エルフについて-②
◇
小夜子はフィーロゾーフィア王都の外縁にいた。
毒の雲の上に浮かぶ、大小の島と大陸。これが天上の世界〈ユックリッド〉の全容であり、紫の瘴気につつまれた地上はその名称が許す領域に含まれていない。
淀んだ空気――毒気に満ちた〈地上〉は、ただ俗称を持つばかり。
いわく、〈旧世界〉と。
「ヒマ~」
錬金術の大国フィーロゾーフィアは、その王都を小さな島の上に築いていた。
都は一本の大通りによって、下層から上層へとくるりと蜷局を巻くようにしてつながっている。
天空の都市の更に上にある空を、小夜子は見上げていた。
大通りから、下の雲海(地上よりはるか天高くにあるため、毒は濾過されて白く清い水蒸気の塊になっている)に落ちぬように設置された鉄の柵によりかかる。
空には緑の石――〈渡煌石〉の群れが、遠近法によって上空にいくにつれて小さくなっていた。
ゆっくりと頭上をめぐるようにして円形の軌跡をえがいているあの緑の群石は、ひとつひとつが魔法がかった宝石で、別の世界とのつながりを持たせる能力があった。
ユックリッドに新たな知識や観念をもたらし、世界を拡張することを可能にする。
とはいえ『無条件に』というわけではない。
錬金術大国と銘打つ〈フィーロゾーフィア〉国内でも、若くして秀でた知識と技術を開花させた錬金術の才女エチカに言わせれば、世界が新しい概念や、もっと言えば新たな物質を得るためには、そこにいる生命体が、それを得るに耐えうる能力を身につけなければならない。
『全員ってわけじゃないわよ。一人でいいの』
とは彼女の弁。
ゆえに知をこよなく愛する彼女は、知的探究をおこたることをしないのだ――
「――そう言いわけして、〈地上〉に飛行バイクに乗って行っちゃったんですよねー」
〈スペース・コイル〉とも〈翻訳の帯〉呼ばれる緑の輝石がえがく螺旋の帯を見上げたまま、小夜子は溜め息をつく。
あまったほうの手で、首からぶら提げた、台座のカラになったペンダントをいじる。
と。
「そりゃあ聞き捨てならないなあ」
横にのっしっと、手すりに肘ごと背中をもたせかける者がある。
二十代中頃の男だ。
バンダナを巻いた黒い頭髪に青い目、夏仕様の町人装束を着て、おしのび外出中のフィーロゾーフィア国王である。
「やあ、カワイ子ちゃん」
「小夜子です」
「なんだいツレないなあ。今日はひとりかい?」
国王――オーギュストは、キョロリとメインストリートを見まわした。
上層――『エチカ商店』のある通りには、シャッターを下ろした小売店が軒をつらね、行きすぎる人がチラホラいるものの、彼のおめあての人物はいない。
「そう。スピノザの姉弟は実家に帰っちゃったし、エチカもさっきわたしがボヤいた通りの事情でいません。証拠みます? 今朝起きたらリビングにあったんです」
小夜子はワンピースのポケットから、二つ折りにした紙片を出した。
白いカチューシャをつけた長いストレートロングの黒髪が、もったりとした昼下がりの風にゆれる。
小夜子と隣りの男――オーギュスト王とは、以前から面識があった。おそらく『知人』と呼んでさしつかえないていどの仲ではある。
ともあれ小夜子は彼のことが苦手だが。
オーギュストは小夜子から紙切れを受け取った。
カサリと開けて読む。
「『サヨコへ。
〈地上〉のほうにあそびに行ってきます。二、三日は帰ってこないから、そのつもりでね
大天才美人錬金術師エチカ様より』
あそこ立ち入り禁止なんだけどなあ。毒気にあてられたら死ぬんだぜ?」
「ヘルメットしてるから大丈夫って本人は言ってましたけどね。ガスマスクの機能もついてるんですって」
小夜子の言及にオーギュストは肩を落とした。
が、メモの最後にくっついている紅色のキスマークを見るなり、元気を取りもどす。
「なあ、サヨコちゃん。このメモ用紙もらっていい? 好きにしていいかい?」
「どーぞご勝手に」
