このまえ読んだマンガについて
「おーい」
エチカは古びた本屋で立ち読みをしている少年に声をかけた。
エチカ――十八歳の、長い金髪に金目の女性である。まだ若いながら、錬金術で名を馳せるここ〈フィーロゾーフィア王国〉の指折に入る天才錬金術師である。
本屋の軒先でマンガ雑誌を立ち読みしていた少年が振り返る。マグナだ。
十二歳の少年で、ダークブラウンの髪を一房に結っていた。長さはさほどなく、短い尻尾のように見える。
「エチカ、久しぶり」
両目を覆う黒いサングラスのブリッジを押し上げて、少年――マグナは手を上げて応じる。
パーカーにミニスカートのラフな格好でエチカは歩いてきた。腰に巻いたベルトには四柱の精霊を結晶化したキーホルダーを提げている。
「いつ帰ってきたのよマグナ。オーギュストのやつ、なーんも言ってなかったわよ」
「言うほどのことでもないからな」
「そうかしら? おみやげある?」
「ガキに言うセリフじゃないよな。……明日にでも持ってくよ」
ページを開けたままマグナは嘆息した。
エチカも棚からマンガ雑誌をひとつ取って、テントの影で読みふける。
ミーンミン。
晴れた町のそこかしこでセミの声が鳴っていた。
「あ、そうそう。サヨコってやつにこの前会ったよ。エチカが面倒みてるんだろ?」
「一応ねー」
「才能あんの? 錬金術の」
「まあね」
「そこそこ?」
「かなり」
「じゃなきゃ誰がなんと言ったって引き取らないよなあ、おまえは……」
パコッ。
マンガ雑誌の角でエチカはマグナの頭を叩いた。
「あんたねー、もう少しこの大天才錬金術師のエチカ様に敬意ってもんを払ったらどうなの?」
「払ってるよ。心の中だけでだけど」
「便利な言いまわしよね」
つまらなさそうに言って、エチカは「ん?」とマグナの項に気がついた。
ハイネックのジャケットにハーフパンツ姿の少年の、尻尾みたいにくくったブラウンヘアを引っぱる。
「あんた髪のばしてんの?」
「うん」
マグナはパッと顔を上げた。よくぞ聞いてくれたと言わんばかりの笑みだ。
「学校の友だちが貸してくれたマンガがおもしろくってさー。格闘系のラブコメなんだけど、主人公の髪型が三つ編みなんだよね」
「それ、かなり昔のタイトルじゃない?」
「うん。でもぜんぜん今でも通じるよ。で、主人公がつえーの。俺もそういう格闘技の使い手になりたいからさ、髪のばして三つ編みにしてみようってワケ」
「ヘアスタイル真似したところで拳法の達人にはならんでしょ」
「うるっせえなー。いいじゃん、まずは格好からだよ。つっても、道着とかは着るつもりないけど」
「あっそ。……もう何も言うまい」
エチカはそっと読んでいたマンガを閉じて棚にもどした。
中から店主のおじさんが出てきたのだ。
「くおらっ、クソガキ共! 『立ち読み禁止』って書いてあんのが見えねえのか!」
べしべしハタキで頭を叩かれて追っぱらわれる。
マグナも雑誌を閉じて退散した。
「しょーがねー、駄菓子屋いくかあー」
「ムダ使いすんじゃないわよ。あんたの小遣い、庶民の血税から出てるんだから」
「『チョロリチョコ』二個買うのをムダ使いって言うなら、エチカの願いは叶えられそうもないぜ」
「……もう少しぜーたくしてもよさそうね。あんたの場合」
「いいじゃん、チョロリチョコ。安くておいしい」
マグナは大通りの坂道を下りながら言った。
エチカはそろそろ家に帰ろうと、上りの方角につま先を向ける。
「あ――っと、マグナ」
「なに?」
呼び止められて、マグナは振り向いた。
「サヨコには、素質があるって私が言ってたってこと、黙っときなさいよ」
「なんで? 言えばいいじゃん。よろこぶよ」
「そのまま調子に乗ってサボるサマがありありと思い浮かぶからよ」
「あー……」
一度路地裏で件の少女が勢いにまかせて無辜の民をツルハシを振りまわして追い駆けていたのを見たことがあるマグナとしては、エチカの心配を杞憂と誹ることはできない。
「ま、なるべく言わないようにするよ」
「たのんだわよ。あともうひとつ」
「まだあんのかよ」
エチカは肩を落とすマグナにイヒッと笑った。
「三つ編みにしたら見せに来なさいよ。そのサングラス取って」
「やだよ。俺の顔がどんなのか知ってるだろ」
「よーくね」
エチカは過去に何度か見たマグナの顔を思い返しながら言った。
「でもいいじゃない。あんたのお気に入りのマンガの主人公、半分は格闘家の男だけど、もう半分はかわいい女の子なんだから」




