報酬について-⑤
エチカは作業用のグローブの手首部分をずらして、その下に巻いている細いシルエットの腕時計を確かめた。
「ああ、もう三時半か……そろそろ帰さないとオヤジさんが心配するわね」
「あの、お薬は」
料理と引き換えに、コジマは重篤なケガもたちまち治すと言うエチカの薬をもらえる気でいる。
約束を反故にされては叶わないと、悲愴感さえ漂う少年の顔に、エチカは小さなケースを突きつけた。
(あれは……)
小夜子は黙って成りゆきを見守る。
コジマは白い箱に入った塗り薬を見て、とたんに安堵の表情になっていた。
「これで、父さんのケガが治るんですね」
「ええ、折れた箇所や打撲痕にちょっとずつつけてやんなさい。半分くらい余るだろうから、それは次の仕事の時にでも持たせてやって」
「ありがとうございます!」
コジマは庭のテーブルセットから飛び出すなり、店の玄関口へと走って行った。
家に帰るのだろう。バタバタという足音が屋内から街路側へと抜けて、遠のいていく。
「あのー、さっき渡した薬って」
小夜子はエチカの横から、空いた対面席に移動した。ワンピースのスカートが引っかからないように、押さえて座る。
「〈術師の軟膏〉よ」
「ひっどーい!」
小夜子は悲鳴じみた声でエチカを非難した。
錬金術師基本の傷薬である術師の軟膏は安価だが、重傷を治すほどの効果は無いのだ。フツウは。
「あんな小さな子供を騙すなんて、見損ないました! ちょっとはマシな性格してるのかと感心しようか人が悩もうとしたらコレなんですもん!」
「あんたよりはマトモなんだからいいでしょ。あと私に対して『騙した』と言いたいのなら、効果を見てから言いなさい。明日にはあの子の父親、ピンピンして剣かついで走り回ってるだろうから」
自信たっぷりに言い切るエチカに、小夜子も鼻白む。
「何を根拠に――」
「私を誰だと思ってるのよ」
ハッと頬杖ついて、脚組みした姿勢でエチカは言った。
「この大天才錬金術師であるエチカ様が丹精込めて作った軟膏よ? 大ケガどころか、虫の息だって一瞬後には跳びはねて暴れ回れるくらい回復してやれるわ」
つまらなそうに吐き捨てて、エチカは座ったままミニスカートのポケットを探る。ハンドクリームでも入っていそうな円筒形の容器を小夜子に渡した。
コジマが持っていったのと同じ、〈術師の軟膏〉だ。
小夜子は受け取るなり蓋を開けて、今朝深めに切ってしまった左手の親指に塗った。
バンソーコーで蒸れてふやけていた指先が、パックリ割れた赤い切れ目部分と共に治っていく。
高速の巻き戻しのように、修復は一瞬で完了した。
痛みもない。
「けど、もし万が一ダメだったら」
「〈蘇生薬〉を渡さざるを得ないわね」
小夜子の疑問にエチカはキッパリと返す。
「たまにはケガもしてみるものね、サヨコ。いつか誰かが言ってたけど、『知』とは金額がつけられないくらい高尚なものらしいわよ?」
言外に「てめーのせいだよ」と言われて、小夜子はなぜエチカが効かなかった時に高価な薬と交換すると明言したかを思い知った。
ギルド。
Fランク。
冒険者。
負傷手当――
(ああっ!)
気付いて小夜子は頭を抱える。
カチューシャをつけた黒髪が乱れるのも構わない。
エチカが組んだ脚の先をプラプラさせて、小夜子のロングスカートをつっついた。
「コジマ少年の話はタメになったでしょ? あんたもギルドにゃ世話になる日が来るかもなんだから、知ってて損はないわよ」
(くう~っ)
小夜子はうつむいたままだった。
コジマ少年は悪くない。
というか誰も悪くない。
ただ目の前の女が、まさか自分以外の人間が得た物に対して代理で何かを報いてやるとも思えず、実際にそうだった。
「言っとくけど、代わりに渡す蘇生薬はあんたが作りなさいよ。黄色レベルの生成物だから、死ぬ気でガンバれば一徹でどうにかなるわ」
「やだやだやだ!」
小夜子はテーブルに突っ伏して頭を振った。
「わたしがこの世で何がキライかを分かっててそんなこと言ってるんですか!?」
「努力でしょ」
「うん」
小夜子は面を上げてエチカに言った。
幸いにも――
その日の内に、エチカの薬を塗ったコジマの父親は全快し、閉店後の雑貨屋に、息子をつれてお礼の言葉を伝えにやって来た。
エチカの傍で聞いていた小夜子は、コジマのお父さんが回復したのを喜び、初対面であるにも拘わらず、涙を流して「よかった」と呟いた。
ヒゲ面に頬骨の浮いた壮年の剣士は、隣りにくっついてる息子に「優しいお嬢さんじゃないか。バットを振り回して人に殴りかかるなんて、やっぱりお前の見間違いだったんだよ」と十になったばかりの我が子の頭を軽く小突いてたしなめた。
小夜子はそんな二人をニコニコして、店から去っていく最後まで見送った。
バタンと店のドアを閉める。
「え~んっ、よかったよう」
今日何度目かの涙をグシグシ拭う。
「これでガリ勉も一夜漬けもチャラになったんですよね」
「テメエという奴は」
よかった、よかったよう。と小夜子は当然の権利と心得て、徹頭徹尾自分のためだけに泣いた。
あたりまえじゃ。




