再テストについて-②
売り場の外は、橙色に暮れて夜に移行しつつあった。
フィーロゾーフィア王国、王都にある小さな雑貨屋、『エチカ商店』である。
夕方の五時が近付き、客足ももう見込めない頃だった。
「なあエチカ」
遊びに来ていたフィーロゾーフィア国王が、店の奥――居住スペースと店を仕切る壁を見上げている。カウンターにいる女に言う。
「君、今日の日付に書き込みしてるけど、何かの記念日かなのかい?」
「はあ?」
エチカは会計用の長テーブルで読書をしていた。いつもはアルバイトの女の子が座っている場所だが、彼女は遣いにやっている。
「べつに、特に何も無かったと思うけど?」
エチカ――長い金髪に、気丈に煌く金色の双眸を持つ、十代後半の美女だ――は、細いヘアピンで大きく分けた前髪の下から、オーギュスト王の向いている先、貼りつけたカレンダーを一瞥した。
即答したものの、少し引っかかりを感じる。
作業用の白手袋をつけた手に顎をのせ、沈思黙考する。
〈錬金術師〉という知識職には不似合いな、ノースリーブにミニスカート、流行のブーツといったハデな出で立ちだが、思考する時の横顔は学者に共通の、深淵を覗き込むような、心ここにあらずというような、人跡未踏の領域に挑むような、ある種虚ろな、ある種秀でた、悟りの境地めいた静謐さを帯びる。
例えどんなにくだらないことを考えていたとしても、だ。
「スーパーマーケットの特売日だったかしら?」
「それで分かるのは、僕には関係がないってことだけだな」
「あたり前でしょ」
エチカは読んでいたマンガ雑誌をカウンターテーブルに放り出した。いつもはここで読書用のメガネを外すところだが、今日は私室に忘れてきたため無しである。
「それよりオーギュスト、ヒマ潰しで来たんでしょ? ついでの用事で、さっさとその暦を次の月に換えなさいよ」
「君たちに求婚に来たんだ。ヒマ潰しでも、アゴで使われに来たんでもない」
ビリリ。
言いつつもオーギュストはカレンダーの五月のページを破った。下から六月の項が現れる。
「にしても、サヨコちゃんはどこに行ったんだよ? こちとら兵士の目を盗んで来てるんだ。あんまり長くはいられないんだぜ?」
シャンプー臭いサラサラの短い髪にバンダナを巻き、いかにも上質なシャツとロングパンツ、ブーツに身を包んだオーギュストは、育ちのいい坊ちゃんという体の、爽やかな蒼穹の瞳をおどけたまん丸にして、さも大事のように両腕を広げる。
御年二十四の彼は、さっさと縁談を結べと外野から急かされている――わけでもなく、生まれつきの性分で、手当たり次第、国内外問わず、気に入った女性に声を掛けて回っている。
エチカは慣れた調子で返した。
「サヨコはおつかい。あんたみたいにヒマじゃないのよ」
「んじゃあ、君だけでガマンするか。とりあえずこの婚姻届けにサイン欲しいんだけど?」
「一度断られたら二度と顔を見せないくらいの甲斐性は欲しいものね」
ことあるごとにやって来ては、「結婚しよーよ」と口癖みたいにさえずる現国王に、エチカは迷惑している。なぜならエチカは誰とも結ばれる気はないからだ。独りで気ままが一番いい。
「五月……」
我知らずエチカは口ずさんでいた。
イスから立ち上がり、カレンダーを確かめに行く。
彼女の思索を阻害するのは、冬眠あけのクマにちょっかいをかけるが如く危険な行為と心得ているため、オーギュストはゆっくり歩いて来る錬金術師に道をゆずる。
ついでに自分が取り外した五月のページを渡した。
――五月。
「この月の初旬にサヨコが来たのよね――」
「エチカー!」
バーン!
爆音みたいな音をたてて、店のドアが開いた。
ストレートロングの黒髪に、大きな黒い両眼、頭にカチューシャをのせたワンピース姿の少女が、息せき切って店内に駆け来んでくる。
出掛ける際に、護身用にと持たせた、錬金術師の長杖を両手で抱えていた。
小夜子だ。
「エチカー! このわたしに再テストを課すだなんて、身のほど知らずなことをするって本当ですか――あっ?!」
ガンッ!
クツの先を床の歪みに引っかけて、小夜子は思いっきり前方に飛んだ。
振り返った矢先、弾丸のようにすっ飛んできた少女に押し倒されて、エチカも床にひっくり返る。
小夜子は転倒しながら、ほっぺに当たる感触にこんな感想を抱いていた。
(やっ、柔らけ~)
「わーい、僕も僕もー♡」
「〇ね」
小夜子の上から、更に覆いかぶさるように両手を広げて飛び込んでくるオーギュストに、エチカは転がっていた錬金術師の杖を投げつける。
丸い石の嵌まっている部分――とは逆の、鋭く尖った鉄の下端部分が、オーギュストの顔面に刺さった。
「痛い」
「しょーもないことするからでしょ」
オーギュストは、大人しくゼログラビティの姿勢から直立姿勢に戻った。不平ったらしく口をブーイングの形にする。
「なんだよー。なんで僕はダメでサヨコちゃんはいいんだよお」
「しょーがないでしょ、いくらこまっしゃくれて生意気で性格が破綻してても、サヨコはまだ十七にもなってない子供で女の子で幼児体型なんだから」
「え~んっ、巨乳のワガママボデーが何か言ってるー!」
「よしっ、この話やめようか」
冷静になって、オーギュストはエチカと小夜子を諫めた。
少女の両わきを支えて、抱っこする要領で立たせてやる。
「それで、どうしたんだいサヨコちゃん、そんな血相変えて? 大きくなったら僕のお嫁さんになるって決心でもついたのかい?」
「王様となんて永遠にお断りなのでそんな希望はさっさと捨てて下さい」
猫なで声で覗き込んでくるオーギュストの下顎に、アッパーを食らわせながら、小夜子。
エチカに向き直る。
彼女もまた、服の埃を払って立ち上がったところだった。
「アリサとテレサから聞いたんです。エチカが今月の末に、わたしの採用について再試験を行うつもりだって。それに失格したら、わたしを店から追い出すって!」
「サヨコ、あんたまたワケの分か――」
る。
エチカは片手に握りしめたままだった、五月のカレンダーを自分の顔の前に持ってきて睨みつけた。
三十一日のマスに赤い二重丸が描いてある。
「エチカ?」
足早に隣りの研究室に引っ込むエチカを、小夜子は不安に揺れる黒い瞳で追いかける。
エチカはすぐに戻ってきた。
片手にスケジュール帳を持って、中身を確かめながら。
「――あっ!……覚えていたわよ。もーちろん」
「たっ、」
小夜子は今しかないと思い、実行した。
「たあー!!」
バキイ!!
