自由研究について-①
フードを被った女がいる。
王都フィーロゾーフィア市の中層。貧乏ではなく、さりとて富裕といえるほど蓄財のあるわけでもない、そこそこの生活水準と自由が保障された市民たちの住む区画。
第五等級街区。ハーフティンバーの家屋がゴチャゴチャとならぶ路地に、あやしげに飾った卓と背もたれのないイスを一式そろえた店があった。
卓は紫のクロスにおおわれて、ふしぎな文字の札を左右にたらしている。まん中には水晶玉が置いてある。
フードの女は卓の向こうにいる。対面の席には客がいて、まだ明るく暑い中(現時刻は昼の二時だ)、フードの庇にかくれた顔を厳かに沈着にして、女は告げた。
「死にます」
客の男は「えっ」と目を見開く。
女はかまわずつづけた。指先を、男の来た道――彼の後方へと音もなく向けて。
「死相が出ています。そこの角を、右に。曲がってしまうとあなたはまちがいなく死んでしまうでしょう」
これから行く先……『人生の』ではなく、あそびに行くのにどこへ行けばいいのかをおもしろ半分に占ってもらった男としては、そこそこ的外れだが、そこそこ参考になる助言だった。
襟足だけを緑に染めた黒髪に、男はじっとりと汗をかく。女の言葉に耳をかたむける。
女は忠告した。
「運気が全体的に下がっています。健康運、金運、人間関係、仕事運。しかし、ご安心ください」
かろん。
鈴の音。
猫の人形だ。陶製の、中に玉の入った、いわゆる土鈴と呼ばれる置物。
「今日は物忌みのためにすぐ帰宅していただください。家にもどったらこれを寝室の窓辺に置いて、一日おとなしくして過ごすように。そうすれば、運気は回復するでしょう」
男は女に差し出されるまま、猫の土鈴を受け取ろうとして、逡巡した。
猫の顔があまりにもブサイクで、どことなく人をバカにしたような笑顔だったからではない。
これは霊感商法というやつではないか。
占い自体は一回一〇〇グロリスと、「子供のこづかいかよ」と笑いたくなる値段だったが(でなければ占ってもらおうという気にはならなかっただろうが)、置物に関してはどうだ。
幸運をまねくと嘯いて、ひとつ百万グロリスでただのツボを買わされた人もいるという話ではないか。
もっとも、目のまえの占い師がそんなアコギをはたらいたわけではない。過去の新聞で読んだ、悪質な宗教団体によるサギからくる心配――警戒だった。
「ご心配なく、お代はすでにいただいた以上はもらいません。この置物に料金はいりません。ぜひお持ちください。道中の――気休めにでも」
男はホッとした。
「それなら」と占い師の女から猫の土鈴を受け取る。イスから立ち、せっかくだから彼女の助言どおり家に帰ろうと踵を返す。
「右へ行ってはいけませんよ」
女は再三警告した。
男は手を振って応じた。
魔が差した。
やってはいけない。と言われたことをやりたくなるのが人情だ、とまでは言わないが、この時の男は、そうとでも思いこまなけれなければ、到底やっていられないほど、理屈では通らない行動をとった。
男は占い師の忠告を聞く気でいた。
でなければ、『帰ろう』とすら思わなかっただろう。
彼はもともとどこかへ遊びに行く気で町へ出てきたのだ。
しかし肝心な部分を無視した。
彼は角を曲がった。
右に。
理由は単純だった。
――ほんとうに死ぬのかな。
という気持ちだけだった。
『魔が差す』とは、こうした小さな好奇心をしてそう呼ぶのかもしれない。
男が入っていった小路から、大きな音がする。
――彼が持っていた猫の置き物が窓辺に飾られることは、永久になかった。
つづく




