バカじゃないことを証明せよ-③
◇
「いきなり呼びつけてなんなのよ」
城の牢屋にエチカの声がひびく。
王城の離れ――その高所に設けた犯罪者用の獄だ。
――日中。
おひるご飯を食べ終えたころにやってきた二人の従業員希望者をテストで追い払ったあとに、王命を賜った兵士が店にやってきて強制的に城へと連行された。
エチカの機嫌は最悪だ。
午後からは錬金術の勉強をする予定だったし、ひまを縫って精霊を探しにいかなければならない。
数日前に自分の元からいなくなってしまった火の精霊――サラマンダーを。
「つまんない用事だったらただじゃおかないわよ」
「そんな君はおっかない、なんてね」
「帰るわ」
牢屋の通路でつめたいダジャレを素面で言って笑うオーギュストに、エチカはさっさと身をひるがえす。
王に忠誠を誓った兵士でさえ「どうぞどうぞ」と道をゆずるのだ。そのしょうもなさは推して知るべしだろう。
「待った待った、わるかったよ。さすがの僕だって私用で兵士に一市民をつれてこさせたりはしないさ。ほら」
オーギュストは手に掴んでいたものを掲げた。
エチカはうっとうしそうに振りかえる――
ゆれる神秘的な光沢をみとめて、奪い取るようにしてそれを受け取った。
丸い台座に嵌まった緑の石。
ペンダントにするためにつけた革紐はおそらく安物のフェイクレザー。
まるで祭りの露店で売り買いされるおもちゃみたいなつくりだが、くっついているのは腕利きの〈錬金術師〉ならばまちがえようがない――。
「〈渡煌石〉!」
「君までそう言うのならまちがいないな。知ってのとおり、僕には錬金の知識がなくってね。学士のじいさまたちが言ってるのを半信半疑で聞きながしていたんだが」
「どこでこれを――って」
いそいでオーギュストにたずねるエチカだったが、すぐ近くから聞こえる檻を揺らす音に冷静になった。
「――――――――!!」
罪人を閉じこめておくための牢屋。
すこし錆びた鉄パイプを等間隔に嵌め込んだ狭い部屋のなかに、ひとりの女の子が入っている。
前髪をカチューシャでとめた長い黒髪の少女だ。
としは十四歳ほどだろうか。
大人しいというよりは気弱そうな表情は、どこかしらまだ両親へのあまえが抜けていない――よほどあまやかされて育ったか、過保護に育てられたかした、俗にいう『世間知らずのお嬢さま』のそれだった。
背は同世代のフィーロゾーフィア国民女性と比較して低いが、血色がいいにも拘わらず、全身の線はほそい。
ここいらでは見ないデザインのワンピースを着ているくせに、靴は学生たちがよく履いているタイプの黒いシューズだった。
「――!――!!」
なにをしゃべっているのかはわからない。
ということは、彼女はフィーロゾーフィア王国やそのほかの国の民ではない。
この世界の公用語は一つだ。
そして言語が通じる国々は、現在空の上の島や大陸にしかなく、未確認の領域は地上を除いてほかにない。
毒の雲の上に存在するこの国々は、大昔に地上に人が生きていた時代に、当時の錬金術師たちによる選別を受けて打ち上げられた土地なのだから。
――つまり、檻のなかの少女は〈異世界〉から迷いこんだ外来の民。
そして緑の宝石〈渡煌石〉は、きっと彼女の持ちものだ。
「……あの子は?」
鉄格子をがんがん揺らしてわめきたてる少女をアゴで示してエチカはオーギュストに訊いた。
「森にいたんだよ。無防備に寝ていたところをうちの兵士が見つけてね。最初は君の関係者かと思った」
「なぜ?――あっ」
王の肩からちょろりと出てきた生きものがある。
赤い皮膚に炎の背ビレを持った小さな蜥蜴だ。
「サラマンダー、どうしてここに」
王の肩から出てきたトカゲは薄い長そでの腕を伝ってエチカの差しだした掌に飛びのった。
オーギュストが少女を見やる。
「あの女の子が持ってたんだよ。四精霊を従える能力を持つレベルの錬金術師は、君くらいしかいないだろう? だから、てっきりあの子はキミの弟子かなにかで、サラマンダーを護衛に貸してやって採取にでも行かせたものかと思ったんだ。ああ、ちなみにそのサラマンダーが、君のではなくあの子自身の支配下にある従者かもって意見も出たんで、〈エーテル石〉を使って調べさせてもらったよ。そして彼女にそこまでの能力はないってわかった。――黒だ」
「ニグレドね」
エチカはサラマンダーを握りこんだ。
かるく念じると、火のトカゲは熱のない焔と化して、ぐるぐる渦を巻いて球体を形作る。
球体はすぐに凝固した。
赤い、宝石の艶めきを持った流線型の結晶。
それをエチカはベルトに挿したリング状のホルダーに接続する。
ホルダーにはほかにも青と銀、黄色の結晶が吊ってあった。
赤色を含めた四色の飾りが、きらきらとキーホルダーのようにゆれている。
エチカはオーギュストに訊いた。
彼から渡された渡煌石の首飾りを見つめて。
「このペンダントもあの子のよね?」
「うん、彼女の持ちものだよ。で、これは身分証明書だろう――たぶんね」
色褪せた手帳をオーギュストはエチカに差し出した。
受け取ってページを開ける。
なかには少女の顔写真と、なにやら面妖な書体の文字が記載された部分があった。
「こっちはただの証明写真だろうが……この記入されてるのが見たこともない文字なんだよ。読めるかい?」
