バカじゃないことを証明せよ-④
エチカは少女――小夜子をつれて城を出た。
小夜子は無言。
もう放心はしていないが、ふてくされたように黙りこくっている。
外見から十四、五歳くらいかと見積もっていたが、実際はもっと幼いのかも知れない。
まちがっても精神年齢は低そうだった。
うつむいたままの小夜子をつれて、城下町に下りる。手持ち無沙汰にポケットに手を入れると、少女の学生証が指先に当たった。
「そうそう、これを返すのをわすれてたわ」
チャコールグレーの手帳を差し出す。
不承不承といったようすで小夜子は受け取った。
それともおそるおそるだろうか。
エチカは訊く。
「ねえ、これなんて読むの? 不知火――」
「しらぬい」
思いのほか毅然とした返事だった。
ただ怒りにまかせただけの口調だったのかもしれないが、いつまでもいじけられるよりかはマシだ。
「不知火です」
「そう、じゃあこっちは? しょう――」
「さよこです。不知火 小夜子」
小夜子はしっかりと自分の名前を発音した。
牢屋に入れられ形見を壊され、その上変なふうに呼ばれてはたまらないという一念でエチカにちゃんとした読みを教えたのだ。
「どっちがあんた個人を差すの? シラヌイ? それともサヨコ?」
「サヨコです。シラヌイは苗字」
「わかったわ。私はエチカ、この国で商いをやってる錬金術師よ」
錬金術?
小首をかしげる小夜子の内心など知らぬまま、エチカは話しつづけた。
「サヨコ、ちょっと上を見てみなさい……空を」
小夜子は上目遣いにしか視線を上げなかった。
自分たちのずっと頭上――青い空をエチカは指差して、小夜子がちゃんと高いところを向いたのを確認する。
「あなたの父親の形見を壊したのはわるかったわ、ごめんなさい。でもね、聞いてほしいことがあるの」
小夜子にはエチカの言葉がほとんど入っていなかった。
魅入るように、緑の石の群れをあおぎつづける。
「光の輪っかがいっぱい」
「ええ、〈宇宙のとぐろ〉って言ってね、あなたが持っていた宝石――〈渡煌石〉っていうんだけど、それとおなじ物体があつまってできた、概念結晶の帯よ」
「概念……結晶?」
エチカはうなずく。
「この世界にただよう知識や観念、そしてそのほかの世界にも存在しながら、私たちが知っているものとはちがうそれら。あの石の群体は、他世界に存在する、そうした叡智をこちら側にももたらしてくれる通路の能力を持っているのよ。副次的に、他世界の人間とも音声によるコミュニケーションを可能にしてくれる。だから〈翻訳の帯〉と呼んでいる人もいるわ」
「……お星さまみたい」
「星……そうね、その解釈でもかまわない」
二人は光の帯を見上げつづけた。
小夜子はこんなにも長く空をながめるのはひさしぶりだと思った。
「あのなかのどこかに、あなたが大事にしていた石はあるわ。なんの慰めにもならないだろうけどさ、決して消えたりなくなったりしてしまったわけではないと、それだけは伝えておきたかったのよ」
翻訳の帯を差していたエチカが手を下ろし、まえをいく。
小夜子は彼女の背中に小走りでついていった。
いまは目のまえの女しかたよるべき相手はいないのだ。
「わたし、これからどうなるんですか?」
「安心なさいよ、帰る術はあるわ。とはいえちょっと時間が必要でね。すこしのあいだ、あなたには私の店ではたらいてもらうわよ。住みこみでね」
(は?)
小夜子は足を止めた。
エチカの言葉を反芻して、
(はああああ!?)
黒い眼を見ひらいて女のうしろすがたを観察する。
長い金髪のてっぺんから、ロングブーツを履いた足の先っぽまで。
外見から相手を判断する。
思いっきり見た目で判断する。
(このわたしが……こっ、こんな頭のなかみのかるそーなあほ面さらした女のもとで下働きさせられるってことですか!? そんなのぜったいにこき使われるに決まってる! アゴで使われてひーひー言うまで力仕事とかさせられて……ってゆーかなに? この女こんな若くで店もってるって――あ、自分の店じゃなくってどっかの企業が運営している店舗の一つをまかされてるとか? 飲食店かアパレル関係か――なんにしてもわたしみたいな人見知りに接客とか顔出すような仕事はむり! だいたいわたし大人になったら実家の財産食いつぶしながら労働なんて無関係の無職でのんべりだらだら生きていくつもりだったのに!)
だっ!
小夜子は走り出した。
あらぬ方角に向かっていく。
「あっ、こら!!」
エチカが追いかけてくる。
民家のあいだから大通りの坂道に出て、小夜子はそれが一本道なのに気づいた。
「逃げようったって無駄よ、こう見えて体力には自信があるんだから!」
(ふん、このままあなたとまともに追いかけっこなんてつづける気はありませんよお!)
一本道の勾配がつづく町の構造から、落下防止の柵の下には下層のストリートがあると小夜子は予測した。
もしくは建物の屋上に出るのかもしれないが、なにもないということはないだろう。という希望的観測でつぎに自分が取る行動を決定する。
柵の手摺りに両手をかけて、小夜子はひょいっと飛びおりた。
着地がへたなら骨の一つも折るだろうが、こちらも身体能力には自信がある――
「ばかっ! 待ちなさいそっちは――」
「ふーんっ、待てって言われて待つばかはいませんよーだっ!」
空中に飛びあがった姿勢のまま、小夜子はいたちの最後っ屁よろしくベーっとエチカに舌をだした。
進行方向に視線をもどす。
地面がない。
大地がない。
まっしろな雲。
地上から上がってきた水蒸気の塊が、落下に伴う速度の上昇によって思いのほか速く速く迫ってくる。
「うっそお!?」
エチカと小夜子はおなじ言葉を同時に叫んだ。
――ぼん!
浮島の基部を支える雲間に小夜子の身体が消える。
「サヨコ!」
エチカは手摺りに身を乗りだした。
少女のすがたはもう見えない。
ここからではきれいに濾過された蒸気のあつまりしか拝めないが、数メートルも落ちれば気圧のつごうで滞留している地上からの〈毒〉がある。
ざわざわとストリートにいた人たちがあつまってくる。
「おいなんだ自殺か?」
「あったかくなると出てくるねえ」
「まだ子供って感じだったけど、きっと辛いことがあったんだろうな」
くちぐちに憶測を立てる野次馬たちを追いはらうのもまどろっこしく、エチカは腰のベルトに引っかけていたリング状のホルダーを摑んだ。
ぶらさげていた弾丸状の飾りの一つ――銀色の結晶を外して握りしめる。
「出でよ風精霊! 蒼穹を駆ける自由の稚児!!」
ぼうっ。
弾から幼子の影がほとばしり、透明な翼となってエチカの背中に憑依した。
どん!
突風となったエチカが鉄柵の外に飛び出す。
周囲にいた人々は衝撃波を受けてよろめき、道路から舞いあがる砂埃に目を閉じて――
つぎに目を開けた時には、錬金術師の女はいなくなっていた。