努力について-②
「取って来ました。けど、使うんですか? これ」
エチカが素手で錬金術を使えることを知っている小夜子は懐疑的に訊いた。
「あんたが使うのよ。サヨコはそれがなきゃまだぜんぜんへたっぴでしょ」
自分の腰に両手をあてて、からかうようにエチカは小夜子を見下ろす。
二人のそばで聞いていたランボーが、同じ術師の観点から指摘した。
「あの、でも原則的に、俺たちの意識とプネウマを中継する〈エーテル石〉を使わないと、物質の変化はできないわけで。国王陛下からエチカさんは傑物だと聞いてますが、それにしたってエーテル石なしでってのはむちゃな気がします」
気弱なブラウンの目を、更に弱々しくすぼめるランボーに、フフンとエチカは鼻で笑う。
「論より証拠。まあ見てなさいって」
言うなり、エチカはランボーに片手を出した。彼が持っている折れた杖のもう一方――下部分をよこせというのだ。
ランボーはぽっきりと折れた錬金術師の杖をエチカに渡した。
さっきまでためつすがめつしていた、先にあずかっていた上部分と片手ずつ持って、エチカは破損箇所をぴたりとくっつけ合わせる。
「エーテル石は、あくまで変成をうながす媒介粒子《プネウマ》に、術者の命を伝えるだけにすぎない。逆に言えば、直にイメージを伝達できさえすれば――必要ないってわけ」
説明しているあいだに、エチカのグローブを嵌めた両手のあいだでぼうん! と変化の煙があがった。
杖と彼女の手元が白煙につつまれる。
五秒と経たず、煙は庭の空気に霧散した。
鋳直したように傷一つなくくっついた長杖を、エチカが中天の日にかざす。
「うん。ちょっとひびが入ってた砂時計の部分も、数字が消えてたにぎりの魔方陣も、きれいに再生されてるわね」
エチカはランボーに杖を差し出して、かくにんを促した。
おそるおそる直った杖を手に取って、ランボーは試験中に折ってしまったところを検める。
「うへえ、すごい……。まるで新品じゃないですか。――もしかして、その白い手袋になんかひみつがあるんですか?」
「なわけないでしょ。あんたほんとに錬金術師? 己の血を鍛えて、あらゆる物象を司る第五の実体《エーテル》に近づける。それが私たち錬金術師の目的であり、そのための研究と訓練なんでしょうが」
「うぐっ……。だって、そんなのあんまりにも途方がなくって……。現代でそんなの信じて研鑽にはげんでる人なんていませんよ。……めったには」
「……違いないわね」
エチカは両腕を胸のまえに組み、残念そうに微笑した。
ぼけっと立って見ていた小夜子に、何かを思いついたらしくランボーが近寄る。
「そうだサヨコ。俺にその杖貸してみてくれないか? ――エチカさん、貴方の杖で、このイス直してもいいですか? コツとか掴めるかもしれないんで」
「いいけどさ。そんなかんたんになにか得られるもんなわけ?」
「だって不幸はうつるんでしょ? だったら、幸運や才能だって、うつるかもしれないじゃないですか」
言いながら、ランボーはうきうきと小夜子と杖を取り換えっこした。
小夜子の持っていた錬金術師の杖のエーテル石が、黒から白へ変化する。
ランボーの能力は、黒の錬金術師である小夜子より、一段階上ということになる。
ランボーは両手でしっかりとエチカの杖を握りしめた。
途端、怪訝に首をかしげる。
「……あのー」
「なによ」
ランボーはへっぴり腰になりながらも、彼女のロッドを触った所見を述べた。
「これ、細工とかしました? 改造っていうか……どっちかって言うと、劣化させた感じかな。なんか重いっていうか――反発するみたいに力が掛かるような……」
たしかめるようにランボーは杖を振った。エチカに直せと言われた、屋外用のウッドチェアに先端の石を当てる。
ぼうん!