返事するやいなや、オーギュストは文末のキスマークに「んちゅっ!」と自分の唇をくっつけた。
間接キッスのつもりだろう。
「んで? サヨコちゃんは日がな一日こんなところで日なたぼっこかな。エチカの店はしばらく休業だしな」
「はい。それで、お金がなくって、ほしいお菓子とかゲームがあっても、買えないんです」
小夜子は空と町を区切る欄干に腕をかけて、グッタリ頭を垂らした。
オーギュストが青い目をパチクリさせる。
「なんだ、じゃあ冒険者ギルドにでも行きゃあいいじゃないか。キミくらいの年の子にとっては、いい小遣いかせぎの場だぜ、あそこは」
「冒険者ギルド……ですか」
小夜子はその単語をくり返した。
聞いたことはある。
ランク別に仕事が割りふられる、魔物との戦いや探索を中心とした完全な現場職。
実入りのいい依頼は高いランクの者に優先されるが、たとえ最も低い〈Fランク〉冒険者であったとしても、糊口をしのぐくらいの収入にはなる。
「行ってみようかなあ」
お金のこともあったが、〈冒険者ギルド〉という場所に、小夜子は以前からキョウミがあった。
もともと小夜子は、こことはちがう世界より、〈渡煌石〉によって飛ばされてきた遭難者だ。
かつては『日本』という国にいた。
中学生として公立の学校に通う身分だったが、人づきあいが苦手で、クラス内にもクラス外にも友人はいなかった。
気を許せる存在は唯一父親だけ。
その父も、今年の春先に他界した。
教育熱心な母により、ゲームやマンガ、インターネットなどの娯楽はきびしく制限されていたが、父が学者でありながらゲーム好きだったのと、マンガや小説にも関心がふかかったために、両親ともに不在の時間をねらって、こっそり閲覧したり、据えつけ型のオフラインゲームにひたったりした。
フィーロゾーフィアにも、インターネット環境や電子機器、IT技術はある。
むしろ日本――地球の技術と比べて、こちらの科学のほうが高い水準だといえる。
この天空に浮かぶ島々も、〈錬金術〉という〈地球〉においては再現不可能な未知の業による。
もっとも、魔法性の媒体物質によって存在を可能とする技術を、〈科学〉と混同するのはいささか乱暴かもしれないが。
ともあれ、小夜子は〈冒険者〉であったり、それを実質管理する〈冒険者ギルド〉について、もともといた世界でもファンタジー小説やマンガで聞き知っていた。
もちろん、当時は空想上の産物としてだったが。
フィーロゾーフィアにおいては、住民たちの会話にちらほら出てくるので、自然と耳に入ってきたものだ。
「もしギルドに行くんだったら、下層のほうだよ。雲がわに突き出た崖っぷちに建ってる」
オーギュストが道路の落下防止柵ら身を起こして、通りを下りに向かって指差した。
「王様が案内してくれるんじゃないんですか?」
てっきりナンパ目的で女冒険者でものぞきに行くかと思っていた小夜子は、大マジメに言った。
「いや~、行きたいのはやまやまなんだけどさ……。僕あどーもあそこにいるエルフが合わなくてね。イプセンっていう女の子なんだけど」
女性とみれば見境なく声をかけるオーギュストが、避けたがる女がいるとは思わなかった。
「ひょっとして、造形に難ありなんですか?」
「まさか。エルフは粒ぞろいさ。みんな美人だよ。イプセンもそうさ。でもなあ……」
オーギュストは白々とした午後三時の日射しに、「う~ん」と眉根をよせた渋面をじっくりあぶらせた。
「まあ、よく分かりませんけど、王様がくっついてこないのはわたしにとって好都合です」
「手厳しいなあ。キミだって僕の花嫁候補にはいってるんだぜ? もうちょっとおてやわらかにたのむよ」
「だからイヤなんですよ」
小夜子はゲーでも吐きそうな表情になって、オーギュストから離れた。
「ギルドの場所を教えていただいたのは、ありがとうございます」
「ああ。気をつけてね」
足早に坂道を下りていく小夜子の背中に、オーギュストは手を振って見送った。




