夏休みについて-②
◇
ぱたん。
小夜子は雑貨屋の玄関ドアを閉めた。
十四才の少女である。黒くて長い髪に、黒い眼の、典型的な日本人。
さる悲劇から、もともといた世界とは異なる理のはたらくこの雲の上の島にやって来たのだが、もうひと月ちかくも住んでいるせいか、生活は慣れたものである。
小夜子は居候している錬金術師の店に帰ってきたのだった。
店主の錬金術師の部屋に、階段をあがって向かっていく。
彼女にノートを買いにいくようたのまれて、下層の市場――というか商店街に出向いていたのだ。
小柄な体躯によく似合うワンピースのスカートが、どこかしらふわふわとたよりない足取りにあわせて、はかなく揺れる。
小夜子の表情は、心ここにあらずといった具合だった。
バシバシ!
格闘ゲームのサウンド・エフェクトがくぐもって聞こえてくる。
ガチャ。
バタン。
トコトコ。
トスン。
カチ。
「をい」
小夜子がまずドアをあけて、閉めて、歩いてきて、座って、ゲーム機のリセットボタンを押した。
コントローラが有線の時代の、古いハードを使っていたのがアダとなったのだ。
室内で一人でゲームをしていた、この雑貨屋の主にして錬金術師のエチカは、金色の眼を刃物みたいにすがめて、となりに正座する少女をにらみつけた。
ちゃっかりコントローラを構えている。
小夜子は十字キーをポチポチ押して、メニュー画面から『対戦モード』をえらんだ。
その横顔は、ホログラフのモニターをみつめているようで、見ていない。
「エチカ、聞いてほしいことがあるんですよ」
「その前に、たのんでたノートどうしたのよ? あと何でいきなり人のゲーム邪魔したわけ?」
「わたしもやってみたかったからです。そして今からあなたをコテンパンにします。あとたのまれてたブツはこれここに」
「……ありがと」
エチカは能面みたいに――いつになく無感情に口だけをうごかして答える小夜子に、不気味さを感じつつ彼女から紙袋を受け取った。
「で、話したいことって?」
少女のすすめるままに対戦モードでゲームをすすめ、キャラクターを選択する。
小夜子はとなりの、長い金髪に金眼の、ミニスカ姿が堂に入った十八才の艶やかな女――そのくせ職人風なグローブを毎日欠かさずつけている学者肌――を一度だけ横目に見て、切り出した。
「さっき帰ってくるとちゅうでアリサとテレサを見たんです。アイサツはしなかったですけど。ってゆーかできなかった」
「ああ、あの子らも夏休みにはいるもんね。おおかた二人でくっちゃべってて、割って入る間もなかったってとこでしょ?」
「いえ、宙に浮いてたからなんです。キックボードに乗ってるような、数センチってもんじゃなくって、空にガッツリ持ち上げられてたんですよ」
「はあ?」
「なかに誰か乗ってたのかは、分かりません。なんてゆーか――」
この世界でこの表現が通用するのか? と首をかしげながらも、小夜子は説明した。
「あの、子供むけのアニメで、パンが主役のヒーローものって言って……わかりますか?」
「ああ、『アンパンヒーロー』ね」
「……じゃ、それで。そこに出てくる、悪い――こう、きたない感じの、触角が二本生えた、黒とむらさきの敵役って、いるじゃないですか。……っていうか、います?」
「バッチイマンのことね」
「ありがとうございます。で――そのバッチイマンが乗ってる、空飛ぶ乗りものってあるじゃないですか。UFOっていうか……そこからビヨーンって伸びてきた腕に、アリサとテレサはつかまってしまったんです」
「なにそれ」
「おまけにアリサがヒーローに助けを求めるがごとく『エチカ様ー』なんて悲鳴をあげるものだから、わたしは正義のパンを生産する秘密工場の長に連絡をする足軽のごとく、こうして報告にやってきたというわけです。ただ単に帰ってきただけってのもあるけど、ここわたしの家だし」
「私の家だっつーの。あんたはただの居候」
