再テストについて-④
初任給で買った〈浮遊キックボード〉を唸らせて、小夜子はスピノザの家から王都中層に舞い戻った。
スケーターに乗ったまま店のドアを蹴破り、店主の姿が見あたらないのをいいことに、更にドアを一枚突き破って、もう一枚ついでに突き破って、庭に出る。
(確か気付け薬の材料は――)
レンガの塀にぶつかる寸前でスケーターを乗り捨てて、小夜子は暗くなりつつある庭に四つん這いになる。
街の外灯からこぼれる電気の明かりを頼りに、そのへんの草を凝視する。
「あんた人の店壊しといてなんか言うことはないわけ?」
「ああっ! エチカ!」
小夜子はこの世の終わりのような顔をして悲鳴を上げた。
四つん這いのまま。
「いつからそこに!」
「あんたが出てってすぐによ。閉店時刻以降、ここでずっと作業してたわ」
エチカは野外用のテーブルで、お茶をしながら四百字詰めの原稿用紙になにやら認めていた。
飲みすぎ防止のために紅茶は一杯分だけ。ティーポットは無し。
読書や執筆の際にはつけているメガネ――そういえば夕方にマンガを読んでゲラゲラ笑いころげている時にはつけていなかった――を、部屋から取ってきたのだろう、今は掛けて、生来の目鼻立ちのハッキリした美貌を、いくらか落ちついたものにしている。
「なにを探してんのよ」
「ヒミツです」
小夜子はとっさに答えた。エチカに他意のないのは分かっているが、ここで彼女に手伝ってもらったとあっては、なんだか口惜しい。
「ジャマなら退くわよ?」
小夜子が庭の芝生に這いつくばってる理由を察したのだろう。
エチカは書く手を止めて訊ねた。
小夜子は首を振った。
「いえ、おかまいなく。研究室は使っていいんでしたよね?」
プチッと目当ての野草を、これも初任給で購入していた作業用のホック付きグローブで摘み取って、小夜子は立ち上がる。
「ええ」
とだけエチカは返した。
小夜子は駆け足で研究室に移動する。
「じゃあ、しばらく引き篭もるので。――あっ、晩ごはんはいりません。それと、提出物は九時半までには持ってくるので、ご心配なく」
「余裕シャクシャクね」
バタン。
と小夜子が研究室に飛び込んだのと同時だったので、エチカの声は聞こえなかった。
「よーしっ、それじゃあさっそく」
小夜子はベルトのポーチに入れてある、パンダの絵柄がプリントされたメモ帳を取り出した。店がヒマな時にこっそりエチカの作業をのぞいて、コツっぽい点をメモしたり、必要素材以外の触媒を書き込んだりしていたのだ。
(えっと、〈気付け薬〉の作り方は――)
もちろん、エチカのいない時にこの部屋や彼女の私室の本棚をあさって、参考になりそうなノートものぞいている。その中に何冊か、錬金術用の手順書があって、小夜子はキチンと目ぼしい物を書き写しておいたのだ。
(これも日頃の勉強のおかげっと)
気付け薬に必要な素材は、ルルド菊とカラッチョ水、ミントース草に、少量の塩と砂糖。
(ルルド菊はその辺の雑草だから、カンタンに手に入る)
庭先や土手などで見かける、ノゲシによく似た草だ。ただし、大きさは十センチていどと小さい。
(ミントース草は、確か……)
小夜子は実験用の大きなテーブルに、取ってきたばかりの野草を置いた。
薬棚のほうを見る。
棚は二種類あって、ひとつはカギ付き、そしてものものしいラベルの貼られたビンが、ガラス戸の向こうに整然と並べられている。
小夜子の用があるのは、もう一つのほう。乾燥した植物や、お茶っ葉のように煎じられた薬を保存したビンが、ごちゃっと詰め込まれたほうだった。
木枠のガラス戸の向こうにのぞくラベルには、手書きで材料の名前が記入されている。
小夜子は木の棚のほうへと手を伸ばす。
もう一つの、物騒な薬品類が詰まっているのはスチール製だ。青酸カリや砒素、硝酸などの劇薬を保管した棚で、前に開けようとしたらエチカに見つかって、本気の形相で怒られた。