「旧世界の少数民族が使ってたっていう字に似てる……二年D組。――中学校……」
「名前は? 彼女の」
「氏名……なんて読むのかしら、これ?」
「きみの読める範囲で教えてくれ」
「……」
エチカは眉間にしわを寄せた。
なんとなく自分の読みかたがまちがえてる予感がしたのだ。
しかし他の読みかたも思いつかない。
「フチヒ……」
「……つづけて」
「…………不知火 小夜子……?」
広い額に人差し指を当てて、エチカはう~んと呻る。
語呂がわるすぎる。
さすがにオーギュストもこれはちがうと感じたようで、渋面をつくってコンクリートの天井を見上げた。
「おかしな名前だな。『フチヒ』がファーストネームかな?」
「私たちの国の観念でよければね。でもなんとなく、小夜子のほうが個人名っぽいのよね」
エチカは手帳のページとにらめっこをつづけた。
「本人に訊かなきゃわからないか」
「ええ」
「じゃあさっそく〈翻訳〉をたのむよ。今この国で〈渡煌石〉を解放できる錬金術師は、君しかいないんだから」
「しかたないわね」
エチカは店にいる時から携えていた錬金術師の杖を持ちなおした。
渡煌石に先端を当てる。
「――!!――――――――!!!」
通路に鉄格子の音が響きわたる。
まるで猛獣が暴れているようだと息を呑んで、エチカは牢屋のなかから必死になにかを訴えている少女――小夜子を見つめた。
「なんか……すっごいわめいてるんだけど。これ、あの子にとってものすごく大事なものなんじゃないの?」
「僕らにとってもね」
きっぱりとオーギュストは切りかえした。
「〈渡煌石〉によって、べつの世界との隔たりがなくなれば、また新たな概念や物質、知識がこの世界にながれついて来れるようになる。それは君も望むところだろう、エチカ」
「……」
試すような視線で人を見下ろしてくる。
彼の表情におもしろくないものを感じながらも、エチカは同意をせざるを得なかった。
かちり。
杖の先端にある赤い宝玉を、少女のペンダントに当てる。
首飾りの台座におさまっていた緑色の石が光を放ち、微風を起こして浮上した。
きぃんっ!
通路の明り取りからのぞく青空に、緑の石が飛んでいく。
フィーロゾーフィア国の頭上をめぐる、同じ性質をもつ緑の小さな石の群れ。
長い歴史のなかで、この世界に知恵をあたえ、発展に貢献してきたべつの世界からやってきた一つ一つの宝石が、連なって築く、輝きの帯。
陰気な廊下からのぞく、四角く区切られた空に煌きの螺旋があって、そこに少女の石が吸いこまれるのを見届けたエチカは、我知らず胸を撫でおろした。
小夜子の言葉が分かるようになる。
「返して!」
と彼女は言っていた。
それは今までにも同じように〈渡煌石〉を解放した際に、持ち主であった異世界人から何度か投げかけられた懇願もしくは怒号だった。
しかし――。
「それは、お父さんの形見なんです!!」
つづいて飛んできた小夜子の叫びに、エチカは凍結した。
空気の固まる音さえ聞こえた気がした。
オーギュストも、彼のそばに控える数名の兵士たちも、さすがにやばいと思ったのか、渡煌石の解放を祝う笑顔を貼りつけたまま硬直している。
留置所にいるフィーロゾーフィア人で、一番最初に動きを取りもどしたのはエチカだった。
「えっ」
ひくりと口元がひきつる。
オーギュストのほうを見る。
癪だったが、この時ばかりは助けを求める気持ちでいた。
「とりあえずこいつは返しておくか」
果敢にもオーギュストは歩き出し、少女の前にひざまずいて、彼女に紐と台座だけになったペンダントを差し出した。
「石が……」
革紐が小夜子の両掌に落ちていく。
儚く硬い音をたてて少女の皮膚を叩いた台座は、もののみごとにもぬけの殻になっていた。
オーギュストが立ち上がり、ごほんと咳ばらいする。
少女に背を向けて大仰に両腕をひろげ、わざとらしく彼は声を張りあげた。
「あーあ、壊しちゃったなあエチカ!」
「は!?」
オーギュストは反論の暇をあたえない。
すぐに少女を振りかえり、早口になって自分の潔白を主張する。
「いやー、僕はやめとけって言ったんだぜ! なのに利己的な欲望につっ走るあまり他人様の持ち物をいじくりまわして破壊しちまうなんて、ひどいことをするやつがいたもんだな、なあ!!」
そのへんに待機させていた兵士たちをぐるりと見まわして、全力で味方をつくり責任転嫁をはじめるオーギュストに、エチカは音の速さで近づいて胸倉をつかんだ。
「てっ、てめえがやれって言ったんでしょっ! 私はあんまりのり気じゃ――」
「こーわしたこーわした♪ エーチカーがこーわした♪ わーるいんだわるいんだ♪」
「うるさい!!」
肩を組んでラインダンスを踊りながら楽しそうに合唱する兵士たちを、全員杖で殴ってだまらせる。
「とゆーわけでだエチカ」
ぽむっ。
オーギュストの手がエチカの肩を叩いた。
普段なにが起こっても飄々としているこの男がダラダラ脂汗をかいているところを見ると、彼もまた強い罪悪感に襲われてはいるのだろう。
責任を取る気は無いようだが。
「彼女のことは任せるよ。君の店に泊めてやんな」
「はあ!? なんで私が――」
がしっ!
