路地裏で困っている人を助けるについて
「きゃー!」
フィーロゾーフィア市の裏路地を、黄色い悲鳴がつらぬく。
夕暮れの王都。オレンジ色の光が届かぬ暗い隘路に、一人の男と一人の女がいた。
女は走っている。男も走っている。
「やめっ――! 助けっ……」
助けてー!
と悲鳴はつづいた。
追われる者と。追う者と。
追う側の凶刃が、追われる者の背を捕えようと、黒い矛先を伸ばす。
「やめろー!」
空から一つの影が飛び下りた。
エアボード――空飛ぶ、スケートボードのような乗り物だ――から、地上へと跳躍する若者。
ズダン!
ハーフパンツから剥き出しのヒザを曲げて、着地の衝撃をやわらげた彼は、まだ少年――十代の前半ほどだ。
半袖にベスト、顔には飛行/走行用のゴーグルをつけている。
銀色のフレームが、キラリと夕日の残滓を跳ね返す。
ブウン!
振られた凶刃――ツルハシの先っぽを、彼は驚異的な瞬発力で、白羽取りした。とはいえ相当な緊張を要した。ツーッと額から汗がながれる。グローブがなかったら、こんな強行には出なかっただろう。
「なにするんですか、この不届き者お!」
ツルハシを少年にたたきつけた姿勢のまま、女――というか少女――は喚く。
長い黒髪に黒い両目、モノトーンのブラウスとスカートをつけた、『良い所のお嬢さん』な格好の女の子である。
歳は十四。胸にはペンダント、頭には白いカチューシャをつけ、中央のリボン飾りの上に、チョコンと赤いトカゲが載っている。
ミニチュアのおもちゃのようにも見えるこのトカゲは、〈サラマンダー〉。火の精霊だ。
本来の持ち主(飼い主?)は、この少女ではない。だが最近は少女が出かけるたびに、サラマンダーはよちよちといてきた。いっちょうまえに、護衛のつもりだろうか。
少女の名前は小夜子といった。
どんな人間か、一言で説明をするのはむずかしい。
つとめて簡潔に伝えるなら、路地裏で声を掛けてきた一人の男に、その場に打ち捨ててあったツルハシを取りあげて斬りかかり、あわてて逃げ出した相手を「天誅!」の名のもとに刺し殺すべく追いまわすような人物だ。
よくかんがえたらただの危険人物だ。
「たっ、助けて! 助けてくれえ!」
男――小夜子に追い駆けられていた男は、ゴーグルの少年のうしろにまわりこんだ。
少年の身長は、背後の男よりも低い。
それもそのはずで、男は二十代の後半ほど。麻のシャツにジーンズをまとった体格はガッシリと鍛えられ、ともすれば休憩中の炭鉱夫のようにも見えた。
少年は、受け止めていたツルハシを両手で押しのける。空から下りてきたエアボードをつかまえ、脇にかかえて、小夜子に話しかける。
「おちつけよ。『不届き者』ってキミは言うけどさ、客観的に見て、キミのほうよっぽど不審者だぜ」
「失礼な! これは正当防衛です! 路地裏でこんな可憐な美少女に声をかける悪漢に、わたしのような美少女は武器を振りまわしていいことになっているんです! なぜならか弱いから!」
「えらくふてぶてしいこと言ってる気はするけど……。まあ、キミが可愛いってのと、キミの暴力には相応の理由があるってのは分かった」
「ごっ、ゴカイだ! オレはなんにもしちゃいねえ!」
筋肉男が唾を飛ばして身の潔白をうったえる。
少年は、うしろで尻尾のように束ねたダークブラウンの短い髪と同色の、ほそい眉を片方上げて、男の意見を聞いた。