白煙が爆ぜて、なかから折れた後ろ脚二本を修復されたイスが、倒れた時の形のまま出現する。
「なんだ、できなかった時の言い訳してんのかと思ったら、ちゃんとできるんじゃない」
「いやでも、いつも以上に気力使うんですよこれ。やっぱ変ですって――」
「んなわけないでしょ。私は子供の頃からこれで術使ってきたし、そこのクソガキだっていつもこれで錬金術を――」
エチカはランボーから杖を取り上げて、はっと硬直した。
エーテル石が、白から赤に変わる。
赤は錬金術師として最高クラスを意味する色だ。
だがエチカが凍りついたのは、色の変化に対してではない。
一緒に暮らしている小夜子にはそれがわかった。
(……なにかしでかしたんだ……)
ぞんざいな扱いをしているエチカである。ランボーが来る前に――それこそ数日前とかに故障していたのを、ほっぽらかしていたというのもあり得る。
(……ちょっとちがうのかな? わたしはまだシロウトだから、杖の良し悪しなんて分からないし。エチカが弄ってたとしても、まず気づくってことがないんだけど)
いかんせん小夜子は、錬金術のない世界から、この毒の雲の上に浮かぶ国――《フィーロゾーフィア》に飛んできた、別世界の民である。
しかも最初に会った錬金術師がエチカのため、小夜子の錬金術における知識や技量は全て彼女が基準だ。
エチカが凄腕というのも、よく聞かされていることだし分かっている。それでもランボーや、他の錬金術師たちのようにド肝を抜かれるという反応はしたことがないし、できない。
「――サーヨコちゃん」
エチカが振り返りながら、気色の悪い猫撫で声で小夜子を呼ぶ。
ぞぞぞ……。
小夜子の全身に鳥肌が立った。
「新しい杖を買ってあげるわ。そーいやあんた、自分のって持ってなかったもんね。ずっと私ので錬金術やってたってわけで」
「えっ!? そ、そんな重いのでですか!? でもサヨコは……まだ黒クラスなのに――うぐっ!」
エチカに杖の先端で脇腹を突かれて、ランボーは黙った。
「とにかく、いそいで新しいのを調達するわ。わるいけどいまはいつも通り、これでなおしてちょうだい」
「はあ……」
一人要領を得ぬまま小夜子は杖を受け取ろうと両手を伸ばす――。
「待ってくださいエチカさん。――サヨコ、俺のを使いな。そっちのよりぜんぜん使いやすいからっ」
ランボーが自分の、修理したてでぴかぴかのロッドを横から差し出した。
「申しではありがたいんですけど、使い慣れたほうがいいというか……わたしは『重い』とか『使いにくい』って感じたことないので」
「うへえ。マジっすか……」
ランボーは唖然としつつも、小夜子に無理強いをしなかった。
エチカの杖を取って、庭の芝生を五、六歩進む。
割れたコーヒーカップが落ちていた。
持ち手の部分が外れて、薄っぺたなカップ部分は白い欠片となって散らばっている。地面の草を、茶褐色の液体が、淀んだ色に染めていた。
「じゃあ、いきますよ」
小夜子は黒色のエーテル石で、砕けたカップに触れた。
何度かエチカとの食事中に原型を見ているので、その記憶をなぞって輪郭や絵を再現させる。
あいまいな像であっても、術者の技量が充分なら、空中にただよう微粒子の触媒《プネウマ》が材料に働きかけて、術者の意に沿う物質(または物体)へと変成させてくれる。
――ぼうん!
陶器のカケラは、一瞬の白煙を経て、その気体のヴェールからゴシック模様の入ったカップに再生した。
エチカが屈んでコーヒーカップを取りあげる。
金とダークブラウンで織り成すユリの紋章の縁取りに、ヒビ一つない本体。脆弱な細さの把手もしっかりと器部分にくっついて、買った時そのままのすがただ。
「うわー。ほんとに出来ちゃったよこの子」
「そう。これでやってきたのよね」
脇からのぞき込こむランボーに、エチカは顎に手をあてて考えこむ。
「…………」
「?」
黙りこくり、いつになく真剣に完成品を見つめるエチカに、小夜子は不安を禁じ得ない。
「ぞんがい知らないってのは、強みに働くこともあるのかもね」
「よくわかりませんが……ティーカップのほうはそれでいいんですかっ? あんまりプレッシャーかけないでくださいよ、胃にわるいんだから」
「ごめんごめん。褒めてんのよ。なんならもう一切れマルゲリータ食べていいわよ」
「えっ!? いいんですか!?」
思いもしなかった言葉に、小夜子は文字通り跳びはねてよろこんだ。
テーブルに駆けていき、赤いトマトソースにバジルとチーズのかかったピザを、一ピース取って口に運ぶ。
「おいひー。エチカも早く食べたほうがいいれふほ。冷めちゃもっはいはいへふ」
「だれかさんがこんなやつつれてこなきゃ今頃は……」
恨み言なんて言っても仕方ないと知りつつも、エチカはついぐちってしまう。