王はもう片方の手もエチカの肩に置いた。
というか掴んだ。
鷲掴みにして逃がすまいとしていた。
「まあよく考えてごらんって。石に関しては、そこのお嬢さんにとっちゃあ誰がやったかなんて関係ない。そんなことより失意のどん底にありながら、ひとまず休める場所もないってのは泣きっ面に蜂ってもんさ。解決してあげたい大問題、だろ?」
「だとしてもよっ。あんたの城で面倒みりゃいいでしょうが、騙されるか!」
「おおエチカ」
オーギュストは目眩でも起こしたようにクラクラとうしろに倒れる仕草をした。
エチカは本気で殴りたくなる。
「知ってるんだぜ? スピノザんとこの坊ちゃん嬢ちゃんがグチってるのを聞いちゃったんだ。君、従業員を募集してるんだって? 採用テストまで用意しての力の入れようなのに、全問正解しつづけている彼らを厄介払いしてるって話じゃないか」
「こっちの求める人材に合ってないってだけのことでしょ」
「いーやっ。僕はこれは神の思し召しだと思ってるね」
「神は死んだのよ」
「じゃあ君の身から出た錆だ。そーれーに、」
「まだなんかあんの?」
「君は僕に借りがある。ここは僕の要求を呑んでいただきたいんだがね」
「私が? オーギュストに?」
エチカは記憶を探った。
無い。
まったく無い。
借りなど無い。
オーギュストが耳打ちする。
「国内屈指の錬金術アカデミー」
ボソッと。
「君、ガキの頃にアカデミーの校舎をぶっ壊したことがあっただろ? あれにはちゃんと刑法上の前科がついちまってるんだぜ。ただ君は有能だから、僕のはからいで不問になってるってだけで。今はね」
「はっ。んな昔のこと引きあいに出されてもね。時効よ、じ・こ・う――」
だっはっはっは!
と勝利に酔いしれるエチカが大声で笑った刹那、
「陛下、エチカには他にも余罪があるであります!」
「錬金術で人をぶっとばしたりするのはダメであります!」
「採取のために許可の出ていない遺跡へ行くのもメッ! なのであります!」
「ということだ。ってゆーか君、そんなことまでやってたのか……」
「いいでしょべつに」
三人の兵士――さっきエチカに殴られた兵士たちだ――の助言で、罪状が加算されていく。
よけいなことをしてくれたこの兵士たちを、もう一度杖の餌食にしてやろうとエチカはツカツカ追いかけた。
兵士たちは王様のうしろにまわりこみ、べろべろばーと舌を出してくる。
「このっ……!」
思いきり打ちおろした杖は、恐れ多くも兵士たちがサッと身代わりにしたオーギュストの無防備な頭に突き刺さった。
だらだら血を流しながら、オーギュストがエチカを正面に見据える。
「了解してくれるね? もちろん」
オーギュストのうしろでは、相変わらず兵隊たちが舌を出してエチカをバカにしていた。
「わ……」
雑兵たちへの仕返しはとりあえずあとにして、エチカは怖いくらいに爽やかな笑顔で見下ろしてくる国王に返事をする。
「分かったわよ……」
不本意ではあったし、刑事上の罰など実はどうにでもできる自信があったが――。
牢屋のほうを見る。
温度の調整が利かない、蒸し暑い獄のなかで、黒髪の少女がただ一人、現実の感覚から切り離されたように、呆然としていた。