「オレは商都〈マッカーリモ〉に出稼ぎに行ってて、今日、仕事でたまたま王都に戻ってきたんだ。で、ずっと会えてなかったカノジョを驚かせようと、家に行こうとしたんだよ。……近道を使って。けど、よその町で暮らしてるあいだに、土地勘をなくしたみたいでよ。道にまよったんだ。それで、大通りに戻るために、たまたま通りがかったそこの嬢ちゃんに道を聞こうとしたんだ。するといきなりツルハシで攻撃されて……」
目尻に涙を溜めて説明する男に、少年はぼうぜんと口をあけ、小夜子はえっへんと胸を反らす。
「とーぜんの反応です。おじさんみたいなムッキムキでスキンヘッドでダミ声の大男は悪いヒトだって、むかしっから決まっているんです(←偏見)。なのでおとなしくお縄についてください! でなければ正当防衛の名の下に、今すぐ物言わぬ骸になって下さい、おねがいします!」
「しっ、死にたくねえ! 懇切ていねいにたのまれても死にたくねえ! なあ、ボウズ、助けてくれよ! もうずっと追い回されててっ……! このままじゃ、カノジョに見つかったときにゴカイされちまうよ!」
「おじさんが心配するのはもっと別のことなのでは?」
少女も少女なら、うしろの男も男な気がして、少年はコメカミに指をあてた。
「わかった。おじさん、大通りに戻りたいなら、そこのアーチをくぐって右に曲がって。靴屋のカンバンがあるから、そこを目指してずっと直進。ぜったいに脇道に入るなよ」
「ありがてえ! 感謝するぜボウズ! あとオレはまだ二十六歳だ!!」
言外に「お兄さんと呼べ」アピールしながら、男は少年の指差す方角へと駆けていった。
「あっ! あーあ。あんな悪者を野放しにするなんて……」
「道にまよっただけって言ってただろ」
いまだにツルハシを離さず、石畳につけた格好で落胆する少女に、少年はなるべく平静をたもってかえす。
「って、あれ? ひょっとしてキミ、サヨコ? サヨコ・シラヌイ?」
ゴーグルの奥から、少年はまじまじと小夜子を眺めた。
小夜子の本名は『不知火 小夜子』という。これは彼女の故郷――こことは別の世界にある、『日本』という国――での表記だが、フィーロゾーフィア王国に住むとなったときに、こちらの国に合わせて『サヨコ・シラヌイ』の表記で住民登録した。
すなおに「はい」と答えるか、しらばっくれるか。
小夜子はどう返事したものかまよった。
少年の正体は不明なのだ。
悪い人ではなさそうだが。
「俺はマグナ。キミのことは人伝に聞いて知ったんだ。まあ、人ちがいなのかもしれないけどさ」
マグナと名乗った少年は、おさなさの残る頬をグローブの指先で掻いた。
小夜子は自分の名が知られていることについて、ひとつの可能性にいきあたった。
「わたし、そんなに有名人になってるんですか?」
「ちがうよ。俺の家族にキミのこと知ってる人がいてさ。――って、やっぱりサヨコ・シラヌイなんだ」
「あっ」
口がすべった。
マグナが手を伸ばし、社交辞令の握手をもとめる。
「会えてうれしいよ、サヨコ。キミにはなんのことか分かんないだろうけどね。フィーロゾーフィア市に滞在しているあいだに、ひとめ見ておきたかったんだ」
「はあ……。ほんとにマグナさんがなにを言っているのかよく分かりませんが」
「あはは。だろうね。――あ、俺のことはマグナでいいよ敬語もいらない」
「そうですか。でも敬語はクセみたいなものなので、ほっといてください」
礼儀ていどに、小夜子はマグナの手をにぎりかえす。
暗色のレンズが入ったゴーグルをつけているせいで、マグナの素顔は最後まで不明だった。
しかし、彼の物腰、口調、どこかしらただよう軽薄さ――というか人慣れした社交性に、強烈な既視感を覚える。
(どこかで会った……?)
