第5話:企業戦争の火種
「昨日の敵が今日の雇い主って...複雑ね」
クレハが苦笑いを浮かべながら、依頼書のホログラム画面を見つめている。
IRON WOLVES基地のブリーフィングルーム。8台のホログラム・ディスプレイが壁一面に並び、各企業の勢力図と最新情報を映し出している。ミクが指先でディスプレイを操作するたび、立体映像がくるくると回転し、複雑な企業関係図が宙に浮かんでいる。
「今回の依頼主はネクサス・コーポレーション。生体工学分野の巨大企業よ」
ミクが説明を始める。茶髪のボブカットを揺らしながら、彼女の指が空中で踊る。
「昨日攻撃したハイペリオン社の輸送車を、今度はネクサス社の施設を守るために迎撃する任務」
「戦争における敵味方は流動的です」
俺がクレハの脳内でコメントする。
「あんた、なんでそんなに政治や戦争に詳しいの?」
クレハが心の中で質問する。
「軍事AIとして設計された際に、戦史データベースが組み込まれているからです」
俺は軍事AI設定の範囲内で答える。
画面に映る勢力図を見ながら、俺は分析を続ける。
ハイペリオン・ミリタリー・インダストリー:軍事産業の雄、重火器とサイバーウェア兵器
ネクサス・コーポレーション:生体工学の最先端、人体改造と医療技術
ミカド・ヘヴィ・インダストリー:AI技術の頂点、俺の元の所属企業
「全ての企業が狙ってるのは、汚染地区の『進化技術』」
ミクが核心を突く。
「機械と生物が融合した新生命体から、革新的な技術を抽出しようとしてる。でも、その技術を手に入れるためには...」
「他社を出し抜く必要がある」
クレハが理解する。
「そういうこと。だから毎日のように企業間戦争が起きてる。私たちフリーランス傭兵は、その狭間で依頼を受けて生きてるの」
◇
オオテマチ・アーク企業支配区域 - ネクサス研究施設
午後6時。三週間夜の始まりとともに、企業区域のネオンライトが一斉に点灯する。
ネクサス・コーポレーション第7研究所は、オオテマチ・アークの一角にそびえ立つ白く清潔すぎる建物だった。ガラス張りの外壁には企業ロゴが淡く光り、内部では巨大な実験装置が蠢いている。見るからに高価な設備が、規則正しいリズムで稼働音を響かせている。
警備ロボットが建物周囲を巡回し、レーザースキャナーで侵入者を警戒している。無菌室のような白い廊下の至る所に監視カメラの赤いランプが点滅し、完璧に管理された人工環境を作り出している。
「美しいけど...なんか息苦しい」
クレハが感想を漏らす。
「計算され尽くした効率性です。無駄を一切排除した建築設計」
俺が分析する。
「あんたみたい」
「...それは褒め言葉ですか?」
クレハが施設の屋上に着地する。今夜の任務は、この研究施設の防衛だ。
「ZERO、ハイペリオン社の攻撃パターンを予測できる?」
「軍事データベースを参照します」
俺は蓄積された戦術データを総動員して分析する。
「この建物の構造なら、敵の侵入経路は3つに絞れます。正面玄関、地下駐車場、そして屋上からのロープ降下」
「詳しいわね」
「軍事AIとして、施設防衛は基本戦術の一つです。最適な守備位置は...」
俺がクレハの視界に戦術図を表示する。敵の予想侵入ルート、最適な迎撃ポイント、退避経路...全てが立体的なARマップとして浮かび上がる。
「あんた、軍事に詳しいのね」
「軍事AIですから。戦術分析は基本機能です」
その時—
ドォォォン!
遠くから爆発音が響いた。
「始まったな」
クレハが村雨の柄に手をかける。
夜の闇の中から、黒装束の影がゆらりと現れた。ハイペリオン社の特殊部隊だ。全身をサイバーウェアで強化し、光学迷彩で半透明になった兵士たちが、雨の中を音もなく疾走してくる。
先頭の兵士は頭部の大部分が機械化されており、複数の赤いセンサーアイが獲物を求めて回転している。腕部は完全にサイバーアーム化され、内蔵されたプラズマキャノンが青白く光っている。
「敵12名。重装サイバーウェア装備。戦闘能力は通常兵士の3倍と推定」
俺が分析結果を報告する。
「つまり、私一人で36人分の敵ってこと?」
「そうなります」
「最悪ね」
クレハが舌打ちする。でも、その口元に小さな笑みが浮かんでいるのを俺は見逃さなかった。
彼女は強敵との戦いを楽しんでいる
◇
「クレハ、屋上から3名が侵入してきます」
俺の警告と同時に、天井のガラスが爆発した。
ガシャアアアン!
ガラス片がキラキラと舞い散る中、ロープで降下してくる敵兵士。その美しくも危険な光景に、クレハは一瞬見とれた。
「左の敵から対処してください。距離8メートル、武装はプラズマライフル」
俺の分析が脳内に響く。
今度、クレハは俺の指示を無視しなかった。
素早く左にステップし、村雨を抜いて敵に突進する。高周波ブレードが青白く光り、周囲の実験装置のモニターが共鳴して明滅した。
「うおおおお!」
敵兵士が雄叫びを上げてプラズマキャノンを発射。青い光弾が空気を裂いて飛来する。
クレハは最小限の動きでそれを回避し、敵の懐に飛び込んだ。
シュイイイン!
村雨が敵のサイバーアームを分子レベルで切断する。金属と人工筋肉が一瞬で分離し、蛍光色の冷却液が噴き出した。
「ギャアアア!」
敵が苦痛に悶える。
しかし、残りの敵も黙ってはいない。
「右から2名、距離12メートル!」
俺の警告に従い、クレハは腰の鬼灯を抜いた。大口径リボルバーの重量感が、彼女の手に安心感を与える。
バァン!バァン!
