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アーケルが小さな町を出てからほぼ半日が経っていた。足は砂利道で硬くなり、喉はこの地域のきれいな水の不足でカラカラに乾いていた。前方の深い木々の間から陽光が揺らめき、彼は…全く異なる地域へと足を踏み入れた。


鳥の鳴き声も風も聞こえない。ただ、かすんだ白い霧が空気中に漂っているだけだった。その濃さはあまりにも濃く、アーカーは自分の手を伸ばしてやっと自分の手が見えるほどだった。「変だな…今まで訪れたどの森とも違う」


突然…霧の中からかすかな音が響いた。子供っぽい、軽やかで軽やかな笑い声だったが、二度と響かなかった。アーカーは言葉を止めた。無意識のうちに、手製の槍を握り締めた。首筋から背筋にかけて、ぞっとするような違和感がこみ上げてきた。「ありえない…ここはただの村じゃないはず」


彼はゆっくりと、そして慎重に歩き続けた。すると、濃い霧の向こうに、古い木製の門が現れた。門には木の板がかかっており、苔に侵食されてかすかに「ジヴァール村」と刻まれていた。


村の門を入ると、アーケルは数軒の荒れ果てた家を見た。何もかもが…静まり返っていた。犬の吠え声も人影もなく、ただ扉の隙間からちらちらと光る視線だけが、まるで村人たちが悪魔の巣窟へと足を踏み入れる見知らぬ者を静かに見守っているかのようだった。


アーカーはゆっくりと村へと歩みを進めた。ポーチに座った老婦人の横を通り過ぎた。白髪が顔を覆っていたが、それでも老婦人はささやいた。「何人ですか?」


アーカーは驚愕した。「すみません…何とおっしゃいましたか?」


老女は何も答えなかった。彼女は立ち上がり、向きを変えて中に入った。木の扉がまるでハンマーのようにアーカーの心臓に叩きつけられた。


村の端に、他の家よりも大きな家があった。木の壁は真っ黒に染まり、苔が生い茂っていたが、朽ち果てた様子はなかった。そこからは奇妙な冷気が漂い、まるで何かが…村のあらゆる出来事を監視しているかのようだった。「きっと…ここは忘れられた村ではない。…縛られた…村なのだ。」


アーカーは村の真ん中にある廃井戸のそばに座った。目は重く、胸は岩に押し付けられているようだった。今すぐこの場所から立ち去りたい衝動に駆られたが、同時に、まるでここにいるような感覚に引き戻された。「村人たちの目は…プラチナの髪の少女の目と同じじゃないか?」


「空虚で、静かで、そして期待に満ちて…」


アーカーは、ブラッド・クランが命を奪うために剣を使う必要がないことに気づき始めた。彼らは幻影、記憶、そして疑念を用いて、生者の意志を歪めていた。そしてこの場所は、最も残酷な試練の場の一つだった。


大きな屋敷の最上階に、半開きの窓からアーカーを見つめる黒い人影が胡坐をかいて座っていた。顔には銀色の逆三角形の仮面が被せられ、手には水晶玉が握られ、アーカーの姿を様々な角度から映し出していた。「ついに来たか…光の器よ」


「あなたはもうここを離れることはできない。…あなたの心がまだ脆いうちは。」すると、彼は突然姿を消し、アカーは呆然と立ち尽くした。


灰色の雲間から差し込む淡い黄色の陽光の下、アーカーは小さな森の町の木の門をゆっくりとくぐり抜けた。幾日もの過酷な訓練で、全身はまだ痛みを堪えていた。埃っぽいローブをまとい、腰には手製の槍を下げ、人々が新しい一日の準備に忙しくしているのを見て、アーカーは目を留めた。槌と鉄のぶつかる音、子供たちの笑い声、厨房の煙と焼きたてのパンの香りが空気中に混ざり合っていた。すべてが平和だった。あまりにも平和だったので、アーカーは途方に暮れたような気がした。


