努力について-①
フィーロゾーフィアの町は、上層から下層にかけて、一から十等級に区分けされている。
一番上層の街区――城や学校のある区画だ――を最上の十等として、下へ行くほど九等、八等……と数字もくだっていく。
第七等級街区は、上層にあたる区画だった。その大通りに面した場所――十五番地に、『エチカ商店』という、錬金術師のいとなむ雑貨屋がある。
六月にはいってから、この店は長期の休暇を取っていた。だから今は閉店中で、店主の錬金術師、アルバイトの少女ともに、業務にしばられない自由な時間を謳歌している。
昼の十二時三〇分。
エチカは店と住居――二階の部屋がそうだ――を兼ねる建物の庭にいた。
いつも出している屋外用のテーブルに、でかいピザを二枚ならべて置いている。一つはマルゲリータピザ、もう一つはアンチョビピザだ。
「こうして一人で好きなもんを好きなように好きなだけ食べられるってのが、一人の特権よね」
クククと笑いながら、エチカは席へと移動しながら茶を飲んだ。
エチカ――『エチカ商店』を経営する、十八才の女性だ。
金色の長髪を背中まで流し、クセのある前髪を整髪油と細いヘアピンでなんとか左右に分けている。
おかげで白い額と気丈な美貌がよく見えるが、これについては本人は気に入っている。
出るところは出てくびれるところはくびれた、ナイスで長身な肉体を、袖なしのチュニックにミニスカート、ショートブーツで飾っていた。
「さて、あのアホが帰ってくるまえに、ちゃっちゃと食べちゃいますか」
十二時頃に『お昼ごはん食べてきまーす』と外へ行った、アルバイト兼居候の少女のことを心底ジャマ者あつかいしながら、エチカはイスに腰を下ろす――。
ベキ!
イスの脚が折れる。
「だっ!?」
二本ともへし折れて、バランスを崩したイスごと、エチカもうしろに倒れる。
「だーーーー!?」
ガチャン! パリーン!
コーヒーのカップを持ったまま座ったのがアダとなった。
ひっくり返った拍子にカップはエチカの手を飛び出し宙を舞い、なかの黒い液体をこぼしながら、芝生の地面に着地――と同時に乾いた音をたてて砕け散った。
「ああっ! つい一週間前にかったばかりのノミの市で見つけたアンティークのコーヒーカップが!」
「じゃあそんなに想い入れもないですね。よかったですね。たった七日しか思い出がなくって」
イヤミとも本気ともつかない、しかし敬意については一切ふくまれていないことは確実な、空虚な敬語が家のほうから飛んでくる。
「げっ! なんでアンタがいんのよ!?」
「わたしだって帰ってくる気はなかったですよ。お昼ごはんまだだし……。でも通りを歩いてたらこの店に用があるって人に会っちゃって、案内してきたんです。ってあー! ピザがある!」
家から庭のドアにいたのは、長いサラサラの黒髪に黒い両眼の、口さえひらかなければただ可愛いだけの女の子――小夜子だった。
十四才にしては小柄で華奢な体に、白一色のプルオーバー、マキシ丈のスカートをまとって、足にはベルトサンダルを履いている。それだけならただ『地味』の一言に尽きるが、少し前に買い与えた細くて白いフレームのカチューシャに、父親の形見であるらしい――しかしエチカが台無しにしてしまった――台座になんの宝石も嵌まっていないペンダントを提げていて、それらがいい味を出しているのだった。
……地味から単調に昇華できるていどには。
「くっそー、このヤロなんだってこんな時に……」
と、エチカは小夜子のうしろから、もう一人の影が出てくるのを金色の眼で認めた。
「おじゃましまーす。オーギュスト王にすすめてもらって、ここの錬金術師さんに相談に来たんですけど……」
小夜子につづいて出てきたのは、小麦色のセミショートに、茶色い目、ハイカラの黒いシャツに黒いロングパンツ、革靴の青年だった。
「国王にって……あんのヤロー」
エチカは尻もちついた姿勢から立ち上がる。
テーブルの対面に立った小夜子が、もの欲しそうな目で二つのピザをながめている。
「エチカ、もちろんわたしも食べていいんですよね?」
「ッザケンな! なんだってこんなしょーもない用件をひろってきたしょーもないアホンダラに、限りある食事のうちの一回を提供してやんなきゃなんないのよ!」
「ううう……しょーもない用件って……俺のこと……?」
「気にしないでくださいランボーさん。エチカにかかれば大抵の人はしょーもなくなります」
「……そっか……」
ランボーはあまり元気になっていない、生まれつきであろう覇気のない顔をエチカに向けた。
「いきなり押しかけたのはすみません。でも、ワケありなんです。聞いてくださいよお!」
