なにもしないについて
雲の上の王国フィーロゾーフィアには、天才錬金術師の営む雑貨屋がある。
『エチカ商店』がそれだ。
一階に店舗を置く建物、その二階部分が、店主のエチカとアルバイトの小夜子が起居するスペースとなっている。
六月のはじめから、この錬金術師の店は長期休暇にはいっていた。だから朝の十時をすぎても、この家の住民はのんびりとしたものである。
特に小夜子はのんびりしていた。
というより――。
「……で?」
エチカはベッドに横たわる少女に、もう何度目かになる「で?」を言った。
エチカ――金色の長い髪に金色の双眸、細いヘアピンで前髪を大きく分けた、十八才の女性である。
肩から腕を剥き出しにしたシャツと、ベルトを巻いたミニスカート、ブーツといった出で立ちは、いかにも遊び好きそうなルックスだが、両手に嵌めた作業用のグローブと、聡明な眼差しがその印象を否定する。
彼女は錬金術大国であるここ、フィーロゾーフィアでも屈指の才媛で、錬金術に関しては比肩しうる者のない英傑である。
彼女の視線の先には、黒髪黒眼の少女があおむけに寝そべっていた。
不知火 小夜子という、よその世界からやってきた十四才の女の子だ。
寝間着の白いローブ姿で、彼女はシーツをひっぺがされたまま、身動きせずに、ただ口だけを動かしていた。
こちらももう何度目かのセリフを吐く。
「つまり、『なにもしない』ということをするのは、理屈で言えばすごくむずかしいということなんです。わたしは今こうしているあいだにも、息を吸って、吐いている。しゃべっている。目を閉じている。
お腹のうえに両手をかさねて置いている。ベッドの上に寝ている。ベッドを下向きの力で押している。そして作用反作用の法則でいうと、ベッドもまた、わたしを押しかえしている」
「サヨコ」
エチカはたまりかねて片眉をピクリとひきつらせた。
小夜子はつづける。
エチカの苛立ちにはかまわずに。
「だからね、エチカの言う『あんた今日なにもしないつもり?』っていうのは、どうがんばってもわたしにはできないってことなんですよ。わたしはここでゴロゴロして、生きていて、なんていうか……ゴロゴロしているんです。ね? なにもしてないわけじゃないでしょ――ぎゃあああ!!」
唐突に下のシーツもひっぱられ、小夜子は悲鳴をあげた。
ひきずられるままシーツといっしょに寝台をすべり、床に落っこちてしまう。
がばと起きあがる。
寝グセのないストレートな黒髪が、窓から射し込む昼近くの日射に、エナメル線のごとき光沢を帯びる。
「なにするんですかこの乱暴者!!」
「やかましいわ! 居候のブンザイで昼までぐーすか寝やがって!! いーかげん起きろっつーの! これ以上ダラダラしてたらあんたヘドロになっちゃうわよ!?」
「やだー! なにもしたくないー! 惰眠をむさぼってたいんです!! だってエチカ、暑いんですもんこんな暑い日になにかやろうなんて気が起こるわけないじゃないですか! わたしはフトンの上でダラダラしてるしかないんですー!!」
「んなことのために一丁前にへりくつこねてんじゃないわよ!」
「こんな些細な願いを成就させるためであっても妙な理屈をこねくりまわしたわたしの労力を慮ってほしいものですね。あわよくばそれに免じてこのまま寝かせておいてください。おねがいします」
「このっ、クソガキ」
小夜子はエチカからシーツをひったくって、くるまって、床のうえで目を閉じた。
グウグウと寝息をたてはじめる。
「ったく、しょーがないやつ……」
こんな暑いなら、眠る気も起きなくなりそうなものだがと、エチカは胸中反論しつつも、もうほうっておくことにした。
「せっかくいただきもので、いいココアが手にはいったから作ってやろうと思ったのに」
「なーんだ、それを早く言ってくださいよ♡ 人がわるい」
ぴょこんと立ちあがって、小夜子は部屋を出ていくエチカを追いかけた。
「あんた今日はなにもしたくないんじゃなかったの?」
「いやだなあエチカ、なにもしないをするっていうのは、理屈のうえではかなりむずかしいって、さんざん言ったじゃないですか」
「あっそ」
とりあえず、こうして小夜子は起床して、残りの時間をテキトウに遊んですごした。
いやー。やればできるもんだ。