彼は市場の片隅にある小さな店に近づき、ためらいがちに歩き、ポーチの古い木の椅子に腰を下ろした。店主は親切な白髪の老婦人で、まるで旅人の疲労と孤独を理解しているかのように、何の疑問も抱かずに、親しみを込めた笑顔でアーケルに温かい水を一杯手渡した。アーケルは感謝の意を表して頭を下げ、静かに水を一口飲みながら、周囲を見渡した。


「遠くへ行くんですか?」老婆の声が静かに響いた。


アーカーは何も言わずに頷いた。彼はまだ混乱していた。まるで何か大切なものを失ったかのように、胸が締め付けられるような感覚が残っていた。共に旅をした人々――ライラ、ケイル、ミラ、そしてあの騎士でさえ――の記憶は霧のように消え去ってしまったようだった。彼らの顔さえ思い出せなかったが、彼らのことを思うたびに胸が痛んだ。


突然、アーカーは背後から子供たちの笑い声を聞いた。一団の子供たちが追いかけ合いながら走り去っていく。薄プラチナ色の髪をした少女――数週間前から彼と一緒にいた少女と同じ髪の色――が、アーカーの視界に飛び込んできた。アーカーは驚いて振り返った。まるで長い夢から覚めたかのように、心臓が激しく鼓動していた。


……だが、あの少女はもうここにはいなかった。アーカーが地血結社の幻惑の罠に落ちて以来、彼女は姿を消し、今は彼一人きりだった。


アーカーの胸に、感情の波が押し寄せた。膝に置いた両手を握りしめ、軽く目を閉じた。「なぜ私が?」その問いが、彼の心の中で何度も繰り返された。あの力――ライリアが彼に与えた光の力。それはほんの一部に過ぎなかったが、多くの苦しみを乗り越えるには十分だった。しかし今、彼はライリアが誰だったのか、そしてなぜ自分がこの世に生まれてきたのかを、もはや思い出せなかった。


彼には時間が必要だった。息をし、考え、そして自分自身を見つめ直す場所が必要だった。そして、ゆったりとした生活と素朴な人々が暮らすこの小さな町こそ、新しい人生を始めるのにふさわしい場所だったのかもしれない。


アーカーは飲み物を飲み終えると立ち上がり、老婆に頭を下げて大通りへと歩みを進めた。体力を回復するために、一時的に休める場所を借りようと思った。しかし、何かが彼の心の中で動き始めていた。予感だ。遠くから聞こえる呼び声が、まだ彼の心の中で響いていた。「探しに行け…そして、私の力のかけらを集に…」


ルリアの顔はもうはっきりと思い出せないけれど、あの声は……まだ消えない小さな灯火のように、アーケルの心の中で微かに燃え続けていた。


ジヴァールの荒れ果てた屋根を風がざわめく。霧と朽ちかけた木造の壁に包まれ、まるで世間から忘れ去られたかのような村。空気は重く、陰鬱で、どんよりとしていた。まるで目に見えない何かがすべての息を止めているかのようだった。空を覆う厚い灰色の雲には、日光さえも届かなかった。


アーカーは村の外れで、雑草が生い茂り、人の気配など全くない、間に合わせの空き家を見つけた。中を掃除すると、古いテーブルと腐った藁を敷いた木のベッドだけが残った。だが、彼に必要なものはそれほど多くなかった。ただ静かに落ち着ける場所…そして、なぜこの場所が心を痛めるのかを解き明かす場所。


滞在初日の夜、アーカーは血の夢を見た。果てしない木の廊下に第十使徒が立ち、奇妙な言語で何かを囁いている夢だった。夢の中でも、アーカーは闇の魔力が体に染み込んでいくのを感じていた。アーカーが目を覚ますと、額には冷や汗がびっしょりと流れ、家の外では誰かが窓枠から逃げ出したのを確信した。


その後の数日間、幻覚はますます頻繁に見られるようになった。クスクス笑う子供が家の角を駆け抜けたり、毎晩床下から悲鳴が聞こえてきたりした。しかし、最も不気味だったのは…アーケル自身の影が時折、彼の動きを追わなかったことだった。まるでこの村の奥深くに、もう一人のアーケルが縛られているかのようだった。