ガバッとランボーは芝生の地面に両膝をついて、エチカの足元に取りすがった。
腰のベルトに挿していた、二つの杖をすわやと掲げる。両手に一つずつ、ささげ持つようにして。
「……折れた杖? あなた、錬金術師なのね」
「はい」
ランボーはうなずいた。
折れた杖の一方――上部のほうには、透明の丸い石がくっついている。
これは《エーテル石》と呼ばれる神秘の宝石で、この石がついている杖を錬金術師が持てば、黒、白、黄、赤の四色のうちのどれかに色分け――ランク分けされる。
しかし、今は壊れてしまっているため、ランボーが持っても、エチカが取り上げてみても、石は透明なままだった。
杖の一方を調べるエチカに、ランボーはひざまずいたまま訴える。
「実は俺、今日が宮廷錬金術師の登用試験だったんです」
「宮廷……。王立研究所に入るってわけね。でも、あれの入試は、確か四月の第一週目じゃなかったかしら」
「追試なんですっ。不幸な俺に、国王陛下が慈悲をくれたんです。というのも、俺は自分で言うのもなんですが、子供のころからメチャクチャ勉強して、錬金術の実技も独学で鍛えてきました。そして十八才になって、今年……ようやく陛下から受験の許可をいただいて、四月の試験にのぞもうと、城にいったんです」
「で? っていう」
「ですが、長年のムリが祟ったのか、朝からおなかを悪くするわ、なんとか道路に出てみれば、年老いたおばあさんに道をたずねられ、説明してもむずかしそうなかおをするので、手を取って駅のほうまで案内し、まだ全速力で走れば間に合うと、腹痛をガマンしながら死ぬ気でダッシュしたら城目前のところでケータイをながら見していたバイクがハンドル操作をミスって思いっきりぶっつかり、挙句家のカベの角っこに頭をしたたかに打ちつけ流血さわぎとなり、救急車で病院にはこび込まれることになりました……。この不幸を知ったオーギュスト陛下が、『……気の毒すぎるから、キミ怪我が完治したらもっぺん城に来な……』と王国騎士のかたに言づけてくださったのです。そして今日いざ実技の試験にのぞんでみれば、杖を振った瞬間ポッキリ折れてしまいました。陛下はもう一度だけチャンスをあげるから、今日中に杖を直して戻ってきなさい、どうしても困ったらここを訪ねるようにと、エチカさんを紹介してくれたのです。だから――グエッ!」
自分の身に起こった災難を語るランボーを、エチカは思いきり踏んづけた。半泣きだった青年の顔面に、ブーツの底が突き刺さる。
「よっく分かった。ついさっきイスの脚が二本も折れて私がひっくりかえったのも、そのせいで七日間の思い出がつまったコーヒーカップが割れっちまったのも、ぜんぶテメーが来たおかげってワケね! とっとと出て行きなさい! 不幸はうつるのよ!! どーりで不自然な壊れかたすると思ったわ!」
「そんな不条理なっ! ――あっ、と。そうだ、こんなこともあるかも知れないからと、王様から魔法の言葉もさずかっていたんでした。『エチカ、あんまり僕の民をないがしろにするようなら、ムリにでもキミを王立研究所に入れてもいいんだよ』と。――なっ、なんてうらやましい!!」
「わけあるか!!」
ゲシッ!
エチカは国王の脅し文句を言い終えるなり涙をながして脚に抱きつく青年のアゴを蹴っとばした。
青年――ランボーは短く悲鳴をあげてのけぞる。
「でも、ランボーさんの不幸はともかく、杖は直してあげたらどうですか? なんでもヒイキにしている専門店からも、『これを今日中にってのはムリだねえ……』って断られたみたいで」
マルゲリータピザをまくまく食べながら、小夜子はエチカに言った。
「くっ……。つってもタダ働きってキライなのよね。――そうだわ。ランボーって言ったっけ」
「はい」
ランボーは服についた草を払って、立ち上がった。そうしてみると、彼は背が高い。エチカより頭一つ分上背がある。
「とりあえず、杖は直してあげるわ。そのかわり、このイスを直してちょうだい。オーギュストに何か言われたら、私からの用事で遅れたって言っといて。それで引き下がるから。で、サヨコ」
「はい?」
アンチョビピザをほおばり、その塩からさに眉をひそめていた小夜子が、まのぬけた返事をする。
「あんたは私の部屋から杖を取ってきて。それでコーヒーカップを直しなさい。人の昼メシかすめ取ったんだもの。それくらいはしてくれてもいいでしょ」
「ええ~っ」
不平ったらしく言ったものの、小夜子はアンチョビピザを一切れ食べ切ると、小走りで家に入っていった。
二分と経たずに戻ってくる。少女の手には、エチカが愛用している長い杖――錬金術師の杖が握られていた。