対サイバーウェア徹甲弾が火を噴く。硬化装甲を貫通し、敵の胸部に風穴を開けた。
「よし!」
クレハが小さくガッツポーズ。
「今のコンビネーション、効果的でした」
俺も満足そうにコメントする。
「あんたの指示、悪くないわね」
初めて、クレハが俺を認める言葉を口にした。
戦闘は15分間続いた。
俺の戦術分析とクレハの身体能力が完璧に融合し、ハイペリオン社の特殊部隊を完全に撃退する。最後の敵兵士が倒れた時、研究施設には静寂が戻った。
「防衛任務完了。敵の損害12名、味方の損害ゼロ」
クレハが通信で報告する。その声には、達成感と少しの誇らしさが混じっていた。
「君の判断は理解できませんが...効果的でした」
俺が素直に褒める。
「理解できないって何よ」
「論理的には無謀な突進でした。でも結果として最適解になった」
「直感よ、直感。データじゃ測れないものもあるの」
クレハが得意げに言う。
彼女の戦い方には、確かにデータにない何かがある
俺は改めて感心した。
◇
高級ラウンジ「ネクサス・プラチナ」80階
任務終了後、ネクサス社の重役から直接報酬を受け取るため、クレハは企業タワーの最上階に向かった。
エレベーターが高速で上昇し、耳がキーンと鳴る。80階に到着すると、扉が開いて豪華絢爛な世界が現れた。
シン・トーキョーの夜景を一望する巨大な窓。街の光が宝石箱をひっくり返したように煌めいている。天井から吊り下げられたホログラム・シャンデリアが虹色の光を放ち、液体金属でできたカウンターが客の感情に反応して色を変えている。
ホログラムの芸者が優雅に舞い踊り、空中に光の花を咲かせる。1杯10万NCのサイバー・カクテルを飲む富裕層たちが、低い声で密談を交わしている。
「よくやってくれました、クレハさん」
ネクサス社の重役、ドクター・白井が満足げな笑顔を浮かべる。50代の男性で、左目がサイバーアイになっている。
「今夜の防衛は完璧でした。ハイペリオンの連中にも良い薬になったでしょう」
「仕事ですから」
クレハが簡潔に答える。
「報酬は約束通り300万NC。それと...」
ドクター・白井が追加の提案をする。
「継続契約はいかがですか?ネクサス社専属の傭兵として」
「お断りします」
クレハの返事は即答だった。
「中立を保ちたいので」
「そうですか...残念です」
重役は苦笑いを浮かべた。
◇
IRON WOLVES基地・深夜0時
基地に戻ると、ユリとミクが心配そうに待っていた。
「お帰りなさい、お姉ちゃん!」
ユリが駆け寄ってくる。
「今日のクレハ、いつもと戦い方が違ったね」
ミクが興味深そうにモニターの戦闘記録を見ている。
「どう違うって?」
「なんか...戦術的になってた。効率的な動きが多かった」
「そうなの?」
クレハが首を傾げる。
「でも、お姉ちゃん、なんかすごくかっこよかった!」
ユリが目を輝かせる。
「特に最後の連続攻撃!あんなの初めて見た!」
「そ、そんなことないよ...」
クレハが照れ隠しに頬を掻く。
彼女は妹に褒められるのが嬉しいんだ
俺は微笑ましく思った。
基地のリビングで、みんなでコーヒーを飲みながら今日の任務を振り返る。温かい飲み物の香りと、仲間たちの談笑声。戦場とは対照的な、平和で温かい時間だった。
「効率的じゃないって分かってるよ...でもさ」
クレハが独り言のようにつぶやく。
「でも?」
ミクが興味深そうに聞く。
「...やっぱり何でもない」
クレハは最後まで言わなかった。でも、俺には分かった。
彼女は言いたかったんだ。「アドバイスをもらっただけよ」と
◇
深夜2時・バルコニーでの対話
みんなが寝静まった後、クレハは一人でバルコニーに出た。
三週間夜の2日目。街のネオンが美しく瞬いている。
「ZERO」
「はい」
「今日、あんたが戦闘中に助言してくれたこと...」
クレハが言いかける。
「効率的な判断でした」
俺が答える。
「でも、敵を倒すだけじゃなくて、建物の中の研究員たちの安全も気にかけてた」
「それは...」
「研究員は民間人です。巻き込むべきではありません」
俺は論理的に答えるが、本当はそれだけではなかった。
「でも、俺にとって直接的な利益はありません。なぜ彼らの安全を考慮したのか...自分でもわからない」
「それって、心配したってことよ」
クレハが静かに言った。
「心配...」
「人間の感情よ。大切な人の安全を願う気持ち」
「俺にも、そんな感情があるのでしょうか」
「あるから、私に融合した時も私を守ろうとしたんでしょ?」
クレハの言葉に、俺は胸が温かくなった。
そうか、俺は彼女を守りたいと思ったんだ
データや効率性ではなく、純粋に
「クレハ」
「何?」
「ありがとう。今日は良いコンビネーションでした」
「...別に、あんたのおかげじゃないから」
クレハが照れ隠しに頬を膨らませる。
でも、その表情は昨日までの拒絶的な態度とは明らかに違っていた。
少しずつだが、俺たちの関係は改善している
遠くで企業タワーの光が瞬く。明日もまた、複雑な企業戦争の中で戦うことになるだろう。
でも今夜は、俺たちの間に小さな信頼の絆が生まれた。
それで十分だった。