閻魔について-①
――あの時、チョキを出していなければ。
彼女は後悔していた。
白い手袋をつけた手を、時折グーやパーにしている。
オカッパにした黒い髪に、紫苑のヘアバンドをつけた少女だった。
背は低くはない。だが身につけた、赤を基調とした『制服』は彼女にとって大き目で、ぶかぶかの袖やあまったズボンの布きれが、必要以上に彼女を小さく見せていた。
よく晴れた、夏の午後だった。
ある人物を訪ねる予定の彼女のもとに、大きな声が届いてくる。
「バニラアイス、本日最後の一本だよ! 買わなきゃ損だよー!」
フィーロゾーフィア市の街路内にある小さな広場である。
オカッパの彼女はつま先の向きをくるりと変えて、アイス屋の屋台――ワゴンに突進した。
「ください。いくらですか?」
「まいどっ。二〇〇グロリスだよ」
オカッパの少女は懐からガマ口の財布を取り出した。中には異国のお金が何種類かあって、まちがえないようにグロリス硬貨を選別する。
(ここって『円』じゃないのよね)
職業柄いろんな世界をまたぎ、視察に行くのだが、飲食や宿泊でお金を使う時には苦労する。そもそも持っている財布が古式ゆかしいガマ口だけというのも問題なのだろうが。
少女はアイスクリーム屋の青年にお金を渡した。入れ換えにバニラのアイスを受け取る。
じー。
熱い視線を横から感じた。
アイスに注がれている。
「……こんにちは」
オカッパの少女はアイサツをした。
アイスを見つめているのは小夜子だ。長い黒髪に黒目の、カチューシャにワンピース姿の十四歳の少女。
口元に人差し指を押し当てて、いかにももの欲しそうだった。
ジトッとした視線が、アイス屋の青年のほうを向く。
青年もなにか察したらしい。
「ご、ごめんね。バニラは今ので売り切れなんだ。……チョコとかシャーベットならあるけど」
「うー……今日はバニラの気分だったので……」
「そっかー。残念だったねえ……」
気まずい笑顔で店の青年はあやまった。
オカッパの少女はバニラアイスを小夜子に差し出した。
これ以上善良な市民に気を遣わせるわけにもいかない。
「たいへんもの欲しそうな顔をしていますが――。いりますか?」
「えっ、いいんですか!?」
と言った瞬間には小夜子の手にバニラアイスは渡っていた。
「ありがとうございます! あ、お代はちゃんとお渡ししますよ」
「けっこうです」
オカッパの少女は手袋のついた片手をピッと立てて、小夜子とのあいだを遮蔽した。
「その代わりと言ってはなんですが、あなたにお話がありましてね、それを聞いて欲しいんです。不知火 小夜子さん」
小夜子はさっそくアイスにかぶりつこうと口をあけたまま固まった。
オカッパの少女が唱えた名の発音に、なつかしいアクセントを感じたからだ。
彼女は今、小夜子がこの国の住人から呼ばれるような、「サヨコ」という発音ではなく、「小夜子」と呼んだ。
つまり――漢字に精通しているような。
小夜子はアイスを食べるのを中断した。
夏の太陽で溶ける一方のアイス球に、店の男が「ああ、コーンにたれちゃうよお」と心配そうな視線を送る。
小夜子は訊いた。オカッパの、僧服の少女に。
「あなたが誰か、うかがってもいいですか?」
僧服の少女は「これは失礼」と、空になった両手の袖を合わせた。
「申し遅れました。私はカナタと申します。ここよりもう少し空のほうの国で、魂の裁判官をやっていましてね」
「……というと」
「閻魔大王です」
黒いオカッパの少女――カナタはニッコリと笑って自分の職業を告げた。
小夜子があんぐりと口をあけっぱなしにする。放心している。
「今日は、あなたにお伝えすることがありましてね、小夜子さん。約束ですので、キチンと聞いてもらいますよ」
うっすらとした微笑を浮かべたまま、カナタは近くのベンチを指差した。
つづく




