コーヒーについて
「わたしもコーヒーをのみたいです」
ある夏の日のフィーロゾーフィア。
雲の上の王国である。
フィーロゾーフィア国の王都に、一軒の雑貨屋があった。
『エチカ商店』。
錬金術師である若い女――エチカの経営する、薬もあつかっている小さな店である。
「急になにを」
と、朝食の席でエチカは対面に座る少女――小夜子に言った。
店の奥にある庭である。食事は基本的に、ここで摂るという不文律がこの店主にはあった。
小夜子――黒髪のロングヘアに黒い両目の、十四才ほどの小柄な少女は、屋外用のテーブルのむこうからプクウとほっぺをふくらませて、冒頭のセリフをくりかえす。
「わたしもコーヒーをのみたいんです!」
カチューシャにモノトーンのワンピースと、顔と同様におとなしめの服装だが、小夜子の性格はその限りではない。
エチカ――長い金髪に細いヘアピンをつけた、袖なしのシャツにミニスカートすがたの女は、「ああ」と金色の瞳をはぐらかすように上向けた。
片手に持っていたカップから、ドリップで淹れたコーヒーをひとくち飲む。
「やめときなさい、サヨコ。コーヒーなんて飲んだっていいことないわよ。百害あって一利なしだわ」
「目のまえで飲んでおいてそんな言い草されたところで信じるワケないでしょうっ」
握り拳をテーブルに叩きつけて、小夜子。
エチカはカップを振りふり言う。
「いやマジマジ。カフェインって覚醒作用あるし、苦いし、飲みすぎると胃を傷めるし、やめときなさいって。もーちっともいいことなんてないんだから」
「んじゃあなんでエチカは飲むんですか?」
「私はいいのよ。そのへんべつに気にならないから。でもサヨコはねー、まだお子さまだからねー」
「せめて一口でいいからくださいよう……。エチカだっておいしいから飲んでるんでしょう?」
「うん」
「わーん!!」
ぐいーっとカップをあおって飲み干すエチカに、小夜子はテーブルにつっぷして泣いた。
「なんかにぎやかだなあ、朝から」
ひょこりと店のほうから一人の青年が庭にやってくる。
杖屋ではたらいている錬金術師の男、ランボーだ。
歳は十八才とエチカと同じだが、気弱に垂れたブラウンの目とくたびれたハイネックシャツ、ゆったりとしたロングパンツのせいで、どことなく彼女より年下に見える。
もっとも、エチカが実年齢よりすこしばかり上に見える、気丈な美貌の持ち主という理由もあるのだが。
「うっ……」
小夜子はランボーの顔を見るなり、アイサツが頭から吹っとんだ。
ランボーには以前、錬金術師の杖を購入する際に世話になったのだが、そのときの顔色とは明らかにちがう。
真っ青だ。
「おはようサヨコ。エチカさんも。ちょっと欲しいお薬があって来たんですけど」
「うちはいま休業中だし、開店日だとしても営業時間は九時からよ」
作業用の手袋をかるくめくって、腕時計を見やりながらエチカ。まだ八時前である。
「そんなこと言わないでくださいよ~。俺、はやく宮廷錬金術師になりたくて、仕事が終わったら徹夜で勉強してるんです。でも、どうもコーヒー飲みすぎちゃったみたいで、連日不眠だし胃はやられるし、仮に寝つけてもアリやゴキ×リに全身たかられる悪夢見るしで、ホントまいってて」
「そりゃご愁傷様なことで」
「お願いします、よく効く胃薬くださいよおー。お金はちゃんと払いますから。自分で作ったのじゃ、ぜんぜん効かなくって。かと言ってコーヒーやめようとも思わないんですよねー。もうコレがないと生きてけないっていうか」
短い小麦色の頭髪に手をやって、ランボーはゲッソリした表情をムリにテヘッと笑わせる。
エチカはさすがに一瞬絶句したが、
「……売り場の棚にあるやつを一つ持っていきなさい。代金はカウンターに置いといて」
「へへっ、よかったー、信じてましたよ。それじゃあエチカさん、サヨコ、さよーならー」
あでで、と腹をかかえて、ランボーはドアから店のほうに引っ込んだ。商品棚からものを取り出す音と、カウンターテーブルに小銭を置く音がかすかに聞こえ、大通り側のドアがバタンと閉じる。
「……のんでみる? コーヒー」
「いえ……。やっぱり、わたし、一生のまなくてもいいかなーって……」
ランボーの消えていった扉を白目をむいてながめつつ、小夜子はコーヒーへの認識をあらためたのだった。
おわり




