バカじゃないことを証明せよ-②
「ただいま戻りましたー」
小夜子は店に入って壁に箒を立てかけた。
店主のエチカがカウンターのイスに座って雑誌を読んでいる。
染髪ではない天然の長い金髪に、猛禽類を思わせる金の瞳。ハイネックの袖なしにベルトを細い腰に巻いて、そこに四色のキーホルダーを吊っている、ミニスカート姿の若い女。
ここ錬金術の王国フィーロゾーフィアで『エチカ商店』という雑貨屋を営む錬金術師だが、細いヘアピンで前髪をムリヤリ整えさらした顔は、美人だが学者かと問われれば首をかしげたくなる。
かろうじて彼女を研究者もしくは職人気質らしくみせているのは、両手に嵌めた白い作業用の白い手袋と、読書時――と言っても読んでいるのはファッション系の通販カタログだ――につけているメガネだが、ほかの服があまりにも色鮮やかなせいか、胡散臭いまでに似合っていなかった。
「はあ……」
「なによ、入って来るなり陰気なガス吐いちゃって」
「いえ、考えれば考えるほどふしぎだなって」
「あんたの背が低くて幼児体型なのが?」
「いいえわたしのようなかわいくて将来有望な美少女がなんでこんなエチカみたいなやさぐれたアホの巨乳のところで小間使いやってんのかってことがです」
「あんたは一日に一回悪口を言わなきゃ死ぬ呪いにでもかかってんの?」
「わかってない……」
小夜子はぶるぶるふるえた。
「エチカはなんにもわかってない!!」
ボロボロと涙がながれる。
「エチカは……なんにもわかってないです」
手の甲で涙をぬぐいながらも、つぎつぎとあふれるそれを止められない。
身も世もなく泣きだす小夜子に、エチカは雑誌――若い婦人用のカタログだ――を閉じて、メガネをはずして身体を起こした。
立ちあがりまではしないが、あきらかに狼狽している。
「いきなりどうしたってのよ、泣くこたないでしょ」
ひぐひぐとしゃくりをあげながら、小夜子が言いかえす。
「わたしがなんの準備もなく人を誹れる悪口マシンガンだとでもお思いですか。わたしだって人間なんです。さっきのエチカへの理由なき罵りだって、『あー今日もどーやってパンチの利いた悪口をあの頭の悪そうなエチカに言ってやろうかな』って店の前を掃除しながらアリサとテレサに心配かけるほどまでに思い悩んでひねり出した自信作だったのに」
「よーし歯を食いしばんなさい、いまから一生分泣かせてやるわ」
「えーん! じゃあやられるまえに粉骨砕身涙を枯らして死んでやりますよお!」
「なんかこっちまで泣きたくなってきたわ。ってゆーか私のほうが泣きたいわ……」
げんなりと項垂れてエチカはイスにもたれなおす。
おしゃれカタログをながめる気力さえなくなったようで、バサリとテーブルの脇に投げ捨てた。
「ったく、なんでこの天才で有能で美しすぎる私がこんな口先だけで役に立たないクソガキの面倒みなきゃいけないのよっ」
はた。
とエチカの動きが止まる。
雑誌を捨てた格好で固まっている。
「そういえば何でだったかしら」
「それは――」
小夜子が答えようとして、ドアの開く音が重なった。
朝日を背中に浴びて、長身の男が入ってくる。
「やーあエチカ、今日も元気に生きてるかな、生存確認にきてやったぜー」
お互いに白い目になったエチカと小夜子の声が、心のなかのせりふであるにも拘わらずハモる。
――そうそうこいつのせいだった。
男はずかずかと奥にやってくる。
すっきりと分けた黒いセミショートを、家紋入りのバンダナで額にかからないようにした優男。ティーシャツにマント、ロングパンツにブーツといった旅人めいた風采だが、着ているのはいずれも高価な素材であつらえたものである。
年は二十代中盤、軽薄そうな目元だが、品性はあるためか整っている類の顔つきである。
文房具や紙や電子機器、少量ずつの薬瓶などが陳列された棚には目もくれず、男はカウンターの方にまわって余っているイスを引き寄せた。
どかりとエチカの隣りに座って会計用の長テーブルに脚を投げ出す。
「おいエチカ、どうだい僕の嫁さんになる決心はついたかい? いいぞー王室は、一日三食昼寝つきで――ああ、君の場合は王立研究所を一棟やるほうがいいか、悪い条件じゃないだろ?」
「〇ね」
断ってエチカは杖を取る。
男のそばを通るのもいやであるらしく、カウンターを飛びこえて店のほうに出た。
「わはは、なんだなんだ、新手の承諾のサインかい?」
「んなわけないでしょ。いやだっつったの。断固としておことわりいたしますわ、オーギュスト国王陛下、とでも言い換えなきゃ通じないわけ?」
「そう畏まるなよ。そうか今回もだめなのか」
慣れた調子で愕然として、男――オーギュストはきょろりと視線をめぐらせた。
バンダナで掻き上げた黒い前髪からのぞく青い眼が、キッパリと小夜子を捉える。
「んじゃあこの前うちの国に来たそこの君、サヨコちゃんだったかな」
「はい?」
小夜子はこそこそとエチカの後ろにかくれた。
「君は僕のお嫁さんになる気ない? 女王様はいいよー。お金持ちになれるし、毎日おいしいものがいっぱい食べれる」
「ロリコーン。十も年下の子供にコナかけてんじゃないわよ」
「おいおい嫉妬だよ。モテる男はつらいね」
「〇ね」
オーギュストの軽薄な物言いに青筋を浮かべつつも、エチカはとりあえず小夜子に「なにか返してやれ」と目配せした。
体よくいけば小夜子を厄介払いできるという期待をこめた目つきだ。
小夜子は正直に答えた。
「えんりょします。わたし、ケッコンは一生したくないんです」
「あはは、フラれてやんの」
「しょうがない、サヨコちゃんが大人になるまで待つとするか」
「それ本気できっしょい台詞なんだけど……」
本音だったろうが、エチカは小夜子の気持ちもまたよく代弁していた。
それでこそ彼女のうしろにかくれた甲斐があるというもので、小夜子はオーギュストの言葉に全身を鳥肌にして青ざめていて毒舌の一つも吐けなかった。
「ったく、どうしてどいつもこいつもこんなイイ男を相手にしないのかなあ」
「キモいからでしょ」
おもしろくなさそうに下唇を出すオーギュストに、エチカ。
小夜子もとりあえず理由を話す。エチカの意見に内心で同意しつつ。
「自由な時間がほしいんですよ。自分の一生を、全部自分のために使いたいんです」
「同感だわね」
「それなー。最近はみんなそう言うんだよ。少子化は国家の危機だぜ」
「そりゃよかったわね」
愉快やらざまみろやらを口元に刻んだまま、エチカはオーギュストの危惧を一笑に付した。
はあ……。
と小夜子は溜め息を吐く。
エチカもいつのまにやら冷めた表情にもどっていた。
イスにふてぶてしく腰掛けた、シルクのシャツとロングパンツに身を包んだ男――フィーロゾーフィア国王。
この若き王によって受けた仕打ちを、二人はほぼ同時に回想していたのだった。