錬金術について
王都には雨が降っていた。
フィーロゾーフィア王国の首府、フィーロゾーフィア市である。
雲の上に浮かぶ島の、更に上空には、ぶ厚い雲が垂れこめていた。
お昼時である。
王都上層――第七等級区画に住む小夜子は、ダイニングと一体化した台所にドンドンと材料を並べているところだった。
小夜子――十四歳の、長い黒髪に黒い目の少女である。
白いブラウスにボックススカートの服装に、エプロンをつけているものの、これから料理をするわけではない。
もっとも、食材を使って文明的な食べ物を作り出すことを『料理』というなら、先の発言は撤回しなければならないが。
どういうわけかというと。
小夜子のそばには、錬金術師の杖が立てかけられていた。
材質は青銅。てっぺんについている〈エーテル石〉の色は白。ロッドの中央には砂時計があって、さきほど逆さまにして立てかけたものだから、中の砂粒がガラスのくぼみをサラサラ落ちていくのが見える。
「もうすぐおひるごはん……。まともに作ったんじゃあ、絶対に間に合わない」
住み込みで働いている店(この建物は一階の部屋のひとつが雑貨屋で、二階が寝室になっている)が長期休暇中なのをいいことに、二度寝、三度寝を敢行していた小夜子である。
今日がお昼ごはんの当番なのに気づいたのが、三度寝から目覚めた十一時半で、カレンダーのタスクを見るなりあわてて身支度をして下りていった。
白黒の服装に映える、赤いカチューシャのまんなかに、チョコンと同じ色の火トカゲ――〈サラマンダー〉が乗っている。
なんとなし、首に提げたペンダントをいじりながら、小夜子は「ずっと一緒にいたんなら起こしてくれてもいいのに」と心の中で文句を言った。
「小麦粉、卵、砂糖、塩、……お野菜とお肉……。これでごまかせるかしら」
自分の身長ほどもある杖を右手に取り、小夜子は調理台にせいぞろいさせた食材に、先端の丸い石を触れさせた。
〈エーテル石〉という名のこの石は、大気中に存在する微粒子の触媒〈プネウマ〉に、錬金術師の思考をつぶさに伝える。
小夜子は錬金術師だ。エーテル石の色は〈白〉なので、やっとシロウトから抜け出せたレベルだが、カンタンなものならイメージ通りに作り出せるくらいの力量はある。
ボウン!
調理台の上で、食材がパンとカットステーキとサラダ、ドレッシングに変成された。
用意していた皿に載った形で構成されたそれらをダイニングのテーブルに運んでいく。
同居人がまだ来ないのを確認して、小夜子はステーキ肉を一片つまみ、口に放り込んだ。
(おいしい)
こんなにラクしてこんなにおいしいものができるなら、これからどんどん錬金術を使って食事当番をこなしていこう――!
ガチャ。
決意を新たにしていると、前髪をいくつもの細いヘアピンで掻きあげた、長い金髪の女性が入ってきた。
エチカだ。金色の双眸で、テーブルの上をながめている。タンクトップにホットパンツ、ショートブーツといった涼しくラフな格好に似合わず、両手に作業用のグローブを嵌め、脇には分厚い本を抱えていた。目には薄いスレートブルーの入ったサングラスをかけている。
「あっつー。あんたクーラーも入れずに調理してたの?」
出入り口のそばに設置した、スタンドタイプの機械のスイッチをエチカは押した。
〈クーラー〉と呼ばれるそのマシンは、内部に〈水核〉という特殊な鉱石を埋め込んでいて、冷たい風を吐き出す。フィーロゾーフィア王国ではメジャーな空調装置だ。
小夜子はあいまいに笑ってコクコク頷いた。
「ええ。まあ……あ、ごはんできてますよ」
「さっき起きてきたとこでしょ? ずいぶん準備がいいわね」
「そりゃあ……わたしは器用なんですよ」
言いつくろって、小夜子は席についた。
エチカも対面のイスに座り、本をテーブルの端に置く。
食事のあいさつを済ませて、二人とも食べはじめた。
スライスしたバゲットに手を伸ばしたエチカが、一口かじって動きを止める。
「ど……どうしたんですか」
いつもならさっさと食べて研究室に引っ込むのに、エチカは咀嚼もせずに、止まっている。
「サヨコ、あんた……」
エチカの金色の眼がギラリと光った。
「錬金術でメシ作ったでしょ」
(ギクッ)
今度は小夜子が停止する番だった。
(な……なんでバレたんだろう……お肉はおいしくっても、パンはマズかったのかな……)
ギシギシ硬直する体をムリヤリ動かし、小夜子もパンを一切れ取ってかじる。
サクッ。
(おいしい……)
じ~んと涙が出た。
パンなんて生まれてこのかた一度も焼いたことがないけれど、材料とイメージと錬金技術さえあればこんなに美味なものが一瞬で作れるなら、今度から多用していこうと、さっきまでの緊張も忘れて小夜子は固く心に誓う。
ハッと我に返る。
エチカが、かじったパンを片手に小夜子を見たまんまだった。
「えーっと……」
小夜子はなにか言いわけをしようとして、ひらめいた。
ドカン!
