雨について-⑤
◇
十三時。
フィーロゾーフィア国の王城はにぎわっていた。
本殿の屋上で、まっ青な雲ひとつない空を指さして、押しかけてきた人々が口々に言う。
「今から半年間おどりつづけて雨をふらせます!」
「この幸せのツボを買えば一年後に雨がふります!」
「〈サギリの遺跡〉で見つけた聖杯です! 大量の金貨を入れれば願いが叶います! 叶わないときはおカネが足りません! もっと入れましょう!」
「……」
そばで見守っていた宮廷錬金術師たちは、FやらDやら自称Sランクの冒険者を横目に、ヒソヒソささやく。
「ろくなやつがいないな」
「だからシロウトに任せるのはイヤだったんですよ」
「ここまでヒドイとはな」
中年の錬金術師――フェーンは、制服の帽子をはずし、炎天下で汗ばんだ角刈りを太い腕でぬぐった。
「まともなアイテムも人も無いのか」
錬金術研究所所長のパスカルもまた、勝手におどりはじめたグループを尻目にうめく。
「思ってた以上にユカイなことになってますね」
「もうこのまま見物だけしてようかしら」
何人もの鎧武者、旅装束の戦士たちが並ぶ奥に、パスカルは知った声を聞く。
順番待ちをしている人々に構わず、皺まみれの手で招き、声の主たちを呼んだ。
「来たのか。――こっちだ」
パスカルの手招きに、なんの躊躇もなくエチカは小夜子をつれて列の最前に出た。
屋上の、もっともせり出した部分――バルコニーを囲む銃眼の前に設置された、球形上の装置まで案内される。
「最後に会ったのはお前が十二の時だったか。まさか来るとは思わなんだ。元気そうでなによりだ」
「世間話しにきたわけじゃないわよ」
エチカは胸の前で腕を組んで、金色の目をすがめた。
王立研究所のローブ――宮廷錬金術師の制服――をまとった若い男がひとり、とがめるような顔をして、二人に近づく。
「パスカル所長、この人は? お知り合いですか?」
「まあな。エチカというんだがな、聞いたことないか、ベルヌ。七等級地で雑貨屋をやってる錬金術師じゃよ。腕は確かだ。――もう他の者には帰ってもらっていいぞ」
あしらうように手をヒラヒラやる老錬金術師――パスカルに、ベルヌと呼ばれた若者は眉をひそめた。
「いや、でも……順番は守ってもらったほうが……」
「もう懲りた。お前も専門家に頼んだほうがいいという意見だったろう」
ベルヌは口をつぐんで、うさんくさげな一瞥をエチカにくれる。ついでに、彼女のそばで青銅のロッドをにぎりしめている、十代前半ほどの長い黒髪の少女――小夜子にも。
不承不承列を解散させにいった部下を見送って、パスカルもまた小夜子に視線をやった。
「そこにいるのがお前の弟子か」
ギクリと小夜子は全身をふるわせる。エチカに師事する気は毛頭ない。
「ただの従業員よ。私は弟子なんか取らないわよ」
「だが強かに育っているようだ。うちの研究所も、お前がいてくれたらと思うよ。人を牽引する人材が必要なんだ。どいつもこいつも、育ちが悪くて困っている」
「辛辣なおじいさんですね……」
当人たちが取りまいている中で、声をひそめる気配もなく吐き捨てる老人に小夜子はあきれた。
エチカも似たような表情で溜め息をつく。
「それは所長であるアンタがやらなきゃならないことでしょ。自分の無能を私に押しつけないでよ。迷惑だから」
同僚と共に冒険者を帰らせたベルヌが、大股でずんずん二人の元に戻ってくる。
「お前っ! さっきから聞いていれば、城下のしがない道具屋のブンザイで、所長に失礼な態度を……!」
パスカルが軽く、自分の杖をついてベルヌの怒号をさえぎった。
「かまわんよ。こいつは国王に対しても似たような態度だしな」
「王様に対してはべつにいいんですよ!!」
ベルヌはキッパリと言い返した。
「ここの王様って、誰からも尊敬されてないんですね」
「そうね。本人は『親しみやすいってことだよ』ってヘラヘラ笑ってるだけだけど」
小夜子のささやきに皮肉を返しつつも、エチカも口元が引きつっている。
「っつーか、原因ちゃんと判ってんじゃないのよ、パスカル」
話を戻すと、パスカルはうんと頷いた。
「装置を作動させるのに必要な力が足りん。以前はそんなことはなかったが、それはそれだけの能力を持った人材がいたからじゃ。だが今年はどうも不作での。人の育ちが悪い。知識は豊富な頭でっかちは多いが、実地に耐えうる術師はいないよ。じゃなきゃこんな大事にはならん」
パスカルの言に、その場にいた若手、中堅層の研究所員は身をこわばらせる。
ベルヌは黙っていなかった。
彼の反駁は、他の研究員の意見を代弁したものだった。
「違いますパスカル所長! 他に原因があるはずですよ!! ――そう、確か、今年は異世界から人がやって来たって城内で聞いたことがあります!」
反射的に小夜子は身を引いた。無意識に、胸元のペンダントに手を伸ばす。
今は亡き父親からもらった、お守り代わりのペンダント。
空っぽの台座には、かつては緑の宝石が嵌まっていた。
それはこの世界で〈渡煌石〉と呼ばれるものだ。
小夜子を毒の雲の上の世界に運び、エチカによって秘めた力を解放され、現在は文字通り空よりも高いところで、同じ種類の石と共に、世界の頭上をめぐりつづけている。
パスカルの銀色の目が、小夜子の手元を見つめていた。
――ペンダントを。
「ベルヌ」
「はいっ!!」
快活に返事する若い錬金術師に、パスカルは視線を移して言った。
「お前はちょっと黙ってなさい」
自分の意見は正しいはずなのに――!