エチカの脳天めがけて、鉄製の長杖を叩きつける!
とっさによけた女錬金術師の二の腕をかすめ、〈黒〉の玉石は、フローリングの床を打ち抜いた。
雷鳴みたいな音をあげて、木の板があっけなくへし折れる。くぼみが出来る。
「なっ、なにすんのよ!」
さしものエチカも、オーギュストも真っ青だ。
「さっきのは絶対忘れてたっ!」
ギュッと杖を構え直し、小夜子はエチカに吼える。
「だからもう一度忘れてもらうために、軽いショックを頭に与えようとしたんです!」
「記憶を失くすくらいじゃ済まない威力だったでしょーがっ! 加減してからもの言えや!」
「いいんです! この際記憶さえ喪失していただければ、他のことなんてどーなったっていいんです!」
再び小夜子は殴りかかった。
ドッカン!
バキキ!!
大上段から杖を振り下ろすたび、フルスイングするたび、壁が、樫のテーブルが、甲高い悲鳴をあげて壊れていく。
「ハハハ、仲良きことは美しき哉。それじゃあ、君たちのじゃれ合いをジャマするのもなんなんで、僕はこの辺で失礼させてもらうよ」
「テメー! こーゆー時くらい役に立ちなさいよっ!」
「ムリだ」
パタンとドアを閉めてオーギュストは外に避難した。
デタラメのようでいて、しっかり頭部を狙い打ちしてくる小夜子の猛攻撃に、エチカは冷や汗をかく。
薙ぎ払いをしゃがんでかわし、詮なく地面に手をついた。床材にプネウマを作用させる。
ゴオッ!!
垂直に上へと、木の柱が飛び出した。
小夜子の顎を、アッパーカットの勢いで柱の先が強打する。
杖――についている〈エーテル石〉――無しでの錬金術に、小夜子は目をまわしながら、やっぱりエチカはデタラメだと思わざるを得ない。
「これじゃあ、錬金術師っていうより魔法使いですよ……」
ドスン。
背中から小夜子は床に落ちた。
「あんなケッタイな連中と一緒にしないでちょうだい」
パシッ。
宙に取りこぼされたロッドが、クルクル回転しながら落ちてくるのを捕まえる。
杖は元の持ち主――エチカの手に戻った。
先端の黒い石が、最上位の術者を示す〈赤〉に色を変える。
「ったく、おちおち忘れものもしてらんないわね」
「うう~、やっぱり忘れてたんだ。余計なこと言わなきゃよかった……」
「ズルするようには出来てないってことでしょ。よかったじゃない」
「いやだ~。テストはやだ~っ。追い出されるのもやだ~っ。漫然と怠惰をむさぼってたい~」
「親が聞いたら泣くわね……」
床でジタジタ手足を振り回してダダをこねる小夜子に、エチカはしれっと背を向ける。
「……」
小夜子は目ざとく気がついた。
「あっ、今問題考えてる! そーゆーのって無しですよお。だいたい忘れてたんなら、そもそもテストする必要性を感じなかったってことで、引きつづき雇うでいいじゃないですか」
「うるっさいわねー。あんたが得意そーな内容なんだから、安心なさい」
下からブーブー抗議する少女に、エチカは立ったまま杖を向ける。赤い〈エーテル石〉に、溺愛されて育ったような、甘ったれた童顔が映り込む。
「よく聞きなさい、サヨコ。二度は言わないわ」
不承不承、小夜子は身を起こした。
フローリングの上に正座する。
エチカのに耳を傾ける。
彼女が「二度は言わない」と言えば実際そうで、これは試験である以上、二度目を言わせてしまえば、その時点で失格なのだ。
沈黙して思考を切りかえる小夜子に、エチカは頷いて告げた。
悠然と、自分を手で示して。
「この私が最高だと思うものを、錬金術で作って持ってきなさい。経緯は問わないわ。私の研究室、およびそこにある材料も、勝手に使ってもらって構わない。ただし、今日が終わるまでには、私の元へ持ってくること。以上よ」
――エチカが最高だと思う物を今日中に――
小夜子は胸中でエチカの出題を反芻した。
ボンッ!
頭が湯気をあげ、脳がフリーズする。
根性で三秒後に再起動させることができたが、
「うわああああんっ!」
小夜子は店から飛び出した。
絶望的な泣き声をあげながら、浮遊キックボードに乗って、夕暮れの町を疾駆する。
だって、
(だってそんなの、ムリに決まってるじゃないですかあああー!!)