テーブルに両拳をたたきつけて立ち上がる。
「だってごはんの準備に錬金術を使っちゃいけないなんて法律ないじゃないですか!!」
「逆ギレすんな。……いや、逆ギレでもないか、私はまだ怒ってないし」
「じゃあ今から怒るんですねっ!? だったら先にキレといたほうがお得ってもんですよお!」
「わけわかんない理屈こねてんじゃないわよ」
メショッ。
エチカは肘で小夜子の後頭部を押さえつけ、テーブルに捻じ伏せた。
小夜子はおとなしくなった。
ピクピクけいれんしているが。
「べつに怒りゃしないけどさー。あんた、どこでこんな狡いマネ覚えたわけ?」
「このまえエチカが『あーダルイダルイ』って言いながら朝ごはんを錬金術で作ってたのをこっそり覗き見て参考にさせていただきました」
エチカは視線をそらして肘を持ち上げた。
しれっと小夜子を解放する。
「ま、早くてラクだから術を使いたくなる気持ちも分かるけどね」
「うう……。今度からはちゃんと手作りで用意しますよお。あれでしょ? あんまり連続して錬金術で作っていくと、生成物が加速度的に劣化していくっていう」
以前エチカにそんなことを聞いた。
ちなみに、エチカは〈赤〉という、最高クラスの錬金術師だ。
小夜子がこっそり盗み見た時、彼女は杖なしで、素手で錬金術を使っていたし、少しの材料から大量のサンドイッチやジュースやスープを変成させていた。
「劣化……。あー、あんたアレ本気にしてたの?」
悪びれるふうなく、エチカは紅茶を一口飲んだ。
小夜子は「は?」と眉をひそめる。
「もしかして、ウソなんですか?」
「ウソに決まってんでしょ。使うたびに出来るものが劣えていったら、錬金術なんて誰も使わないわよ」
「わー!」
小夜子はそばに立てていた青銅のロッドを振りかぶり、エチカの脳天に振り下ろした。
サッと料理の皿を両手に持ってエチカがよける。
バキイっ!
テーブルがまっぷたつに割れた。
「ウソつき! ウソつきはドロボーのはじまりなんですよ! エンマさまに舌ひっこぬかれるんですよ!」
「ウソくらいでベロ無くすんなら、テメーは一体なにを無くすのかしらね」
と強がって言い返しているものの、エチカの顔色は悪い。
小夜子の凶暴性とスピードは、日増しに磨きがかかっている――気がした。
いつか避けられなくなる日が来るだろう。
「わたしはなんにも無くさないんです! そんなことより、じゃあなんだってわたしに料理で錬金術を使うななんて言うんですか!!」
「言ってねーわよ。逆よ、逆」
もう一度大上段の構えから杖を振り下ろす小夜子にエチカは言った。
ベキッ!
エチカを捉えそこなった杖の先端――エーテル石が、フローリングの床をぶち抜く。
「……え?」
小夜子は涙目で聞き返した。
「だ、か、らっ、使えばいいじゃない、錬金術。なんでもかんでも、ばんばん使っていけばいいわ。便利だし、使う頻度が増えれば、腕だってすぐに上がるわよ」
「でも……さっき『狡い』って」
「わるかったわね。私はそーゆー言い方しかできないのよ。ちょっとからかってみただけだから、気にしないでちょーだい」
からかった代償が命というのも割に合わないが。
エチカは割れたテーブルと床に空いた穴を一瞥して、自分の浅はかさを呪った。
「そ……」
小夜子は杖を引っこめた。
「そういうことだったんですかー」
うしろ頭に手をあてて、自分の早とちりに照れ笑いする。
「よーしっ、じゃあわたし、これから洗濯もお掃除も、ぜんぶ錬金術で片づけさせてもらいますね」
「日曜大工もね」
小夜子が冷静になったところで、エチカは大破したテーブルを目で示した。
食べ物はエチカの両腕に曲芸的に受け止められていて無事だが。
「机と床、今すぐ直してくれるかしら」
「は……」
穴のあいたフローリングと、壊れた四角いダイニングテーブル――。
自分の凶行の跡を目のあたりにして、小夜子はガックリとうなずいた。
「はい……」
料理は錬金術でカンタンにつくれる。
しかし家や家具の修理は、小夜子の技量では、まだまだ重労働なのだった。