ハトが豆鉄砲を喰らったような、ほうけたような表情をムリに平静ぶったおかげで、感情が欠落したような、スイッチの切れたロボットのような、気のない顔にベルヌはなった。
宮廷錬金術師たちのあいだに、大きな溝が生じた。
小夜子はエチカのサマーコートのすそを引く。
「エチカ……」
「あん?」
小夜子は小声で訊いた。
「わたしのせい……なんですか。知ってて、エチカは黙っていたんですか?」
「仮説よ」
エチカは短く答えた。
パスカルがベルヌに言い聞かせる。
「〈渡煌石〉が、新たな概念をこの〈ユックリッド〉にもたらし、その結果ひずみが生まれるのは否定しない。しかしその知識や観念、あるいは現象、知的生命体の存在を受容して、我々の世界が拡張してきたのもまた事実。今日この空の上に陸があり、本来なら呼吸もままならない雲の上でわしらが生きていられるのも、そうした異世界からの訪問があってこそのもの。お前の言うように、排除は確かに一つの手だが、安易な放逐は自ずから身を滅ぼす。ゆがみが生じ、問題が起こったのならば、研鑽を積んで解決すればいいだけのこと。事実そうして今があるわけだ」
「それは……。過去の事例は、たまたま運がよかっただけで……」
「そうか。長年強運を引きつづけるとは、若いころのわしは存外神がかりだったようじゃな。もっとも、わしとしては、自分を磨きつづけてきた、既に亡き同胞の据わった性根と鍛錬のたまものだとも思うのじゃが」
パスカルは無念そうに頭を振った。
トン、と杖をつく。
仕切りなおしだ。
「エチカ、天候調整装置を見てくれ。ああ、よかったらそっちのお嬢ちゃんも見ていきなさい。普段は部外者に公開してないものじゃからの」
パスカルは老いた身体を、錬金術師の長杖をついて引きずっていった。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
小夜子はバルコニーにたたずむ、大きな地球儀のようなオブジェに歩いていく。
エチカは小夜子の反対側から、装置をながめていた。
「サヨコ」
呼ばれて、いつのまにか伏せていた黒い目を小夜子は上げる。
「雨がふる原理ってわかる?」
エチカに問われて、『日本』にいた頃の記憶を小夜子はあさった。理科の授業で習ったものだ。
「えっと、雲を構成する水滴が、落下したものが雨だとかなんとか」
「そうねえ……。とりま補足するとね、空気があっためられると、上昇気流が発生する。で、上昇気流によって上空へいくほど、空気の塊は膨張するのね。そうすると、今度は空気の塊は冷えて、その温度において空気が抱え込んでいられる水蒸気の最大量(飽和水蒸気量)を超えると、水蒸気は固まって、小さな水の粒になるわけ。この粒の集合体が『雲』よ」
「じゃあ、やっぱり、雲の上のフィーロゾーフィア王国って……」
「原理的には雨がふらない。あるいは、著しくふりにくい環境にある。だから天候をあやつる装置、およびそれをあつかえる技能は住民の生存に必須だし、装置の稼働にたずさわる宮廷錬金術師は、そういう意味で責任重大なのよ」
エチカはずっと携えていた自分の錬金術師の杖を見上げた。
先端に嵌まる神秘の石、エーテル石の色は〈赤〉。それは錬金術師として最高位を示す色だが、見回したところこの場に〈赤〉は他に一人もいない。
――これだけエリート面した錬金術師がいて、どいつもこいつもせいぜいが〈黄〉止まりだなんて。
滑稽に思えて、エチカはフッと笑いをこぼした。
小夜子が訊く。
不安そうだ。
「でも、エチカはこの装置を使いこなせるんでしょう? イプセンさんは、精霊がいれば解決って言ってたけど、あなたなら機械を使ってだってどうにかできるんじゃあ?」
「私はね。でもさっきも言ったように、その場しのぎってのは不毛だわ。とはいえこの天候調整装置って、術師の才覚というか、センスに直結する問題だから、取りあつかいについて、マニュアル化できるものじゃないのよね……」
エチカはめんどうくさそうに大きく息をついた。
腰にさげた結晶――三つの内の、青色。水の精霊を見つめて、顔を上げる。
エチカは精霊を使わなかった。
杖を構え、先端を装置の群青の球に向ける。
力を注ぐ。
赤いエーテル石が発光する。
球体は回転を始めた。
その外側をめぐる、いくつものリングも。
「どうせ途中で止まる」
「一人でどうにかできたら、誰も苦労しないぜ」
「あのエーテル石の色、どうせ染色か、じゃなきゃインチキで元の色を誤魔化しているに違いないよ」
遠巻きに見やりながら、若い宮廷錬金術師たちは、同じ年くらいの野良錬金術師をせせら笑った。
フェーンとパスカルは、黙って球体の動きを見つめていた。
動きは止まった。
灰色の雲が、市街の上空に迫ってくる。
冷たい風が、城の屋上に押し寄せる。
――。
鼻の先に、小さな粒の当たる感触がした。
一人、また一人と、雲におおわれた空を見上げる。
全ての錬金術師が天を仰ぐころには、ザアアと冷たい線が音を立てていた。
――雨だ。




