バカじゃないことを証明せよ-①
さっさ。
小夜子は店のまえを掃除していた。
長い黒髪にカチューシャをつけた、ワンピース姿の女の子である。
年の頃は十四歳、半月ほどまえにここフィーロゾーフィア王国の王都に迷い込んできた、別の世界の住民だ。
彼女の手には竹箒が握られていた。
店主のエチカの言いつけで、開店前に店先――『エチカ商店』の玄関先だ――を掃き掃除しているのだ。
(はあ……)
アンニュイな息を吐く。
小夜子には悩みごとがあった。
(一体どんな風にエチカに言おう……)
ブーン!
と元気な声が坂道の下から上がってくる。
――フィーロゾーフィア王国は、毒の雲の上に浮ぶいくつもの島で構成されている。
島の中には町や村、大きな都が存在し、ものによっては島そのものが都市ということもあった。
王都はそうした大都市の一つ。
島の大地から段々と重なるようにして築かれた居住区が、螺旋状に敷かれた一本の主道路によってつなげられている。
小さな街区同士をつなぐ小路も存在するにはするのだが、フクザツに入り組んでいるため旅行者や小夜子のような異邦人がいたずらに踏み込んだところで迷子になるのが関の山。
住み慣れた住民でさえ迷うことがあるというのだから、町にただ一つの大通りは王都を生きる者にとって最も分かりやすい通路として重宝されていた。
ブーン!
ブーンっ!
くちで作ったエンジン音が近づいてくる。
聞き覚えのある声。
キャスケットを被った十代中頃の少年――テレサだ。
「おはよーサヨコちゃん!」
電動で浮遊するキックボードのような乗り物に乗って、テレサが坂道の下から姿を現わす。店の前でブレーキをかける。
つづいて赤いポニーテールの女の子がやって来た。こちらもやはり地面から数センチ浮いたキックボードに乗っている。テレサの双子の姉のアリサだ。
「ごきげんようサヨコ」
「おはよーございます。二人とも今からどこかに行くんですか?」
小夜子は掃除の手を止めてアリサとテレサの格好をまじまじと見た。
双頭の鷲の意匠が刺繍された半袖シャツ、チャコールグレーのスカートとスラックスに、黒や茶色のローファーをつけている。
背中にはセピア色の皮製カバンを背負っていた。
「まるで学校に行くみたいな格好ですねー」
「学校に行くんですわ」
「上の方にスクールがあってね、そこに登校中なんだよ」
「へー」
学校にいい思い出の無い小夜子は我知らず気のない声を出した。
はあ、と溜め息を吐く。
これは思い出とは関係のない、また別口の悩みによるものだった。
「どうしたのサヨコちゃん? 元気ないけど」
「なにか悪いものでも拾い食いしましたの?」
「しませんよ、そこにいるテレサじゃないんですから」
「勝手な想像でボクを意地汚い人にしないでよ、あとなんでわざわざ『そこにいるテレサ』って指定を入れるんだよ、ボクが他にもあっちこっちにいるみたいじゃないか」
「他にもあっちこっちにいそうだから限定したんです」
テレサの反駁にとりあえず軽めのジャブで言い返して、小夜子はまたも溜め息をついた。
「うわの空という感じですわね。なにか悩みごとでも?」
「そうですけど……すみません、こればっかりは一人で考えたいことなので」
小夜子は掃き掃除に戻った。
サッ、サッ。
石畳の目地を竹箒の先がひっかく音が、三人の間を虚しく仕切る。
「どうやら私たち、お邪魔だったようですわね。行きましょうかテレサ」
「うん。サヨコちゃん、早く元気になってね」
「ありがとうございます」
ヒイン。
アリサとテレサは浮遊するキックボードのハンドルを操作して、モーターを呻らせ坂道を登っていった。
小夜子は掃き掃除をつづける。
初夏の王都は、朝っぱらから暑かった。