ここの人々は友好的ではなかった。彼らはアーケルを恐怖と警戒の眼差しで見つめ、まるで災いの前兆であるかのように背後で囁いた。村で唯一の呪術師がかつてアーケルに謎めいた言葉を告げた。「記憶を失った者は、この地の暗い夢への扉となるだろう…その夢がお前たちを蝕む前に、この地を去るべきだ」


しかし、アーカーは行けなかった。足のせいではなく…ここには、彼と繋がる何かがあったからだ。まるで忘れ去られた過去、そしてアースブラッド教団へと繋がる鎖のように。


ある夜、アーカーが廃屋の壁に刻まれた奇妙なシンボルを研究していると、身も凍るような囁きが彼の耳元で響いた。「君は光の心を持っている…なのに、闇に迷っている。真実を見せてあげようか?」


アーカーは驚いて振り返ったが、そこには誰もいなかった。背後の壁に、逆三角形のマスクの形をした、新鮮な血痕が残っているだけだった。


夕暮れ時、苔むした壁は薄灰色に染まっていた。アーカーは外套を首まで引き寄せ、濃い霧に覆われた村を見渡した。そこはもはや安息の地ではなく、迷える魂を静かに飲み込もうと待ち構える深い穴のようだった。


彼はひび割れた土の道を歩き、窓が板で塞がれた家々を通り過ぎた。まるで何かが中から這い出してくるのではないかと怯えているようだった。木の扉に奇妙な傷跡を見つけた時、彼の手はわずかに震えた。それは三本の長い平行線で、人間のものではない。村の中心部へと深く入っていくにつれて、空気は重苦しくなっていった。目に見えない圧力が胸を圧迫しているようで、アーカーの呼吸が速くなった。「まさか…この物体は…どこにでも広がっているのか?」


彼は体勢を立て直すために石壁に触れた。すると、どこからともなく、かすかな音が耳をつんざくように響いた。最初は風の音だったが、やがて囁き声、そして…泣き声。まるで終わりのない悪夢に迷い込んだかのような、子供の声。「アーカー…」


振り返ったが、誰もいなかった。しかし、アーカーが振り返ると、すべてが…違っていた。家々は歪み、空は歪み、淡い光は燃えるような赤に染まっていた。周囲の景色は溶けて、この世のものとは思えない何かへと歪んでいくようだった。「違う…これは現実じゃない…幻だ…幻に違いない…」


アーカーは自分に言い聞かせたが、体は言うことを聞かなかった。よろめき、頭がぐるぐる回り、視界がぼやけ、あらゆる音が一つに混ざり合った。叫び声、うめき声、そしてどこかで…古代語の呪いが頭の中でこだました。「光を運ぶ者は…深淵への扉となる。」


アーカーは膝から崩れ落ち、震える手で地面に体を支える。彼は顔のない影に囲まれていることに気づいた。影たちは静かに彼を取り囲み、まるで待ち構えているかのように見つめていた。誰も動かず、ただ彼を見つめていた。彼は目を閉じた。「リリア…」


どういうわけか、その名前が彼の口からこぼれ落ちた。記憶は曖昧だったが、その名前はまるでアーカーの最後の部分を現実世界に繋ぎ止める糸のようだった。ため息。喉からヒューという音が漏れた。そして――全てが崩れ落ちた。


アーカーは額に冷や汗をかきながら目を開けた。彼はまだ…ジヴァール村に立っていた。もはや身をよじる動きも、囁く声もなかった。しかし、その存在は依然としてそこにあった。まるで幽霊が彼の心にしがみつくように。たとえ幻覚だとしても、その錯乱はあまりにもリアルだった。アーカーはぼんやりとした記憶の断片を見た――淡い青い瞳と、暗闇の中で囁く少女の声。「あなたが鍵よ」


