再テストについて-①
夕刻。
〈リーマジハの森〉に三人は来ていた。
小夜子はエチカのお遣い、他の二人もまた、それぞれ錬金術で使う材料を採る為に散策している。
「……!」
小夜子――十四才の少女である。
『日本』から来た人間で、その国ではありふれた黒髪に黒い目をしている。髪は切るのがめんどうくさくて伸ばしっぱなしにしたような、しかしサラサラとしたストレートのロングヘア。額のあたりにカチューシャを着けている。
タータンチェックの地味なワンピースが、この少女のほぼ毎日の衣装だった。洗濯はしているので汚くないとは彼女の弁だが、同居人からは「いいかげん服を買え」と言われている。
しかし金が無い。
『グウルルルル』
小夜子の前には一頭の熊がいた。小熊ほどの大きさだが、これで大人だ。
〈ウォッシュベア〉というモンスターで、茶と白の斑の毛皮に、刀剣もかくやという牙を一対生やした、〈リーマジハの森〉に生息する生物の一種である。
木々の狭間で、小夜子はこの魔物と遭遇した。
エチカ(前述の同居人のことである)から借りた錬金術師の杖――〈エーテル石〉という丸い石を先端につけた長杖。魔法性媒体〈プネウマ〉と、素材をエーテル石で反応させることで、様々は物質や現象を生み出すことが可能――を握りしめる。
「あら、サヨコが一番に見つけましたのね」
ヒョコ。
と小熊サイズの怪物熊と対峙する小夜子の元に、赤毛の少女が現れる。
十代中頃の、赤い長髪をポニーテールに結った、半袖のブラウスにサマーセーター、プリーツスカートの少女だ。
小夜子の友人にして、優秀な錬金術師、アリサ・スピノザである。彼女も杖を持っているが、小夜子の石の色が初級を意味する〈黒〉であるのに対して、上級の〈黄〉だった。
「ってことは、あれはサヨコちゃんの獲物か。あーあ、ボクも〈水核〉狙ってたのになあ」
アリサとは反対の方角から、ヒョコリと同じように顔を出したのは、キャスケット帽をかぶった短い赤毛の少年、テレサ・スピノザだ。
アリサの双子の弟で、姉と同様黄色の石をつけた杖を携えている、錬金術の使い手である。
学校から帰ってから着替えていない、カッターシャツにスラックスという出で立ちで、テレサは小夜子の前にいる小さな熊をながめていた。
日暮れ時。獣たちが血の気を多くする時刻である。
エサを狩りに来たのだろう、斑の熊ウォッシュベアは、本日のご馳走が三つに増えたとあって息巻いていた。
『グオオオオッ!』
ヨダレの糸を引いて、咆哮をあげて飛びかかる。
スプリングをきかせた後肢で勢いよく撃ち出した短躯が、ジャレるにしては殺意にまみれた威力を伴って、最初に目の合った少女――小夜子に飛びかかる。
「えーいっ!」
杖を逆さまにして、小夜子は地面に〈黒〉の石を叩きつけた。
ベコンッ!