かんがえながら、小夜子はマグナの手を離した。
「それで、サヨコはこんな裏道でなにしてたんだ? さっきの人はたまたま良い人だったけど、実際ここはあぶないよ。もうすぐチンピラの溜まり場になる」
「わたしも道にまよってたんです。広場でアイスを食べて、家に帰ろうとしたら……ちがう方角の通りに入っていたんですよ。いくつか辻を曲がってから気がついたんですけど、もう手遅れで」
「ははっ。方向感覚狂うってのは、長く住んでる人でもあることだからね。ここは似たような建物が多いから」
笑って、マグナはぐるりと、隘路を構成する集合住宅や家屋を見まわす。
赤に群青色の迫る空が、通りの影を濃くしていく。
「マグナは、なにをしていたんですか? 空から降ってきましたけど」
「俺も家に帰るとちゅうだよ。うち、門限きびしくてさ。六時には家にいなきゃならないんだ」
(門限かあ)
小夜子も日本の、実家にいるときは、母親から外出の時刻を制限されていた。
フィーロゾーフィアに来てからも、日が暮れるまでには居候先に帰宅するようにこころがけているが、ハッキリと定められたルールではない。
「さっきのおじさんはともかく、女の子がひとりじゃあぶないから、大通りまで送るよ。……ツルハシ、置いてってくれるかな?」
「イヤですよ。マグナがわたしの不意を突いて殺してバラバラにしてそのへんに埋めないとも限らないじゃないですか」
「……。分かった。それ持ってっていいから、なるべく振りまわさないでくれよ」
疲労なのかあきれなのか。どっちともつかぬまま、マグナはうなだれる。
せまい道を、エアボードをかかえたマグナと、ツルハシをかまえた小夜子が歩いていく。
大通りが見えた。
道路と天空を仕切る手摺りが、赤い空に瀟洒なシルエットを焼きつけている。
「やべっ」
大通りに出ようとすると、マグナが小声でさけんだ。
うしろに跳んで、小路にひっこむ。
「サヨコ、もうここまでくれば大丈夫だろ? 俺は、あっちから帰るから」
「はあ……」
あわてて小路を奥へと走っていくマグナに、小夜子はまぬけな声を出す。
(あ、お礼言うの忘れてた……)
道路に出てから気がついた。
仮にも迷子から助けてくれたのだ。ありがとうは言うべきだった。
横道を振りかえる。少年の影もかたちもすっかりなくなっていた。
また会う機会があれば、そのときに埋め合わせをしようと内省する。
「やあ、サヨコちゃんじゃないか」
大通りに向きなおるやいなや、知った声がした。
セミショートの黒髪にバンダナを巻いた、上質なシャツとロングパンツの青年だ。
庶民の服装に寄せているつもりなのだろうが、着用する本人にためだけにあつらえたようなフィット感、袖や襟まわりのディティールから、オーダーメイドの品であることはうたがいようがない。
フィーロゾーフィア国の王、オーギュストだ。
「王様ですか……。なにしてるんですか?」
「あー、人さがしだよ」
オーギュストは大きな息をついた。まったく乗り気じゃないのが一目瞭然だ。
「今って寄宿学校も夏休みでさー、弟が帰ってきてるんだよね。昼ごろにあそびにつれてってやったんだけど、あいつ、僕と一緒じゃ恥ずかしいからって、どっか行っちまったんだよな。……ところでそのツルハシは何だい?」
「ただのツルハシです」
「そいつは愚問だったね……」
ツルハシの柄を握りしめたまま答える小夜子に、オーギュストは頭痛にうめく顔で言った。
オーギュストの性格は、決して良いとは言いがたい。小夜子も他人のことは言えないが、目のまえの軽薄な王様よりは、何テラ倍もマシだと自負している。
(この王様みたいなのがほかにもいるのかあ……)
ふー。とオーギュストにも見えるように、重たい息をつく。
「あいつさー、僕とちがって実直なもんだから、ナンパの仕方教えてやるよって言ったのに『いらねー。ひとりでやってろよ』って、エアボード乗って飛んでっちゃったんだ。ナマイキだよなー。それでいて僕より女の子にモテるんだからさ、イヤんなっちゃうよ。世のなかって、不公平にできてるって思わないかい?」
「べつに思いませんけど」
小夜子は居候している家に向かって、坂なりになった大通りを上に歩いていく。
さっき頭に過ぎった既視感の正体がやっと判明した。
少なくとも弟の方はマトモだと分かって安心する。
「どこ行ったんだろうなー。あいつ、まだ十二のガキだから、門限を守らせなきゃなんないんだ。つれ出しといて帰らせなかったら、僕が怒られるんだよなあ」
うしろ髪をバリバリ掻いて、いら立たし気にオーギュストはブツクサ言う。
ツルハシを肩に担ぎ、さきほど出てきた小路を指差して、小夜子は王様に教えた。
「お城で待ってたら会えると思いますよ。さっき、あっちから帰っていったので」