彼はよろめきながら、避難していた廃屋へと戻った。夜は更けていた。しかしアーケルは知っていた――ジヴァールの村は生きている。そして、毎晩、毎時間、彼に囁いていた。


太陽は照りつけようともせず、歪んだ屋根と乾いてひび割れた木の柱の間から、濃い灰色の雨が漏れるだけだった。風が静かに吹き、まるで遠い昔から聞こえてくるようなすすり泣きの音を運んできた。



アーカーは廃屋の玄関に座り、視線を外に釘付けにした。霧が死にゆく生き物の肉のように地面に張り付いている。少し眠っていたが、先ほどの譫妄状態が心の奥底まで突き刺さっていた。「このままではいけない。何かがここにいる…頭の中で何かが囁いている。見つけ出さなければならない。」


アーカーは立ち上がった。昨夜の闇にまだ目が焼けるように痛んでいたが、心の中では燃え盛る炎があった。立ち向かう、永遠に隠れ続けることをやめようという本能だ。彼は歩き始めた。地図も、方向も。ただ一つ、暗いオーラ。


アーカーは以前とは違い、より集中し、目を閉じて感覚を研ぎ澄ました。まるで、彼の内なる魔力は忘れ去られてはいても、まだ道を知っているかのようだった。かすかな感覚が背筋をゾクゾクさせ、草が生い茂った、すり減った石畳の道へと彼を導いた。


アーカーは狭い路地を歩いていた。両側には廃屋が立ち並び、ドアも住人もいなかったが、灰とカビの匂いがまだ生々しく残っていた。今にも崩れそうな木の門をくぐったところで、アーカーは立ち止まった。目の前には、葉のない黒い大木が一本、枝を爪のように空へと伸ばしていた。


風が止み、鳥のさえずりも止まった。まるで時間が止まったようだった。木の下、地面に大きな亀裂が走っていた。そこからかすかな黒い霧がゆっくりと噴き出し、まるで生きているかのように空中に漂っていた。陰鬱なオーラがあまりにも強く、アーカーは後ずさりせざるを得なかった。「これだ…」彼は手製の木の槍を握りしめながら、囁いた。


アーカーは一歩近づいた。まるで現実と夢の境界を越えたかのように、空間がわずかに歪み始めた。風は吹いていなかったが、マントがはためき、まるで誰かが引っ張っているようだった。「下がれ…」頭の中で声が響いた。


「ここは悪魔に占拠されている…」


アーカーは振り返ったが、誰もいなかった。しかし声は消えることはなく、井戸の底の水のように静まり返った。彼は割れ目に屈み込んだ。石には、血の呪文のようにぼやけて、ほとんど消えかけている古代の文字が刻まれていた。彼は手を伸ばして触れてみた…


ブーム!!


亀裂から小さな衝撃波が広がり、アーカーは数歩吹き飛ばされ、仰向けに地面に倒れ込んだ。心臓は太鼓のように激しく鼓動していた。「封印がある…この場所は以前も封印されていたんだ」


アーカーは息を切らしながら起き上がった。手のひらから血が滲み出ていたが、驚いたのは、その血が地面に落ちるのではなく、再び…亀裂へと吸い込まれていくことだった。彼はそこに座り込み、黙っていた。周囲の空間は再び静まり返った。


だが今、アーカーはここがもはや単なる呪われた村ではないことを悟った。地下に何かが封印されている。そしてそのオーラは…歴史から抹消された、古代の禁断魔法の最後の痕跡なのかもしれない。


アーカーは立ち上がった。真剣な瞳で、乱れた髪が額に影を落とし、昔から抱えていた恐怖が突然心に浮かんだ。理由は分からなかったが、確かに…この物体を以前見たことがあった。「もしかして…下で眠っているあの物…」


アーカーは葉のない黒い木の前に立ち、物思いにふけっていた。幹は地面に刻まれた巨大な傷跡のようで、枝は解放されていない魂の腕の骨のように伸びていた。非常に古い何かで封印されているにもかかわらず、邪悪なオーラは今も滲み出ており、まるでアンデッドの怪物の最後の息吹のようだった。「まだ生きている…」アーカーはゆっくりと木の周りを歩きながら囁いた。


