで変わりようがないからだ。
それでも――。
ロクマリアはしばらくの間その手とブロアの瞳を見比べ、そして、すっと右手を持ち上げると、ブロアの手を握った。
パチン。
二人の重なった手に更にルーグが音を立てて手を重ねた。
微笑み、アルメリアも重ねる。
「きっとあなたは良い王になるわ。デュースには誰もいないけれど、あなたは一人ではないのだから」
そう穏やかな言葉を零し、最後にメンヒルが重ねた。
▽▲
窓の外をヒラリヒラリと雪が舞っている。
積もることはなく、次から次へと暖かな大地へと溶けていった。
初雪が訪れた日、エーディン女王が姿を隠した。
女王の遺体はウィスプ(光の精霊)たちによって、いずこかの世界へと運ばれてしまうので、こういう言い方をする。
ある日、突然、容態の悪かったはずの女王が寝室から消えている。
それに気付き、一通り騒ぎ終えた後、王宮の者たちは彼女の死を悟るのだ。
彼女の死は、ロクマリアが学園を卒業する時まで隠される。
また、ロクマリアが次王であることも卒業まで隠される。
だが、エーディンの死後、ロクマリアのディアントスはますます輝きを増し、白い手袋では到底隠しきれなくなっていた。
輝きは生地を通してもなお強く、くっきりと紋章を形取っている。
たちまちロクマリアのことは知れ渡った。
学生たちはロクマリアを遠巻きにし、――かと言って、放っていてくれない。
ある者はロクマリアの姿を見つけると、それまでのおしゃべりを止め、口を閉ざし、顔を伏せた。
そして、ロクマリアが通り過ぎると、たちまちヒソヒソと言葉を交わしだし、いつまでもロクマリアの姿を目で追い続けるのだ。
また、ある者は、用もないのにロクマリアの側をうろつく。
ロクマリアが話しかけると、脱兎の如く逃げ出すのである。
変わらないのはブロアとルーグ、アルメリア。
そして、メンヒルくらいなものだ。
――お前は俺たちのダチだ。
――ルーグがダチだって言ったら、そうなんだ。
――そうね。ルーグが言ったのなら、そうなのよね。
幼い頃に交わした会話は、何年という月日が経っても、色褪せていない。
▽▲
ロクマリアはフリディスに呼ばれ、彼女の部屋に向かった。
扉を叩くと、彼女は席を立ってロクマリアを部屋に招き入れてくれた。
「王宮騎士団がデュースのことを追っています。直に捕らえられるでしょうが、その報告があるまであなたは一人歩きを避けて下さいね」
ロクマリアを先に椅子に座らせると、向かい合うように彼女も腰を降ろした。
「王宮があなたの護衛にと、騎士を数人貸し出すと言ってきているのですけど……」
「不要です。ずいぶんと学園の警備を強化して下さったようなので。十分です」
「そうですか。……他に何かありましたら遠慮しないで言って下さいね」
「はい」
ロクマリアは早々にフリディスの部屋を去りたかった。
すっかりよそよそしくなってしまった彼女との会話は苦痛でしかない。
だが、そんな彼の気持ちを知るよしもないフリディスはロクマリアを引き留め、次王の生活に不自由がないことを一つ一つ確認した。
彼女の部屋は学園校舎の西側。
地下にある。
物静かな場所からようやく出て、石段を上がると、西校舎と中央の校舎を繋ぐ回廊に出る。
回廊には簡易な屋根があるのみで、左右の壁がなく、開けた景色を眺めながら歩くことになる。
しばらく行くと、シルバーブロンドが円柱に背を預けながらロクマリアを待っていた。
普段は雪のように白い頬が上気し、林檎のように赤い。
彼女の手を取って、ロクマリアは顔を顰めた。
「どのくらい待っていたんだ?」
「それほどでもないわよ」
「こんなに冷えている」
「仕方ないわ。雪が降っているんですもの」
「雪が降っているのに、こんなところで待っているな」
「あなたが私の歌を聴きたいんじゃないかと思って」
「……」
ロクマリアはメンヒルの手を引いて歩き出した。
ルグナザド寮のサロンならば、一日中、暖炉に火が入っている。
一刻も早くこの冷えた躰を暖めてやりたかった。
「ねえ?」
「何だ?」
「王宮にも歌を唄える者が必要かしら?」
ロクマリアは先を歩き、彼女を振り返らなかった。
繋いだ手から、自分の熱が彼女に移ればいいと思っていた。
さあな、と短く答え、そうして微笑む。
「王宮にはどうだか知らないが、俺には必要だろうな」
【第三の季節 おわり】