閻魔について-②
◇
広場の木陰で二人はベンチに座っていた。
小夜子とカナタである。
〈閻魔大王〉を名乗るオカッパの少女――カナタのことだが――を横目に、小夜子はどうすべきか考えていた。
(とりあえずもらったアイスは返したほうがいいのかしら)
死者の魂を天国逝きか地獄逝きかに分ける審判である。あまりうかつな態度はとれない。
「あのー、カナタさん、これを」
小夜子は半分ほど食べたアイスをカナタに差し出した。
カナタはあきれた溜め息をつく。黒い目を半眼にする。
「そのベチョベチョの食べかけを食えと?」
「だって、じゃないと地獄に堕とすぞって話をしようとしてたんでしょ?」
「こんなくだらないことで地獄には逝けませんよ。もっとも、何事にも限度というものがあるので、そのへんはわきまえて欲しいものですが」
「あと十回くらいしかしないと思うので許してください」
「今回だけにしときなさい」
カナタは自分のこめかみに人差し指を当てて頭痛をこらえた。
小夜子は、自分より三つほどしか違わなさそうな――カナタのほうが年上だ。多分――少女からアイスを引っ込める。
遠慮なくバクバク食べてしまう。
カナタが言った。
小夜子さんにお話ししたいことというのは、死後の裁量についてではありません」
「じゃあ何ですか?」
「元の世界の……あなたがかつて住んでいた、『日本』に居るご家族についてです」
「知ったこっちゃないですよ。わたしはこの世界で生きていくって決めているんですから」
ツーンと小夜子はそっぽを向いた。
家族ったって、小夜子をかわいがってくれていた祖父母は小夜子が小学生の時に亡くなっているし、遺してきた者といえばなにかと口うるさい母親だけだ。
カナタもその辺の事情はよく知っているらしい。ツンケンする理由は訊かず、妹をたしなめる姉のような口調で、しかし自分の要求は変えなかった。
「まあ聞くだけでも。こちらもそれが仕事なので」
「仕事って」
「別の世界からこの〈ユックリッド〉世界に来た人に、元の世界の情報……正確には、残してきた親しい人のようすを伝え、意志を確認するということです。あなたのいた『日本』も、私の管轄なのですが、世界をまたぐとなると、裁定の基準が変わりますのでね。ここいらで正式に移住の手続きをやってしまいたいというわけです」
裁定――善悪の基準のことだろうと小夜子は理解した。
カナタは続ける。
「安心して頂きたいのは、前の世界での功罪もきちんと繰り越されたうえで、この世界での行いを秤にかけていくということです。それとも、繰り越しはあなたにとって不都合なことでしょうか?」
「全然。だいたい、わたしが『不都合です』と言ったところで、変わらないシステムなんでしょう?」
「分かっていただけているようで嬉しいです」
カナタは笑って、手袋をつけた右手を宙に差し出した。ポウ、と淡く光って、空中から一冊のノートが出てくる。
カナタは黒い表紙の帳面を開けて、パラパラめくった。
「それで、あなたの母親のことですが」
「どーせわたしがいなくなったって、どうも思っていませんよ。せーせーしたんじゃないですか? ちなみにわたしは母から離れられてせーせーしてます」
「あなたの捜索願が出ています。警察に」
小夜子の片眉がピクリと震えた。だからと言って、カナタのほうをまじまじ見たりはしなかったが。
カナタも小夜子のほうは見なかった。
ノートの記録をながめている。
「ユックリッドではまだ半年も経っていませんが、『日本』では、あなたがいなくなってから既に一年が経過しています。あなたの母親は、いつ一人娘が帰ってきてもいいように、あなたの部屋を毎日掃除しているみたいですが」
パタンとカナタはノートを閉じた。小夜子に確認する。
「小夜子さんは帰る気は無い、と?」
「無いです」
小夜子はキッパリ言った。
それでも、母親が自分を心配しているというのは、少なからずショックだった。
閻魔のほうを向く。
「あの、カナタさん――閻魔大王であるあなたのほうから、母に伝えることはできませんか。わたしは別の世界で元気にやっていて、心配はいらないって。わたしにはもう構わないでって」
「多くの死者が、私や死神たちにあなたと似た願いを持ちます。しかしその全員の気持ちを叶える能力が無い以上、私は誰一人として、特別に夢枕に立ってやるつもりも、本人の魂を立たせてやる気もありません」
「ケチですね。そんなの閻魔さまたちの都合じゃないですか。人手を増やせばなんとかなるでしょう?」
「人手については善処しているつもりですがね。まあ、早急に解決しなければならない事案として、あらためて取り組んでいくこととしましょう。……というか、心配させたくないのなら、帰ればいいのでは?」
「嫌です」
プイッとまたあさってのほうがくを向いた小夜子に、カナタは嘆息した。
ノートを、出現させた時と同じように、パッと消す。
「では、私の話はこれで終いです。手続きは今日中に済ませてしまうので、そのつもりで」
カナタはベンチから立ち上がり、軽く地面を蹴った。
跳躍した身体が、フワリと宙に浮かび上がる。
道士服の赤い裾が、風を受けてはためいた。
「あのっ」
小夜子は空に飛んでいくカナタの背中に声をかけた。
カナタが止まる。
「どうかしましたか?」
小夜子はカナタに訊いた。気づいたらベンチから立ち上がっていた。
「……母が、わたしのことを大事に想ってくれているというのは分かりました。でも……なのにこの世界で――よその世界で楽しく生きていこうと留まるのは、『罪』になるんでしょうか?」
肩越しに小夜子を見つめていたカナタは、フッと口の端をゆるめた。
少女の質問に答える。
「いいえ」