ブーツが硬い地面に踏みつけられた。木の幹から蜘蛛の巣のように伸びる小さな亀裂が交差していた。彼はかがみ込み、草の層を割った。その下には奇妙な記号が刻まれた石の層があった。現代の言語ではなく、古代の魔法の言語で。アーカーはその記号の一つに触れた。


突然、彼の脳裏に一つの光景が浮かんだ。血の月の下に赤い外套をまとった人々が集まり、この木の下にひざまずいている…彼らの手から血が滴り…地面に溶け込んでいく。「生贄の儀式だったんだ…」アーカーは身震いした。


彼は立ち上がり、手製の槍を取り出した。戦うためではなく、掘るためのものだ。アーカーは槍の先で木の脇の固い土を突き刺し、少しずつ掘り進めた。額に玉のような汗が浮かび、生臭い匂いが立ち上り始めた。「この下に…何かいるぞ」


ついにアーカーは地面に埋もれたものを見つけた――土血教団のシンボルである逆三角形が刻まれた円形の石板だ。石板の中央には、何かを置くための窪みがあった。アーカーは自分の血が自分を呼んでいるのを感じた。「ここは…儀式の中心だ。だが、まだ終わっていない。もしかしたら…」


彼は数歩後ずさりし、そびえ立つ木の幹を見上げた。封印されていたのは木ではなかった。木はただの器――殻だった。中には…魂があった。アーカーは幹に手を置いた。心臓の鼓動が頭の中で大きく響いた。


ささやき声――背骨を貫く氷のように弱く冷たい声。「あなたは…私を壊すつもり…?」


アーカーはたじろぎ、後ずさりした。「あなたは誰ですか?」


「かつて私は力を祈り求めていた男だった…だが、私が受けたのは呪いだった。この木は…罰だ。破壊しなければならない…さもなければ、お前は私にさらわれてしまうだろう…」


アーカーは胸を激しく動かしながら槍を握りしめた。「でも、どうやって?」


「必要なのは…火だ。呪われた核を燃やすには…純粋な魂の火だ…」そのささやきが彼の耳に絶え間なく響いた。


アーカーは頭がくらくらする中、枕に倒れ込んだ。かつて心に触れたルリアの光、温かさを思い出した。だが今、記憶を失った彼には、本能と、自分の中に闇と戦える何かがあるという漠然とした確信だけが残っていた。「私が滅ぼさなければ…この村は蝕まれ続け、何も残らなくなる…」


アーカーは木を振り返った。木は震えていなかった。光もしていなかった。しかし、その奥には…幾百もの縛られた魂の苦しみ、何世紀にもわたって蓄積された恨みが宿っていた。


夜が更け、アーカーは木のそばに火を灯し、一晩中起きて見張りをすることにした。火は踊った。


彼は炎を見つめ、囁いた。「私はこれをやらなければならない。たとえそれが私に残されたものを犠牲にしたとしても。」


ジヴァールを取り囲む木々の間を風が吹き抜けた。封印された古木から立ち込める陰鬱な霧は、より濃くなり、村へと続く道を覆い尽くした。アーケルの焚き火の灯りが揺らめき、遠くの木々の間から幽霊のような影を浮かび上がらせていた。彼はそこに座っていた。目は疲れていたが、心はかつてないほど澄み切っていた。


突然…冷たい空気が流れ込んできた。霧や幽霊のようなオーラではなく、静かな圧力だった。まるで異次元から何かが入り込んできたかのようだった。「やっと見つけた。」


アーカーの背後から声が聞こえた。息を吐くように軽やかだったが、心臓は高鳴った。アーカーは振り返った。黒いマントを羽織り、逆三角形の紋章をまとった人物がいた。紋章の一部がかすかな魔法の光を放っていた。顔は奇妙な白い仮面に隠されていた。仮面には、一度壊れて修復されたかのように、ひび割れが刻まれていた。


