第1話:ヒーローへの道
この日、俺は一つの命を救い、一つの命を終えた——
「やめろ」
男が振り返る。
ナイフの切っ先が俺に向けられる。
街灯の光が刃に反射し、鈍く光った。
「邪魔すんじゃねえ。殺すぞ」
子供の震える声が聞こえる。
「やめて」と言っている。
『逃げればいい。誰も俺を責めない』
でも、足は動かなかった。
『この子を見捨てたら、俺が6年間積み上げたすべてが嘘になる』
「子供に手を出すな」
一歩踏み出すと、世界が音を失った。
ナイフが、夕日の中で鈍く光る。
「死ね!」
時が止まったような感覚。
刃の軌道が見える。
俺は考える間もなく、女の子を抱きかかえて——
ズブリ。
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数時間前
「はいはい、おはようございます。ZERO_Tacticalです」
俺は眠そうな声でマイクに話しかけながら、モニターの向こうの虚空に手を振った。
配信画面の右下に表示される視聴者数は47人。
『おはZERO!今日も朝練?』
『ZERO神降臨』
『コーヒー飲んだ?』
チャットが流れる。
いつものメンバーたちだ。
みんな顔も知らない赤の他人だけど、なんかほっとする。
「ありがとう、みんな。今日もFPSの練習配信やっていきます」
俺は冷めたコーヒーを一口飲みながら、画面に『BATTLEFIELD NEXUS』を起動する。
「今日のターゲットは...そうだな、ダイヤランクまで上げてみよう。じゃ、行くか——零式ヘッドショット」
『零式きたー!』
『今日も安定して強い』
『ZERO配信は勉強になる』
マッチが始まる。
敵が角から姿を現した瞬間、俺は撃った。
パン!
ヘッドショット。即死。
『今の反応速度人間じゃない』
『ZERO強すぎ問題』
「いやいや、敵の動きが読みやすかっただけです。パターンがあるんですよ、みんな」
俺は謙遜しながら次のポジションに移動する。
6年間毎日やってれば、相手の動きなんて自然と分かるようになる。
普通のことだ。
『ZERO謙虚すぎw』
『この安定感、マジで異常』
ゲームが終わる頃、いつものリスナー「@フロスト」がスーパーチャットを送ってきた。
『ZERO-7さん、いつもありがとうございます。昨日教えてもらった立ち回り、ランクマッチで使えました!』
俺の心が温かくなる。
これだ。これが配信を続ける理由。
「ありがとう、フロスト。また分からないことがあったら気軽に聞いて。みんなで上達していこう」
配信を終了し、俺は椅子から立ち上がった。
小さなアパートの部屋。決して豪華じゃないけど、俺には十分だ。
でも今日は、なぜか落ち着かない気分だった。
『もっと意味のある何かがあるんじゃないか』
そんな漠然とした想いを抱きながら、俺は近所のゲームセンター「アーケード・プラザ」に向かった。
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ゲーセンの奥で人だかりができている。
その中心には、見覚えのある顔があった。
『まさか...あの相沢健太?』
LIGHTNING STORMのエースプレイヤー。
俺が配信を始めたきっかけになった人だ。
6年前、彼の神業的なプレイ動画を見て「俺もこんな風になりたい」と思った。
憧れの存在が、目の前にいる。
「誰か挑戦者はいませんか?1vs1、ハンディキャップありで」
観客たちがざわめく。
でも、誰も手を上げない。
『相沢さんに挑戦? 俺が?』
そう思ったが、気がつくと口から言葉が出ていた。
「あの、やってみたいです」
相沢さんが俺の方を向く。
「ありがとうございます! お名前は?」
「神谷です」
心臓がバクバクと鳴っている。
まさか憧れの人と対戦するなんて。
ハンディキャップは相沢さんがナイフオンリー、俺は通常装備。
ゲームが始まり、俺は高所を取った。
相沢さんの姿を捉えた瞬間—
「!?」
いない。
さっきまでいた場所から消えてる。
背後に気配を感じた瞬間、俺の体が勝手に動いた。
6年間の訓練が体に染み付いている。
振り向きながらトリガーを引く。
バン!