画面はステージセレクトに変わっていた。
荒廃した、サイバーパンク的な未来型都市の背景で止まっている。
「いや、ちょっと待って。あんた今言ったことってホントウ? 夢を見たとかじゃなくって」
「ウソみたいだけどホントの話です。そして夢みたいだけど現実に見た話なんですよ、自分で言ってて『なに言ってんだろわたし……』とすら思うんですけど」
「…………まさか……」
エチカはゲームのスイッチを切って、コントローラをクッションに放り出し、立ち上がった。
クローゼットをドカッとあけて、旅行用のキャリーケースを出し、タンスをひっかきまわして服を詰めていく。何日分かは知らない。
「な、なにしてるんですか?」
小夜子は床にすわったまま、エチカの突然の行動に目を剥いた。
「見りゃわかるでしょ、準備よ準備」
「わたしに負けるのが怖くて遠くの山に六年ほど引きこもるつもりですか」
「このヤロー、分からないのをいいことにテキトーこきやがって。ちがうわよ! 遠くに行くのは合ってるけど、あんたが怖いんじゃなくって……とにかく、逃げるわよ!」
エチカは言って、ハタと小夜子の目をまともに見た。
わけが分からないという顔をしている。
(まあそれもそうか)
頭痛をこらえる面持ちになって、エチカはフッと顔をそらした。
「いえ、逃げるわ。私、しばらく帰ってこないから、そのあいだは好きなように過ごしててちょうだい」
「えー!? お店はどうするんですか!?」
「ああ、そうか、言ってなかったわね……」
自分のウカツさに歯噛みしつつ、旅行ケースの上に乗ってフタをしめて、念のためバンドで封をしながら、エチカは告げた。
「ウチの店も夏休みに入ってるのよ。今日だって平日なのに休みだったでしょ? 向こう三カ月ほど完全に停止させるから、その間仕事はなしよ。どーぞご自由に」
「ご自由にって、お給料もとうぜん……」
「ないわね。金にこまったらギルドにでも行ってちょうだい。じゃねっ」
エチカは二階の窓をガコンと押し上げて、そこから外に飛び出そうと力を込めた。
刹那。
「どおおらああ!! 来たったでえ!! インチキ錬金術師!!」
ドガア!!
大きな靴が、部屋のドアをぶち抜いた。
背はさほど高くない。が、横幅と厚みがある。ドワーフという種族がいれば、こんな体型だろうか。黒々としたアゴ髭に、もっさりとたくわえた口髭。頭には小さな帽子を載せ、手にはジャラジャラ、メリケンサックの代替のごとく、金属の指輪を嵌めている。
「うう……お父さま、何度も申し上げているように、エチカ様はインチキではありませんわ」
「そーだよ、お父さん。でなきゃボクたちだって、実家おん出てこっちになんて――」
「じゃかあしいわボケ!!」
ツバを飛ばして、アゴヒゲの男はうしろから訴える二人にがなった。
「あ、アリサ……テレサ……」
小夜子はいいかげん床から立ち上がり、男のうしろに、体をロープでグルグル巻きにされてひかえる少女と少年に、声を上げた。
少女のほうは、赤い長髪をリボンでポニーテールにした、勝ち気な眼の双子の姉。だが、今はその気丈さもなりをひそめてしまっている。
少年のほうは、短い赤毛にキャスケットをかぶった、素直そうな面差しの――双子の弟。
優秀な錬金術師として、スピノザきょうだいの愛称でエチカも一目おいている、小夜子にとっては錬金術の実技や素材の採集における、たよれるセンパイにして指南役。
アリサ・スピノザと、テレサ・スピノザだ。
「……一歩おそかったか……」
口元をゆがめて額に手を当てるエチカ。
ドアの外れた部屋。
縛られてうな垂れる、双子の姉弟。
フンヌと鼻息荒く、窓に足をかけたままのエチカを睨みつける、壮年の男。
四人のようすを、「え、え、え?」と交互に見て、それでも事態をのみこめない小夜子は、とりあえずただ一つ、分かっている事実を取りあげた。
確かめるように。
「――お、お父さまって……?」




