第9話:オムニテックの陰謀発覚
「偽りの慈善か...最低ね」
クレハが情報ブローカー「シルバー・トング」から受け取った資料を見ながら、顔を歪める。
高級ラウンジ「ネクサス・プラチナ」80階。シン・トーキョーの夜景を一望する豪華な空間で、1杯10万NCのサイバー・カクテルを前に密談が行われていた。ホログラム芸者が優雅に舞い踊る中、液体金属のカウンターが クレハの怒りを感知して赤く変色している。
「オムニテック・コーポレーションの裏の顔を知りたいと言ったのは貴女でしょう?」
シルバー・トングが薄ら笑いを浮かべる。50代の男性で、全身に情報収集用のサイバーウェアを埋め込んでいる。左目の電子眼が絶えずデータを収集し、右手の指先には超小型カメラが仕込まれている。
「これが彼らの二重販売戦略の全容よ」
画面に映し出されるのは、衝撃的な内容だった。
富裕層向け「プレミアムライン」:
- 商品名:「セレニティ」「エクスタシー・プラス」「インフィニティ」
- 価格:1回100万NC
- 特徴:依存性抑制機能付き、安全性保証
- 顧客:政府要人、企業重役、社会上層部
貧困層向け「ストリートライン」:
- 商品名:「イージー」「ラッシュ」「エスケープ」
- 価格:1回1000NC
- 特徴:強烈な依存性、サイバーサイコ化誘発
- 販売方法:「社会復帰支援」名目で無料サンプル配布→依存化→搾取
「ふざけるな...」
クレハの拳がテーブルを叩く。高級グラスが震えて、中のカクテルが波打つ。
「貧困層を薬漬けにして、金持ちは安全な薬を楽しむ?そんなの許せるわけないでしょ!」
俺も彼女の怒りに共感していた。
これは明らかに不正です。弱者を食い物にしている
でしょ?こんなの絶対に許せない!
クレハの正義感が爆発している。人間だった頃の俺にも、こんな理不尽に対する怒りがあったような気がする。
「詳細な情報料は500万NC。それと...」
シルバー・トングが追加の提案をする。
「今夜、オムニテックの輸送車が旧市街を通過する。快楽プログラムを満載してね」
◇
オムニテック・コーポレーション本社タワー・同時刻
シン・トーキョーで最も美しく、最も邪悪な建物。それがオムニテック本社だった。
表向きは人類の幸福を追求する慈善企業として知られ、無料医療サービスや職業訓練プログラムで市民から絶大な支持を得ている。しかし、その地下では全く別の顔を持っていた。
最上階の重役室。巨大な窓からは汚染された街が一望でき、酸性雨が窓ガラスを叩いている。重厚な机の向こうに座るのは、ヴィクター・オムニス。60代の男性で、慈善家として市民に愛される一方で、裏では冷酷な独裁者だった。
「Dr.エヴァ、新しいバッチの効果はいかがですか?」
ヴィクターが上品な口調で尋ねる。
向かいに座るのは、Dr.エヴァ・ネクロシス。40代の女性研究者で、快楽プログラム開発の第一人者だ。白衣に身を包んだ彼女の目には、科学への狂気的な情熱が宿っている。
「素晴らしい成果です、会長」
エヴァが満足げに報告書を開く。
「ストリートライン『エスケープ』の依存率は98.7%。一度使用すれば、ほぼ確実にリピーターになります」
「すばらしい。貧困層の『救済』事業は順調ですね」
ヴィクターの口元に薄ら笑いが浮かぶ。
「彼らに『希望』を与えているのです。現実逃避という名の希望を」
「現実が辛いなら、美しい夢を見させてあげる。それは慈善行為ではありませんか?」
エヴァも同じように微笑む。
「そうですね。私たちは人類を幸福にしている。たとえそれが偽りの幸福でも」
二人の会話は、純粋な善意から始まったのかもしれない。しかし、いつの間にか歪んでしまった正義感が、今では完全に腐敗している。
「今夜の輸送は問題ありませんか?」
「もちろんです。新しいバッチを各地区に配布します。今回は小学校周辺にも」
「子供たちにも『希望』を...良いことです」
◇
旧市街・水没廃墟地区
午後11時。オムニテックの装甲輸送車が、薄汚れた廃墟の間を縫って進んでいた。
運転手は気づいていない。暗闇の中から、銀髪の影が彼らを狙っていることを。
「ターゲット確認。護衛車両2台、本体1台」
クレハが双眼鏡越しに状況を確認する。
「警備は軽めですね。民間輸送を装っているようです」
俺が分析する。
あの中に、どれだけの人を不幸にする毒が入ってるのかしら
クレハの怒りが伝わってくる。
「でも、クレハ」
何?