「いいなあー。俺もアンチョビのほう食べたいなあー」
「あんたはいまからテストでしょ。ほら、杖はなおしてやったんだから、しゃきっと頑張ってきなさい」
「あいでっ!」
ばしんとエチカがランボーの背中を叩く。
ランボーは悲鳴をあげた。
元通りになった杖をたずさえて、彼は庭から店のなか――玄関に向かって歩いていく。
この家の庭には勝手口がないのだ。
「それじゃあ、ありがとうございましたエチカさん。報酬はまた後日に」
「いらないわよ。でもオーギュストに会うんだったら、もう人を寄越してくんなって言っといて。私だってちゃんと税金を納めてる国民の一人なんだから」
「あはは。いやです」
ランボーはあいまいに笑って、王城を目指していった。
エチカは彼がなおしたイスを起こす。
屋外テーブルに移動させ、ぐったりと腰かけた。
食べ損なっていたピザ二枚を見る。
アンチョビのほう)は一ピース、マルゲリータの方は二ピース分欠けている。
「あーあ、つっかれた」
「なにがですか?」
ソースのついた指を舐めて、小夜子は気楽にかえす。
「改めて私、一人暮らしの時のほうがよかったなって思って」
「なにを言っているんですか。こんな美少女と一緒に毎日暮らせるんですよ。あともう一枚これもらっていいですか?」
「私にそっちの気があったら諸手をあげてよろこんだんでしょーよ。でもないんだもん。てかあんたさー、アンチョビのほうは食べないのね」
「一口食べて『からっ!』ってなって……まあ苦手ですね」
「好みの分かれる味よね。私はこれ好きだけど」
エチカは魚肉のピザを一切れ取って口にはこんだ。
コーヒーはこぼしてしまったので、サーバーから淹れなおす。
「にしても、気の毒な人でしたねー。いままで一生懸命がんばって、やっと宮廷錬金術師の受験資格を手にいれたのに、さいしょのテストは事故でおじゃん。せっかくの追試も杖が壊れて台無しだなんて」
「管理がなってないのよ。道具のこともそうだけど、自分のこともね」
「それはわたしも思いました。けど、だからこそ王様の判断が理解できないんです。ふつーは事故ったからって追試にはならないですよね。更に追試で道具がだめになったからって、やりなおしなんて、もっとあり得ないでしょう」
テーブルの向こうから小夜子は不思議そうに問いただした。
エチカも彼女の気持ちはわかる。
「ふつうはね。オーギュストはふつうじゃない。それだけのことでしょ」
「……あれで名君ってことなんでしょうか」
小夜子もこの国の王――オーギュストとは何度か会ったことがある。顔見知りと言ってもいい仲だ。エチカはもっと馴染みが深いだろう。
とはいえ小夜子の印象からすると、オーギュストはランボーの話にあったような慈悲深さとは程遠い。
女好きでちゃらんぽらん。その上節操なしと、まあこんなところだ。
「言いたいことはわかるわよ。でもね、やつがランボーに慈悲をかけたってのはほんとでしょうね」
「なんでそんなことするんですか?」
「努力したことを後悔してほしくないからよ」
エチカはピザを呑みこんで言った。
「がんばればがんばっただけ実になるなら、誰だってグレたり犯罪に走ったりしない。けど現実ってやつは、どうにもそんな努力家に対して厳しくできてるみたいでね。さっきのランボーみたいに不運なやつもいるし、あんなのまだ幸運だってくらい報われないやつもいる。むしろ、後者のほうが圧倒的に多いんじゃないかしら」
エチカはコーヒーを啜った。
小夜子は対面の席に座っておとなしくつづきを待っている。
真夏の太陽が、中天の位置からぎらぎら照りつけていた。
「チャンスをものにできるかどうかはべつとして、自分が目的を持ったことや、目的のために生きてきたことを、愚かなことだったと嘆いて、行動すること自体をおそれるようになってほしくないわけよ、オーギュストは。それがなににも勝る不幸であることを知ってるし、不幸から抜け出すことさえできなくなってしまうことを、あのとんでも大王は知ってるから」
「……すっごく薄っぺらな意見になってしまうんですけど――」
小夜子は申し訳なさそうに、首を縮こめて言った。
「わたしが思ってる以上に苦労してるんですね。王様も、エチカも」
エチカの柳眉が片方跳ねる。それを問いただしたのだと受け取って、小夜子はつづけた。
「だって、エチカも努力が報われない人を無視できないから、ないがしろにしたくないから、王様が紹介してくる人たちを、なんだかんだ言って手助けしてるんでしょう? 王様の脅しなんて、ぜったい気にしないひとじゃないですか」
さも当然のことのように言う少女に、エチカは自分の唇に手をあてて黙した。
それからちらっと、小夜子を見て、
「そう思ってくれるんなら、私もちょっとは押しつけられた甲斐があるってもんね」
と答えた。