彼は現実と幻想の両方を持つ木の陰に立っていた。「三十番目の…使徒だ。」


アーカーは本能的に一歩後ずさりし、槍をしっかりと握りしめ、冷たい目を向けた。


使徒はくすくす笑った。「大祭司の命で来たのだ。随分と厄介事を起こしたな…だが、幸いなことに、自ら破滅へと導いたのだ。」


「幻影を作り出したのは君か?あの少年は……」アーカーは騙されたことに少し腹を立てた。


使徒はアーカーを見ながら大声で笑った。「ちょっとした冗談だったんだ。君をこの呪われた場所へ導き、私のオーラを吸収するためだ。そして今…私は結末を受け取るためにここにいる。」


彼が手を伸ばすと、黒い魔法陣が現れ、そこから灰白色の幻影が地面から立ち上がった。彼らの体は歪み、悲鳴を上げていた――古の樹に捧げられた者たちの魂だ。「お前は…リリアの刻印を持つ者だ。大祭司は…その心は徐々に開花しつつあると仰っていた。お前をここで粉砕し、残りを連れ戻せばいいだけだ。」


アーカーは槍を振りかざしながら突進したが、その一撃一撃が使徒の体を貫いた。幻影。もう一つの影。「私を攻撃することはできない。ほら…私はあなた自身の恐怖だ。」


第三十使徒が手を挙げると、アーカーの目の前に見慣れた顔が浮かんだ――傷ついたライラ、叫び声を上げるケイル、倒れた騎士、血を流す胸を抱えるミラ。アーカーは膝から崩れ落ち、息を切らした。まるで氷の手で締め上げられるかのように、胸が締め付けられた。「お前は弱すぎる。記憶も理想もない。ただ力の体だけ。お前にはそれを保持する資格はない。」


この瞬間、アーケルの背後にある古木が、使徒の魔法に反応したかのように、柔らかく輝き始めた。木は動き始めた。枝が揺れ、風が魂の叫びのように吹き抜けた。


アーカーは幻覚で視界がぼやけているにもかかわらず、立ち上がろうともがいた。「覚えていないかもしれない…だが、私は知っている…」アーカーは槍を握りしめた。「何が正しくて、何が間違っているのか。」


「あなたは間違っている。そして私は――あなたをこの呪われた木とともに消し去ってやる。」


風が突然止んだ。空気は重くなり、まるで千の見えない手がアーケルの周囲の空間を圧迫しているかのようだった。封印された木は震え、幹の割れ目から黒い灰のような煙が流れ出し、蛇のように空を舞い上がった。


第三十使徒は、異形の血で描かれた巨大な魔法陣の真ん中で、かすかな微笑みを浮かべた。「微かな光よ、見届けよ。封印を解き、内に宿る邪悪なる魂を蘇らせる。そして、この村全てが闇に包まれる時、汝の持つ霊力こそが、最後の報いとなるだろう。」


アーカーは歯を食いしばり、胸が締め付けられるのを感じた。地下に埋もれた魂が、まるで永遠の苦しみから逃れようと叫んでいるのが感じられた。「こんなこと、許せない…もう傍観なんてできない!」


彼は召喚陣へと突進しようと踏み出したが、魔力の波に押し戻された。胸が痛み、口の端から血が流れ出た。アーケルは息を切らし、手は震えていた。


「ははは…光の心を宿す者よ、それだけか? 最高司祭が何もする必要がないのも無理はない。数回の儀式で絞殺できるのだ!」使徒は手を上げ、古木の幹に邪悪なシンボルを刻み始めた。一撃一撃が村の魂を切り裂くようで、地面が揺れ、地中の古代の屍が蘇り、闇のオーラを纏った肉体へと変貌した。


アーケルは飛び上がった。頭がくらくらするが、目はまだ燃えていた。槍を抜いた。その先端はかすかな白光を放っていた。それは先の戦いで現れたのと同じ光――ルリアが彼に吹き込んだ光だった。「思い出せないけれど…戦い方は覚えている。この目…滅ぼすべき者を、私はまだ見分けられる!」


