風邪について
雲の上の国フィーロゾーフィア。
夏もさかりのこの王国には、いま風邪がはやっていた!
「ゲホゲホ!」
「ゴホゴホ!!」
「うおっほ! うげっほ!」
「ワゴホンワゴホン!」
「ニャホン! ニャホン!」
老いも若きもネコもしゃくしも、みんな熱を出し咳を出し、鼻水ズーズーでたいへんなのだった!
「どぼぢで……どぼぢでこんなことに……」
「どうしたの急に」
熱にうなされてベッドに横たわる少女にエチカは言った。
長い金髪に金眼の若い女である。肩から先のないシャツに短いスカート、作業用の白手袋をつけている。腰のベルトには結晶化した四精霊を吊った、円環状のホルダーをぶらさげている。
国内随一の錬金術師だが、どことなく学問とは縁遠い風采だ。
「きっとエチカにうつされたんだ……」
小夜子は熱でまっかになった顔でエチカに答えた。額の濡れタオルを自分でのせなおす。
黒いつやのある長い髪に、ブラックオニキスもかくやという黒い双眸。白い寝巻とマスクをつけた、十四才の少女である。
彼女は三十八度越えの身を仰向けに寝かせて、うめいているのであった。
「この前カゼひいたクセにほったらかしとくから~……ゴホ、グえっほ!」
「それはいいんだけどさー」
「よくない」
「苦しいならそのマスク取ったら?」
「マスクつけてたらなおるって言ってたじゃないですか」
「マネすんなとも言ってたわよ」
「クッソー、『マスクつけてたら効率いい』ってエチカが言うから、二十四時間三百六十五日トイレもおふろもマスクつけっぱなしにしてたのがダメだったのかな……」
「あんたここ数日しかマスクつけてなかったじゃない」
「そうですね」
「マスクつけたまま狂ったように庭でホースで水浴びしてたじゃない」
「エチカがマスクつけてたらカゼひかないって言うから」
「言ってねーわよ。あとカゼの原因それだわ。私がうつしたのではなく」
「本当にそう思いますか?」
エチカはデスクからイスを引いてきて座った。
今日は店の電話がリンリンリンリン朝から鳴っていて、何度も薬の販売をやってないか確認された。「休業中よ」とエチカは答えたものの、医者も行列ができているありさまで、「せめて子どもの分だけでも……」と泣きつかれれば、相手にしないわけにもいかず。本日にかぎり実質開店ということとなったのだ。
朝には殺到していた注文も捌けて、昼食時となった現在ようやくヒマができたところである。
そして居候兼アルバイトの少女、小夜子のようすを見にきたのだが、やはり彼女も薬でもやらなければつらそうだった。
「店の棚にあった治療飲薬は売り切れちゃったから、いまからつくるわね」
「一瞬でも『うわ、こんな女に看病とかされんのかな』って心配になったわたしになにか言うことがあるんじゃないですかねえ」
「看病してほしかったのかしら」
「死んでもごめんです」
「でしょうよ」
エチカは持っていた薬草と水の入ったガラス瓶に、もう片方の手にたずさえていた錬金術師の杖を当てた。
先端の赤い〈エーテル石〉を介して術者の意志が大気中の魔法性媒体〈プネウマ〉にはたらきかけ、材料を変成させる。
ぼうん!
回復のポーションが一つできあがる。
「ほれ、さっさと飲みなさい」
「なんか苦そうな色してるんですけどー」
「でもコレ飲んだらあんたの大好きなココアの味がするわよ。あんたのためにはじめて作ってみたんだけど」
「やったー! のみますのみます!」
小夜子はエチカから瓶をひったくって一気に飲み干した。
黒い眼をカッとみひらく。
「うええ~! にがあ~……」
「ちゃんと聞いてたらダウトと気づけたセリフだったわよ」
「熱で思考回路が湯だってたんですっ」
「そんだけハッキリ言いかえせりゃ、元気になったってことよね?」
「元気にはなりましたけどー」
錬金術で作った薬は、即効性のある――魔法薬としかいいようのない回復効果をもつものが多い。
エチカが小夜子に与えた〈治療飲薬〉もその一つで、ちょっとした体調不良はおろか、モンスターから受けた毒さえたちまちのうちに全快させてしまう。
小夜子の熱はうそのように引き、咳も止まり、ぐずぐずいっていた洟もすっかりおさまったのだった。
「しっかし、町の人たちもこぞってカゼひくなんてね……。流行病かしら?」
「いやー、エチカのせいですよ」
「どうがんばってもつながらないんだけど?」
「だって『マスクつけてすごしてたら何やってもカゼひかないばかりか天才になれる』って言うからそれを一字一句たがわずにソーシャルネットワーキングサービスに書き込んで拡散させたんですよ」
「がっつりあんたのせいじゃないのよ。あとそんなこと言ってないから」
「でもエチカのアカウントで書き込んだんですよ」
「なりすますな。どーりで電話してくる客のなかに『テメーのせいだろがよお!』っていみわかんないこと言ってくるやつがいたわけだわ」
「謎がとけてよかったですね♪」
「本気か?」
「ごめんなさい。二度としません」
「おわびと訂正文いれときなさい」
「わかりました」
小夜子は深々と頭をさげた。
この日を境に、フィーロゾーフィアの国民は、しばらく風邪をひかなくなった。
おわり




