大人になることについて
夏の夕方にその少女はまたやってきた。
王都にある雑貨屋のまえである。
従業員の小夜子は――といっても今は夏期休暇中なので、実質はただの下宿人だが――軒下のイスに座ってやっていたソーシャルネットワークゲームの手を止めた。
不知火 小夜子――長い黒髪にカチューシャをつけた、十四才の女の子である。
ある事故により、日本からここフィーロゾーフィアにやって来た。
小夜子は操作していた携帯端末をワンピースドレスのポケットにしまって、自分の背丈の半分もない少女を、座ったままながめた。
ジュリちゃんだ。
近所の幼稚園にかよっている女の子で、年は四つか五つほど。
先日、さみしそうな顔をして店先にやってきたのがはじまりだった。
小夜子が声をかけたわけではない。
『おねえちゃん、なにしてるの?』と訊かれて、『ヒマだからダラダラしてるんです』と答えたら、『そうなんだ。あのね、わたしはね、ジュリっていってね』と、むこうは自己紹介をして、なにやら他愛もないことをしゃべった。
もとより人と会話をするのが得意なほうではない小夜子は、完全に聞き役に徹していた。
この世界に来てから気兼ねなく他者に接することが多いものの(いかんせんこの世界の住民が、小夜子以上に気が強い傾向にあるので、気兼ねのしようがないのだ)、相手がまだ生まれて四、五年しか経っていない幼児ともなれば、小夜子とていくらか大人にだってなろうというものだ。
うん、うん、とつたない自己紹介や、家庭でのできごとにあいづちを打つ小夜子に気をよくしたのか、ジュリちゃんは『またあしたも来るね』と言って、バイバイと手を振って、来た道をひきかえしていった。
小夜子はその時、名乗ることをしなかった。
する義理もなかったし、その気持ちはジュリちゃんがつぎの日にやってきた時も、そのつぎの日にやってきた時も、変わらなかった。
だが、どういう理由か、テキトウに話を聞いてうなずくだけの小夜子に、ジュリちゃんは色んなことをしゃべった。
「きょうはおうちでおにいちゃんとあそんだの」とか、「おかあさんにしかられたんだ」とか。
このジュリちゃんという少女のことが過剰に心配になったのは、きのうのことである。
理由は特にない。
もしあるとすれば、こんな状況が一週間もつづいているということだろうか。
だから小夜子は、今日はちゃんと言おうと思った。
ジュリちゃんは、夕方の、だいたいいつもの時間に、動きやすいTシャツに、綿の半ズボン姿で、髪型だけオシャレな三つ編みにして、ポテポテ小夜子のところまで歩いてくると、石畳の地面にしゃがみこんだ。
「おねえちゃん、わたしのたからものみせてあげるね」
そう言って、だいじそうにかかえていた小物入れをあける。
アニメのキャラクターのカードやら、ビーズやら、小動物のミニチュアやら、シールやら。
どこかしらキラキラしたものが、かわいらしく装飾された箱のなかにメチャクチャに入っていた。
おもちゃ箱をひっくりかえした感じだろうか。小夜子にはそんな気がした。
「ジュリちゃん」
小夜子はイスからおりて、幼い女の子と目線をあわせるようにしゃがみこんだ。
「もうわたしと遊んじゃダメですよ」
自分のたからものを床にならべていたジュリちゃんは、小夜子を見あげて、なにを言われたかわからないというふうに、首をかたむけた。
ほんとうにわからなかったのだと思う。
小夜子はつづけた。
彼女に対して、こんな警告を出す権利があるのかと、自問する声をねじふせて。
「わたしがもし悪い人だったら、どうするんですか?」
ジュリちゃんは素直だった。
利発だった。
小夜子の言ったことを、そっくりそのまま受け止めた。
『そんなハズない』とか、『それでもいい』とか、そうした幻想は口にしない。
ただ黙って、うつむいて、小夜子に見せようと持ってきた自分のコレクションを、また元の箱のなかにもどしていった。
幼いジュリちゃんの手のなかで、小さいはずの箱は大きく見えた。
床にならべたカードやミニチュアをもどす作業が、想像していた以上に難儀に感じた。
ジュリちゃんはふてくされた顔で立ちあがって、なにも言わずに帰っていった。
その背中は、はじめて会った時よりも、はるかにさみしそうに見えた。
それからジュリちゃんは、小夜子の元にこなくなった。