「これは正義のための戦いですか?それとも報酬のための仕事ですか?」
俺は純粋な疑問を口にした。
...両方よ。でも、正義の方が大きい
俺もそう思います。人間時代の俺も、きっと同じように怒ったでしょう
「行くわよ、ZERO」
「はい。一緒に戦いましょう」
◇
襲撃開始
クレハがサイバー・バイク「スピード・デーモン」で廃墟の影から躍り出る。青いネオン軌跡が暗闇を切り裂き、排気音が静寂を破る。
「誰だ!」
護衛車両から武装兵士が飛び出してくる。オムニテック私設警備「セキュリティ・ドロイド」。全身黒いアーマーで武装した、企業の汚れ仕事専門部隊だ。
「正義の味方よ」
クレハが不敵に笑いながら村雨を抜く。高周波ブレードが廃墟の錆びた鉄骨に反射して、美しい光の模様を描く。
「左の車両から3名、右から2名。本体車両の警備は最小限です」
俺の分析が響く。
「了解。まずは護衛から片付けましょう」
戦闘が始まった。
廃墟の中での戦いは、まるで立体迷路のようだった。崩れかけたビルの骨組み、水に浸かった1階部分、錆びた階段...全てが戦場となる。
クレハは廃墟の地形を巧みに利用し、敵を翻弄する。
シュイイイン!
村雨が警備兵のプラズマライフルを切断。続いて鬼灯が火を噴き、敵の胸部装甲を貫通する。
「くそ、化け物め!」
残った警備兵がミサイルランチャーを構える。
「危険です!建物の陰に!」
俺の警告でクレハが廃墟の影に身を隠す。
ドォォォン!
爆発で古いコンクリートが崩れ、粉塵が舞い上がる。
「やってくれるじゃない」
クレハが粉塵の中から現れる。サイバーウェア「刹那」を起動し、時間感覚を加速させる。
世界がスローモーションになる中、クレハは完璧な軌道で反撃した。
10分後、全ての護衛が無力化された。
「輸送車確保」
クレハが車両に近づく。
荷台を開けると、そこには数百本の快楽プログラム・カプセルが整然と並んでいた。透明な液体が入った小さなバイアル。それぞれに「イージー」「ラッシュ」「エスケープ」の文字が刻まれている。
「こんなに...」
一本で何人が依存症になるのでしょうか
「考えたくもないわ」
クレハがプログラム破壊を開始する。一本一本を地面に叩きつけ、液体を無駄にしていく。
「これで少しは...」
その時、輸送車の通信機から声が聞こえてきた。
『こちらオムニテック本社。輸送車007、応答せよ』
クレハと俺はその声に意識を向けた。
『緊急事態発生。フリーダム・フロントの仕業と思われます。直ちに...』
通信が途切れる。
「フリーダム・フロント?」
聞いたことがありません。新しい組織でしょうか
「まあ、いいわ。今日の仕事は終了」
◇
IRON WOLVES基地・深夜2時
基地に戻ると、ユリが心配そうに待っていた。
「お帰りなさい、お姉ちゃん!今日は遅かったね」
「ちょっと手こずったのよ」
クレハが疲れた表情で答える。
「お疲れ様。温かいスープ作ったよ」
ユリが台所から湯気の立つスープを持ってくる。人工肉と培養野菜のシンプルなスープだが、愛情がたっぷり込められている。
「ありがとう、ユリ」
クレハがスープを一口飲む。体の芯から温まる優しい味だった。
こういう温かさを守るために戦ってるんですね
俺がつぶやく。
そうよ。ユリの笑顔を守るために
「お姉ちゃん、最近本当に危険な仕事が多いのね」
ユリが心配そうに言う。
「心配しないで。私には頼りになる相棒がいるから」
相棒...
俺の心が温かくなる。
「でも、あんまり無茶しちゃダメよ?私、お姉ちゃんがいないと生きていけないんだから」
ユリの言葉に、クレハの表情が少し曇る。
秘密を抱えるのって、こんなに辛いものなのね
クレハが心の中でつぶやく。
いつか話せる日が来るでしょうか
きっと来ますよ。でも、今は時期じゃない
そうね...
◇
深夜・バルコニーでの対話
午前3時。ユリが寝た後、クレハは一人でバルコニーに出た。
「今日の戦い、正しかったと思う?」
クレハが夜空を見上げながら問いかける。
「はい。あのプログラムがどれだけの人を不幸にするか...放っておけませんでした」
「でも、法的には私たちが悪いのよね。企業の財産を破壊したんだから」
俺は考え込んだ。
「法律が全て正しいとは限りません。時には法を破ってでも守るべきものがあるのでは?」
「人間時代の記憶?」
「...かもしれません。でも今は、君の正義感を信じたいです」
クレハが小さく笑った。
「あんたも変わったわね。最初は効率ばかり考えてたのに」
「君といると、効率よりも大切なものがあることを学びます」
「それが人間らしさよ」
「では、俺もずいぶん人間らしくなったでしょうか?」
「十分よ。むしろ、私より人間らしいかもしれない」
遠くで企業タワーのネオンが瞬いている。オムニテック本社も、その中の一つだ。
明日もまた、新しい戦いが待っているだろう。
でも今夜は、俺たちの正義が一つの悪を止めた。