大きな音をたてて、土の大地がめくれ上がる。
『ギャウ!』
畳返しの要領で、くっきり長方形に区切られた地面に下顎を打ち抜かれ、ウォッシュベアはその小さな体躯を空中に躍らせた。
ドスン――
と着地する予定の位置に、小夜子が追い打ちを掛ける。
もう一度、杖をひっくり返したまま地を打ち、大きな穴を作る。
スポン。
深さ一.五メートルほどの落とし穴に、怪物熊の身体が、引力に導かれて吸い込まれた。
仕上げとばかり、小夜子はもう一度地面を打って、今度は穴の上を土で塞ぐ。
『うー、うー』
中でしばらく熊のもがく音と声が聞こえ、
『…………』
やがて聞こえなくなった。
「うーん。だいぶと時間も経ちましたし、いいかげん窒息したでしょうか?」
「惨たらしい殺り方ですわ」
「誰にそんな方法教わったんだろうね」
「エチカ」
アリサとテレサの血の気の無い顔に、小夜子は答えた。
エチカはこの二人――熟練レベルのスピノザ姉弟を凌ぐ、超凄腕の錬金術師である。
〈錬金術〉は、この世界〈ユックリッド〉において、〈エーテル石〉と材料、そして〈プネウマ〉をかち合わせることで、あらゆる事物を生成する技術だが、エチカは時々材料なしで――本人曰く、大気中のチリから――物を作ってしまう。
小夜子は現在、そのエチカの元に居候しているのだが、使っている寝具や最低限必要なその他の家具、換えの服やパジャマは、木や綿や金属などの素材を揃えず、ホイホイっと魔法みたいに空中から生み出された物である。
錬金術の無い世界から来た小夜子は、初めて見た錬金術がそんな具合のものだったから、しばらくはそれがフツウなのだと思っていた。
が、同じ腕利きの術者であるアリサとテレサに言わせれば、「いや、それが彼女の『天才』と呼ばれる所以なんですけどね」とのことだった。
尚、初心者である小夜子に、当然同じ芸当がこなせるはずもなく、作れる物も、キチッと材料が確保できて、かつ作り方がそう煩雑ではない基礎的な薬品か、塩水から塩だけを分離するといったような簡単な精製、もしくは、地面や空気といった、資源の集合体を動かして、臨時のトラップや武器とするくらいしかできない。
エチカはそれで充分としている。
そして、「要は使いようよ」と、先のような戦法をアドバイスしてくれた。
「でも――」
トストス。
熊を生き埋めにした、歪な盛り土になった部分をローファーのつま先で叩いて小夜子は言う。
「これ、どうやって中にあるのを取り出したらいいんでしょう」
「あなた倒すことしか考えてなかったんですのね」
「空気使えばいけるかなあ」
呆れ顔でアリサが杖を構え、小夜子の作った落とし穴――その蓋に黄色の石を当てる。
サアア……
土の湿度が抜けていき、カラカラの砂になる。
いざとなったらまた土に戻して埋め直す気でいるのだ。
かくして怪物――ウォッシュベアは、息絶えていた。
「サヨコ、空気は動かせますか?」
「自信は無いですけど――やってみます」
小夜子は空中に杖を振って、風を起こした。
ヒューッ。
小さなつむじ風が、落とし穴周辺に冷たい音を立てる。
パワーが足りず、底の魔物を浮き上がらせるには至らない。
「中の土を、ここら辺の高さまで持ってくるってのでもいいんだけど」
「う~ん……」
テレサに助言されて、小夜子は穴の内側に杖を伸ばして当ててみたが、何の変化も起きなかった。
「状態を変える質量が大きすぎるのですわ」
「じゃあ、やっぱり空気使った方がカンタンか。ボクがやるねっ」
テレサが杖を振って宙を叩く。
ゴオッ!
空気砲の勢いで風が飛び出し、底にいた魔物の身体を頭上まで放り出した。
ドスン!
動物の死体が森の草地に横たわる。
「ここから更に素材を取り出さなきゃいけないんですよね……」
うんざりと言って、小夜子はワンピースのベルトの背に挿していたナイフの柄を掴んだ。
アリサが赤い目を丸くする。
「あら? 解体するつもりですの?」
「うーんと……」
小夜子は出掛ける前に、エチカとした会話を思い返して返事した。
「『アリサとテレサを誘って、来なかったらそれしかないわね』って言ってましたけど」
「なんだい、ボクらにやらす気満々なんじゃん」
「わたくしたちの腕を買ってくれているのですわ」
好意的に解釈して、アリサは唇を尖らせる弟の肩に手を置いた。小夜子にナイフを片付けさせる。
「よく見ていなさいな、サヨコ。錬金術は、あるていどであれば菌を操ることもできますのよ」