ギリギリ間に合った。
相沢さんのナイフが俺の首筋を掠める直前、俺の弾丸が先に命中した。
「今の反応速度...凄いですね」
2戦目、3戦目...結果は全て俺の勝利だった。
「神谷さん、どちらのプロチーム所属ですか?」
「え? 俺はただの配信者です。ZERO_Tacticalって名前で...」
相沢さんの目が輝く。
「ZERO_Tactical! あの『Industrial Complex』での連続ヘッドショットの!」
『相沢さんが俺の動画を知ってる?』
「良かったら僕たちのチームの練習を見学しませんか?」
その時、ゲーセンの入り口から騒がしい声が聞こえてきた。
「おい、金出せよ!」
高校生らしき男子が3人の不良に絡まれている。
俺は考えるより先に、その場に向かっていた。
「何の騒ぎですか?」
不良の一人が俺に向かって踏み出す。
でも、俺は動かない。
『なんでだろう。相手の動きが、すごく読みやすい』
右足に重心をかけて、左手が少し前に出てる。
次は右のストレートが来る。
タイミングは...今だ。
不良が右手を振り上げた瞬間、俺は左に半歩ステップした。
拳が俺の鼻先を通り過ぎる。
「ゲームと同じですよ」
俺は相沢さんに振り返って言った。
「相手の行動を予測して、最適解を選ぶ。FPSでも格闘でも、基本は変わらないと思います」
相沢さんが息を呑んだ。
「神谷さん...貴方、本当に『ただの配信者』ですか?」
「はい。俺に才能なんてありません。ただ6年間、毎日練習してきただけです」
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家に帰る道すがら、俺は相沢さんの名刺をポケットにしまいながら考えていた。
『プロチーム? 俺が? 憧れの相沢さんが?』
でも、なぜか素直に喜べなかった。
『6年間の努力で何を得た? 数十人の視聴者とちょっとした称賛?』
『もっと直接的に、誰かの役に立ちたい』
コンビニで夜食を買って帰ろうと思いながら歩いていると、泣き声が聞こえた。
街灯の下で、フードを被った男が小学生くらいの女の子を壁に押し付けていた。
手にナイフが光っている。
俺の心臓が激しく鼓動したが、足は考えるより先に動いていた。
『ゲームと同じだ。動きを読んで、素早く反応する』
「おい」
恐怖が這い上がる中、声は驚くほど落ち着いていた。
「やめろ」
男が振り返る。
ナイフの切っ先が俺に向けられる。
街灯の光が刃に反射し、鈍く光った。
「邪魔すんじゃねえ。殺すぞ」
子供の震える声が聞こえる。
「やめて」と言っている。
『逃げればいい。誰も俺を責めない』
『でも...』
頭の中で、今朝の配信の光景が蘇る。
フロストの「ありがとうございます」という言葉。
相沢さんの驚いた顔。
『この子を見捨てたら、俺が6年間積み上げたすべてが嘘になる』
「子供に手を出すな」
一歩踏み出すと、世界が音を失った。
ナイフが、夕日の中で鈍く光る。
男がナイフを振り上げる。
「死ね!」
時が止まったような感覚。
刃の軌道が見える。
アーケードでの動きと同じように、相手のパターンが読める。
『このままじゃ俺が死ぬ。でも、子供の方に向かうかもしれない』
その瞬間、時間が歪んだ。
『運命の分岐点です』
頭の中に、知らない声が響いた。
機械的で、冷たく、どこか悲しげな声。
『あなたの選択を記録します』
『何だ? この声は?』
でも考える時間はない。
俺は女の子を抱きかかえて自分の体で覆った。
ズブリ。
鈍い痛みが背中を走る。
でも、女の子は無事だ。
「きゃあああ!」
女の子の泣き声が響く。
周囲の人たちが気づいて、男を取り押さえようとしてる。
俺は女の子を安全な場所まで運んでから、その場に座り込んだ。
背中が熱い。
でも、不思議と後悔はなかった。
『俺は、正しいことをした』
「大丈夫ですか! 救急車を呼びました!」
誰かの声が聞こえるが、だんだん遠くなっていく。
俺は空を見上げた。
夕日が美しい。
『今日も良い一日だったな』
朝の配信で47人の人が俺の話を聞いてくれた。
憧れの相沢さんに認められた。
そして最後に、一人の女の子を守ることができた。
『6年間、ゲームで「人を守る」練習をしてきた』
『最後に、本当に人を守れた』
悪くない人生だった。
短いけど、悪くない。
『記録完了。転送を開始します』
再び、あの機械的な声が聞こえる。
『転送? 何の話だ?』
でも、もう考える力が残っていない。
俺は心の中でつぶやいた。
『みんな、ありがとう』
『フロスト、今度は君が誰かを守る番だ』
『相沢さん、もしも...もしも生まれ変わることがあったら』
『今度はもっと、大切な人たちを守りたい』
『今度は、もっと多くの人の役に立ちたい』
救急車のサイレンが近づいてくる。
でも、俺の意識はもう薄れかけてる。
最後に見えたのは、泣きながら俺の手を握る女の子の顔だった。
『無事でよかった』
『これで、良かったんだ』
俺の世界は、静かに暗くなった。
でも心は温かかった。
きっと、俺の人生は無駄じゃなかった。
『転送完了。新たな世界での再起動を準備します』
そして、神谷零は眠りについた。
次に目覚める時、彼は別の名前で、別の世界で、しかし同じ心を持って——
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翌日、ニュースサイトより
『通り魔事件で男性死亡 幼女を庇い刺される』
『被害者の神谷零さん(25)は、ゲーム配信者として活動。最後まで子供を守り抜いた英雄的行為として注目』
配信サイトのコメント欄
『@フロスト:ZERO...ありがとう。君のことは絶対忘れない』
『@Lightning_Aizawa:彼は本物のヒーローだった』
『@ViewerEX:最後まで優しい人だった』
『@TacticalGamer:俺たちの誇りだよ、ZERO』
神谷零の人生は、ここで終わった。
しかし、これは終わりではなく、始まりだった。
謎の声は何だったのか。
「転送」とは何を意味していたのか。
他人を守る彼の意志は、やがて別の世界で、より大きな力を手に入れて燃え上がることになる。
今度は、「ZERO-7」という名前で——
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