木棚のほうはカギがなく、引き戸で、ごちゃごちゃになったビンをよけて探すと、かくして『ミントース』と読みにくい走り書きのある容器を発見した。
他の薬草類のガラス容器を壊さないよう、慎重に、元あった位置に戻していく。
ミントースのビンだけを持って、小夜子は棚の戸をしめた。
「ふう」
テーブルに、野草と並べて置く。
(んで、カラッチョ水は自分で作ったほうがプネウマとの反応がよい、と)
カラッチョ水はトウガラシとカンシャクゴケ、火、水から作ることができる。
であるならば、わざわざ〈カラッチョ水〉を作らずとも、先の素材に野草と塩と砂糖をくわえて合成すれば、晴れて〈気付け薬〉はできるのだが――
(なるべくそういうズボラは避けたほうがいい。錬金術で、一度に作らなきゃならない物が増えるから、失敗したり、なまじ成功しても品質が低くなる。質を上げたいなら、手作りで出来るものは、できるだけ手作りで)
アンチョコを見ながら頷く。
小夜子は三脚鼎をテーブルに持ってきて、アルコールランプに火を入れた。
小さな鉄製の器に、これも木棚から失敬したトウガラシの粉末、カンシャクゴケを一匙、そして水道水をいれる。
(で、最後に……)
沸騰して、浮いてきたカンシャクゴケを狙って、火をつけたマッチを投下する。
パン!
大きな音をたてて、鍋の中のものが煙につつまれた。
おタマみたいな匙でかきまぜてみる。赤い、どろりとした液体が出来ている。
(何回か作ったことはあるけど……慣れない臭いだなあ)
辛みと苦みが混ざったような、こもった臭いが鼻から脳まで浸透する。
(もうこれを提出物にしちゃおうかなあ)
と弱気になったものの、『錬金術を使って作った物』が条件のため、却下した。
出来た緋色の液体をおタマに一杯分すくって別の容器に移し、薬草類の隣りに置く。
時計を見ると、ここまででもう夜の六時を回っていた。
塩と砂糖を引き出しから出して(料理で使う用とは別にしてある)、ポットごと他の材料と並べる。
「えっと、杖、杖……」
あたりを見回すと、あった。
研究室の入り口。店側とをつなぐドア――さきほど壊したため、蝶番が外れて傾き、把手の部分から『く』の字に折れている――のそばに、力なく倒れている。
小夜子が手に取ると、透明だった先端の丸い石が、ボウと黒色に変わった。
両手で長い杖を持って、準備した材料の待つ実験台に戻る。
必要な分量ずつ素材を取って、大きな鉢に入れ、混ぜ合わせることなく杖を当てた。
小夜子の精神力が、エーテル石を経由して、大気中にただよう微粒子の媒体〈プネウマ〉に、気付け薬の生成を命じる。
魔法性の媒体は、錬金術師の意を受けて、材料を合成し、変化させた。
ボウン!
煙が立ちのぼる。
白い鉢の中に、オレンジ色の薬液が現れた。
(ちょっと濁ってる……)
よく言えば臙脂色、悪く言えば茶色く変色した薬を、計量用のスプーンですくう。
ドロリ。
(……失敗に限りなく近い成功だわ)
焦げたりせずに体裁が整っている、という点では『成功』だが、濁っているわ粘性が高いわという点では『失敗』である。気付け薬は気絶した人間に意識を取りもどさせる効果があるが、これではそのままこんこんと眠り続けてしまうだろう。
マトモなクオリティなら、夕日もかくやというバーミリオンで、清涼飲料水のごとくさわやかなサラサラだ。
(でも、高レベルな物を作ろうとした努力と、ダメで元々で提出する勇気は認めてくれるかな?)
自分に言い訳しながら、携行用のボトルを持ってきて、濁った薬を容れる。
と――
(……いや、ダメだわ)
小夜子は唐突に気がついた。
(――これじゃダメ。エチカは納得しない。絶対に!)
小夜子は確信した。
台に備えつけてある流しに、作ったばかりの薬を惜しげもなく
(ううううううう! 一生懸命つくったのにいいいいいい!!)
惜しみながら廃棄する。
新しく、ちがう種類の物を作りはじめる。