「え――」
問い返そうとする小夜子に、論より証拠とアリサは小さな熊の死体に杖を当てた。
時間を早送りにした如く、獣皮をまとっていたウォッシュベアの肉体が黝み、溶けるようにして、下の筋肉や脂肪をのぞかせる。
やがて洗った皿のように、まっ白な骨だけが残る。
その上半身――肋骨の中心に、死して尚美しく輝く、濃紺の石があった。
かち割った鉱物のような形をしたそれを、アリサがしゃがんで掴み取る。
「今のは……」
問う小夜子に、アリサは収穫物である宝石――〈アックアコア〉を手渡した。
立ち上がる。
「腐敗を早めたのです。上級の中でも難しい部類の技術ですから、ここまでキレイに分解できるのは、さすがにいつもと言うわけにはいきませんが」
「ボクはこういうの下手なんだよな……」
むう。とテレサが恨みがましそうに自分の杖を見上げる。
「はあ……よく分かりませんが、すごいんですね」
「サヨコも訓練をつづけていれば、いずれ出来るように――」
言いながら時刻を確かめようと、アリサは自分の腕時計を見て、止まった。『日付』を示す正方形の小窓に、『31』とある。
「そう言えばサヨコ、あなたもちろん、再試験には合格したんですのよね?」
「はい?」
問われている意味が分からず、小夜子は間の抜けた声を返す。
テレサがパチンと指を鳴らす。
「そーいや前に遊びに行った時、エチカさんが言ってたよね。『月末にでもサヨコを再テストして、ダメなら店から追い出す』って。サヨコちゃんはその時、体調悪くて寝込んでたからいなかったけど」
「はああああ!?」
店から追い出す――。
小夜子はある事情から、錬金術師のエチカの店である『エチカ商店』に住み込みで働いている。
(雇用される時に、確か採用テストは済ませたハズじゃあ――)
クラクラする頭を、片方の手で抱える。
テストの内容は、『バカではないことを証明しろ』というもので、これに小夜子は我ながら不出来ながら、一生懸命に答えを出した。
エチカも小夜子の回答を見て、「人を見る目はあるわね」と認めたからこそ、店の一員として迎え入れたのだ。きっと。
なのに――
「ま、まあ、わたくしたちの聞き間違いかも知れませんし」
頭を抱えたまま石化した小夜子の背中に、アリサが気遣わし気に声を掛ける。
「そーかなあ? エチカさん、ひょっとしたら忘れてるんじゃないの? だってさー、魔物からしか取れない『核石』なんて物を一時採用のアルバイトに任せるなんて、フツーしないよ」
「それもそう……」
テレサとアリサの会話を耳鳴りの外に聞きながら、小夜子はグルグル頭をフル回転させていた。
――再テスト? エチカも忘れてる? じゃあ踏み倒せばいいんじゃあってゆーかそもそもそんなの約束してたっけ? こっちから訊いた方がいい? でも相手が忘れてるんだったらそれこそヤブヘビってもんで訊いたらエチカのアホが思い出していらない苦労させられるわけででも――
アリサが言った。ボソリと。
「でもエチカ様の場合、敢えてギリギリまで伏せておいて、次の日になる直前に問題を提示し、タイムリミットを過ぎた瞬間に追い出すくらいのことはやりかねませんわね」
「それえっ!」
ズビシ! とアリサの考察に渦巻き模様の指紋を向けて、小夜子は同意する。
「わたし、急いで店に帰ります!」
森に来る時に乗ってきた〈浮遊キックボード〉の元に駆け戻り――ここから百メートルほど離れた所に停めていた――飛び乗って、最大速度の時速二十キロメートルで、ハンドル部分に取りつけたヒヨコ人形の帽子のプロペラをガラガラガラガラ! 鳴らしながら、王都に続く舗装路を目指して地面の上数センチをかっ飛んでいく。
「ガンバってねー、サヨコちゃん」
ヒイイインというモーターの唸りに混じって、テレサのエールが届いた。
(再テストなんて――)
小夜子は「くうっ!」と歯を食いしばり、悔しさに一瞬目を固く閉じた。
怒号する。
「ひとっ言も、そんなの言ってなかったじゃないですかああああ!!」
夕日のオレンジに暮れなずむ、天空の国〈フィーロゾーフィア〉。
毒の雲の上に浮かぶ、空の王国の更に上方、輝く小さな緑の石の群が螺旋を描く天体に、小夜子の絶叫が吸い込まれていく。
尚――。
再テストに関しては、エチカは一応だが小夜子に伝えていた。
ただ小夜子があっというまに忘れてしまっただけで。
小夜子が採用された当初から、再テストは行われる予定だったのである。