彼は突進し、一歩ごとに湧き上がるアンデッドを踏み潰し、槍が閃光のように振り下ろされ、黒い霧を切り裂き、死体を粉々に砕いた。アーケルが円陣に近づくと、使徒は網のような魔獣を召喚した。黒い絹のような体、密集した目、そして剛毛のような翼を持つ。「幸運を、小さな光よ」


魔獣が突進してきた。アーカーは槍を振り上げ、爪を止めたが、翼に当たって跳ね返され、木の幹に叩きつけられた。痛みに呻き、肩から血が流れ出た。「ちくしょう…俺の力不足だ…」


だがその時…アーカーの手首にかすかな光が浮かんだ。見慣れたシンボル――リリアの紋章。それが震え、彼の心に温かく遠く響く声が響いた。「アーカー…あなたの力は記憶だけでなく、決して守り続けてきたあなたの心の中にもあるのす。」


目を開けた。周囲の光が突然濃密になった。アーカーは咆哮を上げ、槍を真一文字に空へと振り上げた。槍は森を明るく照らし、一筋の光が魔獣の頭部を貫いた。魔獣は叫び声を上げ、その体は黒くぬめりのある煙の塊へと溶けていった。


第三十使徒は衝撃を受けた。「だめだ……そんなわけない!そんな――!」


アーカーは疲労困憊で跪き、槍を魔法陣の中心に突き刺し、それを粉々に砕いた。地面から光が放たれ、まるで古木の精霊たちが解放されたかのようだった。精霊たちは苦痛と感謝の叫びを上げ、そして虚空へと消えていった。


封印された木が割れ始めた。白い光が昇り、村の霧を払いのけた。第三十使徒は目から血を流しながら、怒りの雄叫びを上げた。「儀式を中止したのか…だが、喜ぶのは早計だ。私は…戻ってくる。そして次は…お前をバラバラにしてやる!」


彼は黒い煙とともに姿を消し、アーカーだけが戦場の真ん中にひざまずいたまま残され、光は徐々に消えていった。


薄暗い光の中、空は轟きを止め、風は荒れ狂い、かつてジヴァールの村を覆っていた陰鬱な霧は、暗い夢の最後の息吹のように消え去っていた。かすかな月光が冷たい地面に降り注ぎ、荒草の上に横たわるアーケルのぐったりとした体を照らしていた。息は荒く乱れ、襟首からは血と汗が流れ落ちていた。


どれくらいそこに横たわっていたのか、彼には分からなかった。感覚は朦朧としており、体は反応せず、混沌とした記憶と、肉体と精神の限界を超えた戦いの後遺症によって、心は粉々に砕けていた。そして――その朦朧とした状態の中で――闇と光の間に人影が現れた。あの少女だ。


プラチナの髪は銀色の絹のリボンのように、夜風に優しく揺れ、暗く冷たい大地に浮かび上がっていた。柔らかな月光が彼女の瞳を照らしていた。真冬の湖のように静かで深い瞳は、人の感情を透視することができないほどに、それでいて深い安らぎを感じさせる。彼女は一歩近づいた。


ゆっくりと、静かに。まるで、彼女の脆い存在を壊さないように、周囲の空気が止まったかのように。彼女はアーケルの傍らにひざまずき、片手を優しく彼の肩の血の流れる傷に置いた。


彼女の指先からかすかな光が閃いた。リリアの光ほど強くもなく、かつての剣の光ほど強力でもなく、しかし、暗闇の中で彼の手を握っているかのように、優しく温かい光だった。


アーカーは、ぼんやりとしていたにもかかわらず、何か見覚えのあるものを感じた。心の中からではなく、記憶からでもない。心の奥底から――名前は付けられないが、すぐに見分けがつく場所から。「彼女…なのか?」


痛みは和らぎ、もはや神経を突き刺すような感覚はなくなった。アーカーの呼吸は落ち着き、胸は眠る子供のように優しく上下した。少女は長い間彼を見つめていた。一言も発しなかった。なぜ彼がここにいるのか、なぜこんなに傷ついているのか、と問いただすこともなかった。


ただ静かに彼のそばに座り、手をまだ傷口に当てたまま、純粋な治癒エネルギーの流れを送っていました。それは強さからではなく、共感とつながりから生まれた光でした。


しばらくして、彼女は手を引っ込め、シャツから薄い絹のハンカチを取り出し、アーケルの額の泥を優しく拭った。そして、彼が眠りに落ちたのを感じると、外套を彼にかけ、近くの木に肩を預けながら、アーケルのそばに座り、視線をアーケルに向け続けた。まるで、この長い夜の中で、彼の平穏だけが彼女が唯一掴みたかったものであるかのように。


ぼんやりとした夢の中で、アーカーは戦いの光景も、血も、呪いの囁きも見なかった。静かな空と、彼の手を握ろうと伸びる手、そして…名もなき微笑みを見た。


-------------------


白い虚空。大地も空もない。すべてが現実から消え去ったかのようだった。アーカーだけがそこに立っていた。足は地面につかず、宙に浮いていた。周囲には、風に舞う灰のようにかすかな光が差し込んでいた。足音が背後でこだました。


すると、聞き慣れた声が優しく、光の糸で奏でられる交響曲のようだった。「アーケル」


彼は振り返った。心臓が締め付けられそうになった。リリア。


彼女はゆっくりと歩いた。プラチナの長い髪、その奥底に宇宙を宿しているかのような瞳、そして柔らかな古風な模様のドレスが風になびいていた。それは実際には存在しない風で、彼女が歩くたびに吹く風だった。


ライリアの顔には、神のような傲慢さも、母のような優しさも見受けられなかった。どこか遠くを見つめるような表情――憐れみと苦悩が入り混じり、まるで何か大きなものを隠しているかのようだった。


アーカーの声は震えていた。「……あなたは誰ですか?どうしていつも夢に出てくるのですか?」


ルリアはすぐには答えなかった。ただ近づき、かがんで、アーカーの胸に細い手を置いた。そこには、光る心臓が静かに鼓動していた。手のひらから温かい光が広がり、アーカーは息を呑んだ。まるで心臓そのものが、意識を超えた何かと共鳴したかのようだった。


「あなたは目覚めつつある…ゆっくりと、だが確実に。」彼女の声は石に響く水のように反響した。「あなたの心は…もはやあなただけのものではない。」


アーカーはさらに尋ねようとしたが、リリアは身を乗り出した。彼女の顔はアーカーのすぐそばにあった。その瞳は…近くもありながら遠くもあり、まるで千年の歴史がその奥に閉じ込められているかのようだった。


彼女は息を吐くように、とても優しく囁いた。「心の闇に光を飲み込まれないで。あなたには…何者になるかを選ぶ権利があるのよ。」


その言葉はまるで糸のようにアーカーの魂に触れ、薄れゆく記憶の断片を一つ一つ揺さぶった。アーカーが彼女の言葉の意味を尋ねる前に、リリアは一歩下がった。


彼女の笑顔は美しかったが、どこか悲しげだった。「また会おうね。準備ができたら…」


そして…彼女は太陽の光に溶ける霧のように消え、アケルだけが白い空間に残された。彼の心臓は激しく鼓動し、内部の光はこれまで以上に強く振動していた。


--------------


アーカーは息を切らして目を覚ました。目は大きく見開かれ、寒さにもかかわらず額には玉のような汗が浮かんでいた。かすかな夜明けの光が木々の間から差し込み、霧の中できらめいていた。隣では、プラチナの髪の少女がまだ安らかに眠っていた。呼吸は雲のように軽やかで、片手は置いて行かれるのを恐れるかのように、アーカーのマントを握りしめていた。


アーカーは胸に触れた――夢の中で心臓が光っていた場所だ。「君には、自分が何者になりたいかを選ぶ権利がある…」


ルリアの言葉がまだ頭の中のどこかで響いていた。

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